2015年7月14日火曜日

安保法案はなぜ違憲なのか? 東北大の2教授に聞く

 衆知のごとく憲法学者のほとんどが安保関連法案は違憲であると述べています。
  「安全保障関連法案に反対する学者の会」のアピールに賛同した学者・研究者は、
13日朝現在で9,541人に達しています。 
 
 朝日新聞が東北大学で憲法を教える教授2人に「なぜ違憲なのか」を聞きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安保法案なぜ違憲? 東北大の2教授に聞く
朝日新聞 2015年7月13日
 衆院での審議が山場にさしかかった安保関連法案について、憲法学者の多くは「違憲だ」と批判する。東北大学で憲法を教える教授2人に聞いた。(編集委員・石橋英昭)
 
◇糠塚康江さん(61)「めまい覚える論理展開」
 9条を素直に読めば自衛隊は違憲の存在でしょう。けれども制定当時に日本の安全保障を委ねるとされた国際連合は、拒否権行使など、冷戦を経て理念的には機能していません。
 
 守ってくれるものがないと国民は不安です。我が国が急迫不正の侵害を受け、助けてくれる人も他の手段もなければ、必要最小限度の反撃は、国民感情として認めうる。自衛隊が合憲とされるぎりぎりの許容範囲を示したのが、1972年の政府見解でした。
 ですから、他国への侵害に端を発する集団的自衛権はそもそも認められないと説明したのです。72年見解が前提なら、集団的自衛権行使容認が導かれるはずがない。昨年7月の閣議決定で、「従来の政府見解ではやってられないので、全く新しく考えた」と言うならまだ筋は通る。72年見解が根拠という論理展開には、めまいを覚えます
 
 もちろん、政府が憲法解釈をしちゃいけない理由はない。政府は常に、自分のやることが憲法の枠に収まるよう行動します。そのために内閣法制局がある。
 今までは、具体的な法案を作ったり、措置を取ったりする時、憲法との整合性はどうかと考えた。ところが今回は話が違います。具体的事案がないのに、まず閣議決定で解釈を変える話がバーンと出てきた。抽象的な憲法解釈と言ってもいい。そんな解釈権を内閣が持っているのか。憲法のどこにも規定はありません
 権力は憲法に書いてあること以外はできない。その約束を破ったことで、立憲主義に反すると批判がわき起こったのです。
 
 憲法は日本では水道のようなインフラ的存在かもしれません。ひねれば当たり前に水が出る。定着しているが、ふだんは意識されない。ところが水が濁ってきたのが現在の状況。いまや護憲を掲げる政党は力がなく、人知れず「水質研究」や「補修」をしてきた憲法学者が、気がつくと前面に立たされています。
 いまの政治は憲法とはかかわりなく、勇ましく自らの政治理念を訴えるやり方です。本来、公共の事柄を考え、論じる座標軸が憲法のはず。政治家は議論の標準言語が憲法だということを、自覚すべきです。
 私たち憲法学者が最後のとりでだなんて、本当はおかしい。政治の方向を変えられるのは、有権者でしかありません。
 
◇佐々木弘通さん(50)「国民は『違憲』と自信持とう」
 政府は、集団的自衛権の行使容認を正当化するために、1972年の政府見解と59年の砂川事件最高裁判決を引き合いに出します。だが本来、出発点に置くべきは、46年の憲法制定時に国民が9条に託した意味です。それは歴史的にも客観的にも、非武装平和主義なのです。
 
 いちばんの問題は、この9条の骨太の意味内容を、国民が分からなくなってきているということ。「限定的なら集団的自衛権を行使しても違憲ではない」と政府に言われると、理屈が通っているのかなと思ってしまう。確かな憲法感覚が持てていない、と言えます。
 その要因はいくつかあります。自衛隊54年の発足以来存続している現実。マスコミも公教育も、自衛隊違憲論には立ってこなかった。非武装平和主義を支えてきた戦争体験者は、どんどん減っています。
 
 安倍政権は、最高裁が最終解釈権を持つけれど、その判断が出るまでは政府が憲法の意味を決める、という趣旨のことも言っています。ですが、政府の憲法解釈が正しいかを最終的に判断するのは、国民です。憲法で縛られるべき公権力が、憲法の意味を自分で決めるのを認めてしまえば、立憲主義の底が抜けたようなものです。
 
 私は、この法案は違憲であり撤回されるべきだと考えます。政府の集団的自衛権の議論がなんとなくおかしいと思っている国民は、少なくありません。その見方には確かな憲法の裏付けがあると、自信を持ってほしい。政府は、仮に国会で採決して法律を制定した後も当然、「合憲だ」と説明し続けるでしょう。でも、それが違憲だという憲法感覚を、国民が持ち続けられるかどうかが、その先の課題になる
 
 憲法学者の役割って何でしょう?
 6月4日の憲法審査会での憲法学者3人の意見表明の後、法案をめぐる議論の重点が「防衛上の必要」から「合憲性」へと移ったのはよかった。防衛上必要だからといって、憲法の枠を変えるのは、本末転倒の発想です。
 法律学者は、法律に関する事実、本当のことを明らかにすることが仕事です。3人の憲法学者も、聞かれたから本当のことを言ったまでなのです。