ビキニ環礁で焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆して60年目となる3月1日、焼津市、静岡市をはじめとする全国各地で、そしてマーシャル諸島の首都マジュロで、3・1核廃絶集会が開かれました。
マジェロの集会には、米政府高官も出席して挨拶をしましたが、補償や謝罪に言及せずに市民の怒りを買いました。
また静岡県立藤枝北高の生徒たちは昨年から地道な活動を重ねて、この8日に、第五福竜丸の元乗組員の証言や、福島第1原発事故の被災地取材をまとめた資料展示会を同市内で開く活動に取り組んでいます。
「放射能の恐ろしさと向き合わずに未来は語れない」と訴えて・・・
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第五福竜丸被爆から60年 静岡で核廃絶集会
NHK NEWS WEB 2014年3月1日
アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆して1日で60年となります。静岡県では各地で集会が開かれ、参加した人たちが核兵器の廃絶を訴えました。
昭和29年3月1日、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」は南太平洋で操業中に、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で放射性物質を含んだ「死の灰」を浴び、乗組員23人が被爆しました。
焼津市では1日、静岡県をはじめ全国から集まった人たちが核廃絶を訴えて市内を行進しました。
一行は被爆し、半年後に亡くなった元乗組員、久保山愛吉さんの墓がある市内の寺を訪れ、墓前に花を手向けて反核の思いを新たにしていました。
午後からは焼津市内で集会が開かれ、第五福竜丸の元機関士の池田正穂さん(81)が体験を話しました。
池田さんは「すごい爆発音が聞こえた。急いでエンジンをかけました。そのあと、船上でロープを引いたあとに手の皮が荒れたことを覚えています。当時は放射能の影響とは全く分かりませんでした」などと、集まった人に当時の様子を語りました。
一方、静岡市では市の中心部の公園で集会が開かれ、350人が参加しました。
このなかで、静岡市内の高校に通う2年生の女子生徒は核兵器廃絶の署名を呼びかける横断幕を掲げて、「私が大人になるころには核兵器がなくなるように頑張りましょう」と訴えました。
そして、核兵器や原子力発電所など核の利用に反対する宣言文が拍手で採択されました。
静岡県三島市から参加した30代の男性は、「静岡に暮らしていてもビキニについてよく知らなかった。こうした機会で過去を学び、ニ度と起こらないようにしたい」と話していました。
60年がたって、第五福竜丸の乗組員23人のうち、すでに16人が高齢などで亡くなっていて、今後、ビキニ被爆をどう伝えていくかが課題になっています。
静岡県立藤枝北高:「放射能の恐ろしさ伝えたい」と展示会
毎日新聞 2014年3月1日
静岡県藤枝市の県立藤枝北高の生徒らは8日、第五福竜丸の元乗組員の証言や、福島第1原発事故の被災地取材をまとめた資料展示会を同市内で開く。記憶の風化が進む中、生徒らは「放射能の恐ろしさと向き合わずに未来は語れない」と訴えている。
同高教諭の橋本純さん(59)と生徒・卒業生ら11人は第五福竜丸の操舵(そうだ)手だった見崎(みさき)進さん(87)=静岡県島田市=と操機手だった池田正穂さん(81)=焼津市=から「死の灰」を浴びた証言や風評被害に遭った経験を聞いた。
昨年8月には福島県南相馬市の農家を訪問。同高卒業生の長谷川倖友(こうゆ)さん(19)は「原発事故で普通の生活が一瞬に奪われた。唯一の被爆国である日本で焼津、福島と続いた悲劇は繰り返してはならない」と力を込める。展示会場には福島県を訪れた時の写真や、生徒らの感想文などを展示する。
藤枝市駅前2の市文化センターホールで正午開場。講演会などもあり、前売り券1000円(当日券1200円)、学生200円。問い合わせは橋本教諭(054・644・8611)。【平塚雄太】
ビキニ水爆実験60年 式典で大石又七さん訴え
NHK NEWS WEB 2014年3月1日
アメリカが太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被爆してから1日で60年となり、現地で開かれた式典で元乗組員が核兵器の廃絶を訴えました。
1954年3月1日にアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験では、広い範囲に放射性物質を含んだいわゆる「死の灰」が降り注ぎ、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員23人や島民も数多く被爆しました。
水爆実験から60年となる1日、マーシャル諸島の首都マジュロでは、被爆した島民などおよそ100人が参加した式典が開かれ、日本からは第五福竜丸の元乗組員、大石又七さん(80)が参加しました。
壇上に立った大石さんが「核兵器を作るために多くのマーシャルの人たちが犠牲になった。指導者たちに猛省を促したい」と述べ、核廃絶と平和への願いを訴えると、会場からは大きな拍手が起こりました。
そしてマーシャル諸島のロヤック大統領が「島の被爆者と第五福竜丸の被爆者は同じ悲劇の経験を共有する仲間だ」と述べ、核兵器の廃絶に向け、日本とマーシャル諸島が連携することの重要性を強調しました。
大石さんの演説を聞いた地元の女性は、「大石さんの演説に感銘を受けました。この問題に対して、日本の多くの方が関わってくれていることに感謝しています」と話していました。
広島市の代表や福島の学生も出席
式典には、広島市の代表として広島平和文化センターの小溝泰義理事長が出席しました。
小溝理事長は式典で「私たちは核兵器の非人道性がもたらす、ことばにできないほどの恐怖について、記憶を共有しています。核兵器のない平和な未来の実現に向けた取り組みを続けていきましょう」と呼びかけました。
また、福島県の大学院生と福島市出身の大学生も式典に出席しました。
学生らは放射能の影響で、多くの島民が水爆実験から半世紀以上たった今も、ふるさとを離れ、避難生活を続けている現状などを調べるため現地を訪れています。
このうち福島大学の大学院に通う佐藤甲斐さん(25)は「実験から60年がたっても島民が心を1つにして、この日を迎えていることに驚きました。20年後、40年後の福島で放射能の問題にどう向き合うべきか考えさせられました」と話していました。
米政府高官は補償や謝罪に言及せず
式典にはアメリカのゴッテモラー国務次官代行も出席してスピーチを行いましたが、「マーシャル諸島の人々が世界の平和と安定のために果たした歴史的貢献をアメリカは忘れていない」と述べるにとどめ、マーシャル諸島政府が求めている追加補償や住民が求めている謝罪については一切、言及しませんでした。
これに対して、60年前のアメリカによる水爆実験で被爆したマーシャル諸島の女性は、「非常に怒りを感じました。すぐに壇上に上がって反論したい気持ちです」と話していました。