2014年10月5日日曜日

国民安保法制懇 声明

 
 臨時国会初日の29日、小林節氏、伊藤真氏ら学者や弁護士、元官僚らでつくる「国民安保法制懇」は、閣議決定の撤回を求める声明を発表し、政府に提出しました。
 
 声明文と呼ぶには極めて長大な論文で、A4版で8頁(8900語あまり)に及ぶものですが、憲法9条を解釈変更した7月1日の閣議決定の誤りを詳細に指摘しています。
 政府にはこれにキチンと答える義務があると思われます。しかしそれは期待する方が無理でしょう。
 
 事務局で抜粋要約したものを紹介します。詳細は下記のURLをクリックして、声明(報告書)のPDF版をご覧ください。
 
 
 PDFをコピーしたWORD版も作りましたので、そちらをご覧になる場合は下記をクリックしてください。  
    国民安保法制懇 声明
・クリック後画面左下に「国民安保法制懇声明」と表示されたらそこをクリックしてください。

 そうでないときは次のようにします。
・画面の下にボックスが開いたらまず「保存する」をクリックし、次に開くボックスで「ファイルを開く」をクリックします。すると次にソフトの種類を聞いてくるので「Microsoft Word」を選択して「OK]をクリックします。
 次に開くボックスで「開く」をクリックすれば、Word画面に表示されます。
                              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
集団的自衛権行使を容認する閣議決定の撤回を求める
(事務局で抜粋要約)
平成26年9月29日  
 国民安保法制懇 
1. はじめに
省 略
 
2.閣議決定による憲法解釈変更の問題点
 閣議決定は、憲法9条の存在意義をほとんど無に帰すばかりでなく、憲法によって政治権力を制約するという立憲主義を覆すものでもある
 ある特定時点で政権の座にある人々の判断で変更してしまうという前例を残した点において、その影響は将来にわたって長期に及ぶ。将来世代をも含む国民一般にとって、迷惑千万と言わざるを得ない。
 こうした根本的変更が是非必要だと考えるのであれば、従来の政府見解が指摘していた通り、正面から広く国民的な議論に訴え、慎重な審議を経る正式の憲法改正手続を踏むべきである。
 安倍首相は、今後も自衛隊がイラク戦争や湾岸戦争のような戦争に参加することはないと国会の場等で述べているが、これも結局は、現在の政権による現時点での政策的判断では参加することはないというだけの話にとどまる。
 内閣法制局による憲法の解釈は、その時々の党派的見解から独立した客観的妥当性を備える必要がある。これまで内閣法制局が紡ぎ出し、支えてきた従来の憲法9条の解釈に十分な正当性と説得力があるにもかかわらず、今回のように、首相が集団的自衛権を行使したいと言い張るからそれは合憲だなどと内閣法制局が言い出したら、自らの存在意義を否定したのも同様である。
 内閣法制局は、憲法の有権解釈を守る「番人」としての役割を自ら放棄した。
 将来別の政権になって、「今度は我々の意向に沿って新たに憲法解釈を変更すべきだ」と主張したとき、内閣法制局にはもはやそれに抵抗する手立てはない。
 それを回避するためには、内閣法制局今回の解釈変更の誤りを認め、従前の解釈に回帰するしかない。
 
3.7月1日閣議決定の内容上の問題点
 閣議決定は、地球全体にわたる「グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等」の事象を抽象的に並べるにとどまり、日本との関係でどのような国際情勢・安全保障情勢の現実の変化が集団的自衛権行使を必須とするのかをまったく明らかにしていない。
 それにもかかわらず、集団的自衛権を否定すべき論拠によって、それを容認する正反対の結論を支えようとする無理な論法を押し通した結果、この閣議決定の内容は、その意図も帰結もきわめて曖昧模糊としており、見る者の視点によって姿の変わる(ヌエ)とも言うべき奇怪なものと成り果てている。
 閣議決定では、日本と密接な関係にある他国への武力攻撃により、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」集団的自衛権の行使が容認されると言っている。具体的にはこれらの諸権利の保護にあたるべき日本の政治体制の根幹が脅かされるという趣旨に理解すべきであるが、他国への武力攻撃によって日本の政治体制が覆る「明白な危険」が現実化することは、冷静に考えるならばほとんど想定しがたい
 仮にホルムズ海峡が封鎖され、原油の輸送が一時的に止まることがあったとしても、日本の政治体制の根幹が脅かされる明白な危険が生じたとは考えられない。こうした観念的で抽象的な画餅のごとき集団的自衛権の行使を、なぜ容認する必要があったのか、強い疑問が浮かぶ。
 この種の「明白な危険」が地球の裏側を含めた世界各地で発生したと政府が「総合的に」判断しさえすれば、集団的自衛権を行使し得るというのであれば、日本に対する直接の急迫・不正の侵害という従来の要件とは異なり、この要件は明確で客観的な歯止めを提供するものではあり得ないことになる。自衛隊が武力を行使する範囲は、結局、地球の全域にわたることとなる。いずれにしても今回の閣議決定は、その意図も帰結もきわめて不明瞭であり、今後、政府の行動指針として実効的に機能し得るのか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。
 安倍首相は、この要件が当てはまるか否かは、「攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、対応、推移などの要素を総合的に考慮し、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから判断する」と説明したが、これは多様な判断要素を例示したにすぎず、要件の内容が明確化したとは到底言い難い。
 
4.「積極的平和主義」の奇怪さ
 集団的自衛権行使容認の論拠として、「積極的平和主義」なる奇怪な概念が提唱されていることは、さらに懸念を深める。外部からの自国への攻撃に先立つ積極的行動を通じて平和を実現するという方針をとると、そこで言う「平和」は、「日本政府が正しいと考える事態」という主観的意味合いになり、結局のところ、日本政府が正しいと考える事態を実現するために地球上のいたるところで実力を行使するという、およそ平和主義とは相容れない猛々しく危うい立場と見分けがつかない 
 「積極的平和主義」に基づく憲法解釈の変更は、立憲主義に対する攻撃であるのみならず、憲法9条の根幹にある平和主義を変質させ、否定するものでもある。
 
5.アメリカとの同盟関係の強化
 集団的自衛権の行使容認が、日本と「密接な関係」にあるアメリカとの同盟関係強化につながると言うが逆である。「私たちは集団的自衛権を行使できない、だから協力できません」と言うより、「集団的自衛権を行使することはできるが、政府の判断で協力しないことにしました」と言う方が、アメリカとの同盟関係ははるかに深く傷つく
 アメリカは、自国と異なる政治体制をとる国家に対して根底的な不信感を抱き続け自国と異なる政治体制の転覆の機会に遭遇した際、国際法上の諸原則に忠実に行動するとは限らない国家である。そうした国の軍事行動に付き合って、日本本土を攻撃する根拠をアメリカとの紛争当事国に与えることが、日本の安全に役立つとは考えにくい。世界各地で「テロとの戦い」を押し進めるアメリカとの軍事的協力関係を深めることは、日本をグローバルに展開するテロ組織の標的とする危険にさらすことでもある。
 
6.むすび
 安倍政権による集団的自衛権行使容認への動きは、実効的な歯止めを伴っているかも疑わしく、無制限に日本の軍事行動を拡大することによって、日本国民の安全保障をきわめて不安定な状態へと導きかねない。それは現憲法の根底にある立憲主義と平和主義の否定であるのみならず、中長期にわたって日本の国益を大きく損なう
 所定の明白な危険があることを集団的自衛権行使の要件として付加しても、集団的自衛権の行使は憲法9条の下では許容されないから、本件閣議決定中、集団的自衛権行使容認の部分は、撤回されるべきである。
 今後、安倍政権は日米防衛協力の指針(いわゆるガイドライン)への反映や自衛隊法等の関連法令の整備を可能な限り迅速に進めようとするであろう。立憲主義を無視し、特殊なイデオロギーで国のあり方を根本的に変容させようとするこの策動への注視を怠らず、反対の声を今後とも広げていく必要がある。