日米防衛協力指針(ガイドライン)改定の中間報告が8日に発表されました。この改定はもともと日本側の要求で本年末までにまとめるということで、それに間に合わせるために、安倍内閣は7月に強引に集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。
しかし11月の沖縄知事選や来春の統一地方選に悪影響を及ぼさないようにという配慮から、結論は来春以降に先送りすることにし、その代わりに中間報告を出したのでした。
当分公表はされないものの水面下で重要な決定が行われ、それが既成事実化していくおそれに変わりはありません。
全貌を明確にしていない中間報告でも、自衛隊の活動範囲に対する地理的制約は解消されて、「切れ目のない日米協力体制」に入ることが強調されました。
要するに自衛隊と米軍は「常時連携」をして、自衛隊の海外派遣、海外任務が際限なく拡大する方向にあることが明確になりました。中東のホルムズ海峡での自衛隊による機雷除去はまだ文言としては明記されていませんが、海洋安全保障の文言で示唆されていると言われています。
当然、アメリカのシアー国防次官補は「非常に前向きで、充実したものだ」と評価しています(NHK 8日)。
東京新聞も、米国務省高官は日米ガイドラインの再改定に向けた中間報告を「リバランス戦略の重要な部分となる」と評価し、日本の安全保障政策を米国の世界戦略に組み込んだことを認めたと報じています(「米、世界戦略に日本取り込む 多国間の防衛協力推進」 9日)。
纐纈厚・山口大教授は、「これまでの周辺事態という一定の制約を取り払って、自衛隊が米軍と一緒に『地球の反対側』まで派兵される可能性が高まる。米国には、自衛隊をもっと自由に活用したいという思いがある。自衛隊が、より使い勝手のいい部隊となり、米国の雇い兵的な存在になってくるのではないか」((東京新聞「自衛隊 米の雇い兵に 纐纈厚・山口大教授に聞く」 9日)と批判しています。
各紙の社説は、ほぼ一様に、海外派兵に歯止めがなくなる、際限なき米軍追従、野放図な拡大と批判しています。
12日
11日
10日
秋田魁新報の社説を紹介します。
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(社説) 日米防衛指針 際限のない米軍支援だ
秋田魁新報 2014年10月11日
「日米同盟の強化」という大義名分の下、自衛隊が地球の裏側まで出掛けて米軍を支援する。それが日本と米国の新たな防衛協力の姿なのか。
日米防衛協力指針(ガイドライン)の改定に向け、両国政府が中間報告をまとめた。指針は自衛隊と米軍の協力の在り方を定めた政策合意文書。冷戦時代の1978年、旧ソ連の侵攻を想定して策定された。97年改定の現指針は朝鮮半島有事などを念頭に、協力範囲を「周辺事態」へと拡大したのが特徴だ。
政策合意文書とはいえ、事実上の拘束力がある。中間報告も防衛協力の方向性に大きな影響力を持つのは間違いない。
中間報告で最大の転換となるのは周辺事態という従来の制約を削除したことだ。現指針は日本周辺に限って日米の役割を定める。だが削除により地球上のどこでも自衛隊と米軍が行動を共にすることが可能となる。
さらに報告は「平時から緊急事態までのいかなる段階においても、切れ目のない形で」日本の安全を確保するとした。それが意味するのは日本の安全保障のため、自衛隊と米軍が常時連携するということだ。
日米の協力拡大には中国を封じ込める狙いがある。これによって日本は海洋進出を強める中国に対抗し、米国にとってはオバマ大統領のアジア重視戦略の推進力になるとの考えだ。
注意しなければならないのは「地域およびグローバルな平和と安全のための協力」との項目が設けられたことだ。米国の国防予算が削減される中、自衛隊に任務を肩代わりさせようとする米国の意図は明らかだ。
協力する分野として後方支援や海洋安全保障、平和維持活動などが挙げられている。その一方で「これに限定されない」との文言も付け加えられており、ずるずると活動分野が拡大する恐れがある。
日本は今後、米国と共に「世界の警察官」の役割を担うということなのか。戦後、営々と築き上げてきた平和主義に反することになりはしないか。
理解し難いのは、7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認について、米軍と自衛隊がどのように役割を分担するかなど具体的な内容が明記されていないことだ。
安倍晋三首相があれほど閣議決定を急いだのは、年末までに指針を改定するためだったはずだ。ところがここにきて、年明け以降に先送りする見通しとなった。反対が根強い集団的自衛権行使容認の扱いを棚上げし、来月投開票の沖縄県知事選への影響を避けるためとみられる。
行使容認に伴う関連法案の提出も、来春の統一地方選への影響を考えて来年の通常国会、それも選挙後にするという。政権維持のため選挙に響く重大問題を先送りする手法は到底容認できない。際限のない米軍支援につながる指針の改定も平和国家の在り方をゆがめるものだ。