2014年3月29日土曜日

袴田事件再審決定 冤罪は国家の犯罪


袴田事件再審決定 冤罪は国家の犯罪
 
 多くの新聞は28日の社説で、袴田事件の再審決定を取り上げています。
 「冤罪は国家の犯罪」、「証拠の捏造は絶対に許されない」、「検察は抗告を断念せよ」、「償うために一刻も早い無罪を」と主張しています。
 
 各社社説のタイトルの一例は下記のとおりです。
      (タイトルをクリックすれば社説欄にジャンプします)
 袴田事件再審決定 冤罪は国家の犯罪          東京新聞 
 袴田事件再審 一刻も早く裁判開始を           琉球新報 
 袴田事件再審 浮上した疑問に決着を             南日本新聞 
 袴田さん釈放  裁判のやり直しを急げ             高知新聞 
 袴田事件再審開始決定 捏造の指摘を重く受け止め 愛媛新聞 
 袴田事件再審決定 証拠捏造は断じて許せぬ      徳島新聞 
 袴田さん再審へ  検察は即時抗告見送りを          神戸新聞 
 袴田事件再審へ  検察は抗告を断念せよ        京都新聞 
 袴田事件 再審を真相解明の場に             信濃毎日新聞 
 袴田事件 「証拠捏造」 の指摘は重い           新潟日報 
 袴田事件再審へ  償うため一刻も早い無罪を       河北新報 
 袴田事件 一刻も早い再審無罪を              北海道新聞 
 死刑囚の再審―過ちはすみやかに正せ           朝日新聞 
 袴田事件決定 直ちに再審を開始せよ           毎日新聞 
 
 これとは別に、植草一秀氏は自らのブログに「冤罪より残忍な国家犯罪はこの世に存在しない」、とする記事を発表しました。
 
 そしてその中で警察で行われた拷問のすさまじさを、
 ・・・殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった
袴田巌氏の子どもに宛てた獄中書簡から転載しています。
 憲法で禁じられている拷問が、警察署を挙げて、長時間且つ長期間、凄惨に行われたことが分かります。眠らせずに、水も与えずに・・・といわれています。
 
 これで抗告するなどということは、あってはならないことです。
 
 東京新聞の社説と植草一秀氏のブログを紹介します。
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社説袴田事件再審決定 冤罪は国家の犯罪
東京新聞2014年3月28日
 裁判所が自ら言及した通り、「耐え難いほど正義に反する状況」である。捏造(ねつぞう)された証拠で死刑判決が確定したのか。速やかに裁判をやり直すべきだ。
 事件発生から一年二カ月後に工場のみそタンクから見つかった血痕の付いた衣類五点は、確定判決が、袴田巌さんを犯人と認定する上で最も重視した証拠だった。
 その衣類について、今回の静岡地裁決定は「後日捏造された疑いがある」と述べた。
 検察庁も裁判所も証拠の捏造を見抜けないまま死刑を宣告していたのであろうか。
 
◆「こちらが犯行着衣」
 絶対にあってはならないことであるが、死刑を言い渡した当の裁判所が、その疑いが極めて高くなったと認めたのである。ただならぬ事態と言わざるを得ない。
 そもそも、起訴の段階で犯行着衣とされたのは、血痕と油の付着したパジャマだった。
 ところが、一審公判の中でパジャマに関する鑑定の信用性に疑いがもたれるや、問題の衣類五点がみそタンクの中から突然見つかり、検察官は「こちらが真の犯行着衣である」と主張を変更した。
 袴田さんは、公判では起訴内容を否認したが、捜査段階で四十五通の自白調書が作られていた。毎日十二時間以上に及んだという厳しい取り調べの末に追い込まれた自白で、その内容は、日替わりで変遷していた。
 一審判決は、そのうち四十四通を、信用性も任意性もないとして証拠から排斥したが、残り一通の検察官作成の自白調書だけを証拠として採用し、問題の衣類五点を犯行着衣と認定して死刑を言い渡した。判決はそのまま高裁、最高裁を経て一九八〇年に確定した。この間、どれほどの吟味がなされたのか。
 この確定判決をおかしいと考えていたのは、再審を請求した弁護側だけではなかった。
 
◆新証拠の開示が鍵に
 一審で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(76)は二〇〇七年、「自白に疑問を抱き無罪を主張したが、裁判官三人の合議で死刑が決まった」と告白している。
 「評議の秘密」を破ることは裁判官の職業倫理に反する暴挙だと批判されたが、この一件で、袴田事件に対する市民の疑念も決定的に深まったのではないか。
 第二次再審請求審では、弁護団の開示請求を受けて、裁判所が検察側に幾度も証拠開示を勧告。静岡地検は、これまで法廷に提出していなかった五点の衣類の発見時のカラー写真、その衣類のズボンを販売した会社の役員の供述調書、取り調べの録音テープなど六百点の新証拠を開示した。その一部が再審の扉を開く鍵になった。
 これまでの再審請求事件では、捜査当局が集めた証拠の開示、非開示は検察の判断に委ねられたままで、言い換えれば、検察側は自分たちに都合のよい証拠しか出してこなかったともいえる。弁護側から見れば、隠されたことと同じだ。今回の請求審では、証拠開示の重要性があらためて証明されたといっていい。
 そもそもが、公権力が公費を使って集めた証拠である。真相解明には、検察側の手持ち証拠が全面開示されてしかるべきだろう。
 柔道二段で体格もよい被害者を襲う腕力があるのは、元プロボクサーの彼以外にない…。従業員だから給料支給日で現金があることを知っている…。袴田さんは、いわゆる見込み捜査で犯人に仕立てられた。一カ月余り尾行され、逮捕後は、時に水も与えられない取り調べで「自白」に追い込まれる。典型的な冤罪(えんざい)の構図である。無理な捜査は証拠捏造につながりやすい。
 冤罪であれば、警察、検察庁、裁判所、すべてが誤りを犯したことになる。真犯人を取り逃がした上、ぬれぎぬを着せられた人物の一生を破滅に追い込む。被害者側は真相を知り得ない。冤罪とは国家の犯罪である。
 市民の常識、良識を事実認定や量刑に反映させる裁判員裁判の時代にある。誤判につながるような制度の欠陥、弱点は皆無にする必要がある。
 
◆検察は即時抗告やめよ
 司法の判断が二転三転した名張毒ぶどう酒事件を含め、日弁連が再審請求を支援している重要事件だけでも袴田事件以外に八件。証拠開示を徹底するなら、有罪認定が揺らぐケースはほかにもあるのではないか。
 冤罪は、古い事件に限らない。今も起きうることは、やはり証拠捏造が明らかになった村木厚子さんの事件などが示している。
 袴田さんの拘置停止にまで踏み込んだ今決定は、地裁が無罪を確信したことを意味している。
 検察は即時抗告することなく、速やかに再審は開始されるべきである。
 
 
冤罪より残忍な国家犯罪はこの世に存在しない
植草一秀の『知られざる真実』 2014年3月27日 (木)
「国家にしかできない犯罪、それは戦争と冤罪である」
これは、弁護士の故後藤昌次郎氏が遺された言葉である。国民を殺し殺される状況へ追いやる戦争やってもいない罪をきせる冤罪これが国家によるもっとも重大な犯罪である。
日本は第二次大戦後、戦争を放棄する国に生まれ変わったが、安倍晋三政権がいま、日本を、戦争を創作し、戦争を実行する国に改変しようとしている。
冤罪もまた国家によるもっとも重大な犯罪である。基本的人権の尊重が近代憲法の根幹に据えられてきた。冤罪の抑止は、そのなかで、中心的な位置を占めてきた金科玉条である。
 
いまから200年以上も前に定められたフランス人権宣言。1789年に制定されたフランス人権宣言に、冤罪を防ぐための根本原則が定められている。
第7条(適法手続きと身体の安全)何人も、法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。
第8条(罪刑法定主義)法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。
第9条(無罪の推定)何人も、有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。
 
適法手続き、罪刑法定主義、無罪推定の原則、などの根本原則が定められている。
日本国憲法にもこの考え方が取り入れられたが、日本の警察・検察・裁判所の現実は、これとは異なるものである。刑事訴訟法第336条は犯罪の証明について次のように定めている。
(無罪の判決)第336条 被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。
また、日本国憲法には次の規定が置かれている。
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。 ○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。 ○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
 
袴田事件の再審開始決定が示された。
1966年6月に発生した強盗殺人放火事件。味噌製造会社専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺死体が発見された。
この年の8月18日に、味噌製造会社従業員で従業員寮に居住していた、元プロボクサーの袴田巌氏が強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕された。袴田氏は頑強に否認していたが、勾留起源3日前に自白。9月9日に静岡地検が起訴した。
1968年9月11日に地裁で死刑判決が示され、最高裁でも上告が棄却され、1980年11月19日に死刑が確定した。袴田氏は逮捕の日から48年にわたり拘束され続けてきた。
この事案について、静岡地裁が本日3月27日、再審開始を決定する判断を示した。
検察が特別抗告すれば、再審開始決定は効力を発揮しない。検察は地裁の再審開始決定を受け入れるべきである。警察が取調べで行ったことは拷問だった。
 
「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」サイト
に掲載されている袴田巌氏の獄中書簡の一部を転載させていただく。
 
 「……殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった。
……息子よ、……必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」
(一九八三年二月八日)
 
警察は証拠を捏造して、無実の袴田氏を殺人犯人にでっちあげた。その犯罪によって、無実の市民が、死刑判決を受け、48年間も獄につながれてきた。これ以上の凶悪犯罪は世の中に存在しない。
重罰に処せられるべきは、冤罪という重大犯罪に手を染めた警察・検察・裁判所の関係者の側である。
(以下は有料ブログのため非公開)