2023年8月9日水曜日

長崎 原爆投下から78年「長崎を最後の被爆地に」平和祈念式典

 長崎の平和祈念式典に関するNHKの記事を紹介します。
+ 恒例の長崎宣言が発表されましたので追記します。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長崎 原爆投下から78年「長崎を最後の被爆地に」平和祈念式典
                     NHK NEWS WEB 2023年8月9日
長崎に原爆が投下されて9日で78年です。台風の接近にともない平和祈念式典は規模を縮小して行われますが、ロシアがウクライナへの軍事侵攻と核による威嚇を続ける中、長崎は核兵器廃絶への決意と「長崎を最後の被爆地に」というメッセージを国内外へ発信します。

長崎に原爆が投下されて9日で78年です。
9日朝、長崎市の平和公園やミサが行われた浦上天主堂などには被爆者などが訪れ祈りをささげました。
4歳の時に被爆した82歳の女性は「78年は早いです。原爆の目を差す光だけは覚えています。夫の祖父母など家族が原爆で9人亡くなったので永遠の安息を願いに来ました。世界中で戦争がいつ起こるかわからないので世界平和を願っています」と話していました。

午前10時45分から始まる平和祈念式典では、この1年に亡くなった被爆者など3314人の名前が書き加えられた19万5607人の原爆死没者名簿が納められます
そして、原爆がさく裂した午前11時2分に黙とうをささげ犠牲者を追悼します。
ことし5月のG7広島サミットは、各国のリーダーが原爆資料館を訪れるなど核兵器の非人道性を世界に訴える機会になった一方、サミットの成果文書である「広島ビジョン」について核抑止を前提とした考えだとして長崎の被爆者からも批判の声があがっています。
9日の平和祈念式典ではことし4月、新たに就任した被爆2世の長崎市の鈴木史朗市長が平和宣言を読み上げます
ロシアがウクライナへの軍事侵攻と核による威嚇を続ける中、鈴木市長は、原爆で背中に大やけどを負いながら6年前に亡くなるまで核兵器の廃絶を訴え続けた谷口稜曄さんの言葉を通して核兵器の非人道性や原爆を肯定する風潮への警鐘を鳴らします。
そのうえで、核保有国と核の傘のもとにある国に対して核抑止への依存から脱却し、核兵器廃絶への道を進むよう求めます。
台風6号の接近にともない平和祈念式典は参列者の安全を優先して、会場が平和公園から市内の屋内施設に変更され、一般の被爆者や遺族のほか岸田総理大臣や各国大使の参列が見送られるなど規模が大幅に縮小されますが、長崎は、9日、核兵器廃絶への決意と「長崎を最後の被爆地に」というメッセージを国内外へ発信します。

被爆した82歳の女性「忘れたくても忘れることができない」
長崎市の平和公園では、午前5時すぎ、平和祈念像の前で祈りをささげる人の姿が見られました。4歳の時に被爆した長崎市の82歳の女性は「平和祈念像の前に立ったら涙が出てきました。78年前のきょうのことは忘れたくても忘れることができない。それなのに世界にはいまだに核兵器を持っている国がある。戦争や核兵器はなくなってほしい」と話していました。
被爆2世の女性「日常が壊されないように」
長崎市の爆心地公園を訪れた長崎県時津町の被爆2世の74歳の女性は「当時もこんな天気だったら原爆は落ちてないかもしれないと思いながら来ました。姉たち3人を失い、私は戦後に生まれたので、毎年、慰霊のために来ています。姉たちも生きていたら79歳になっていたと思いながら祈りました。きょうもあすも起きられることが平和なので、そういう日常が壊されないように願っています」と話していました。

18歳の男性「平和への思いを引き継ぐ責任がある」
ことし、大学進学のために京都から長崎市に移り住んだという18歳の男性は「8月9日は、戦争や核兵器について考えるチャンスだと思う。自分は、家族から戦争体験を聞いたこともあるがそういう話を聞ける最後の世代だと思うので、平和への思いを引き継ぐ責任がある。特に、長崎を最後の被爆地にするためには、自分たちも努力をしないといけないと感じている」と話していました。

 2023年 長崎平和宣言

長 崎 平 和 宣 言
「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」
 これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。
 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。

 谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。
「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」
 長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。
 今、私たちに何が必要なのでしょうか。
「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。

 今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。
 しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。

 核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。
 今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。

 日本政府と国会議員に訴えます。
 唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。

 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。
 被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
 その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。
 被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。そして、世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる被爆者の体験に耳を傾けてください。
 被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、世界を変えていく原動力にもなり得るのです。
 私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。

 日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
                          2023年(令和5年)8月9日
                             長崎市長  鈴木 史朗