足尾銅山鉱毒事件と戦った田中正造の遺徳を偲ぶ市民グループ「田中正造大学」の開校30周年を祝う集いが6日、佐野市で開かれ、約90人が参加しました。
同組織はこれまでに市内の公民館などで100回以上、鉱毒事件の歴史や正造の思想を現代に生かす講座を開き、会報の講読会員は320人にのぼります。
1890年に衆議院議員になった田中正造は、11年に及ぶ議員活動の大半を鉱毒問題に費やし、議員を辞職した後も鉱毒被害を訴える活動はやめませんでした。
1906年に、遊水池になるために谷中村が強制廃村となった後も、政府の命令に反し谷中村に住み続け、そこが終の棲家となりました。財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときの全財産は、新約聖書、鼻紙、川海苔、日記3冊、小石3つなど、信玄袋1つ分でした※。
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田中正造から学び30年 大学開校 佐野で祝う集い【栃木】
東京新聞 2016年2月7日
足尾銅山鉱毒事件と戦った田中正造を「学長」と仰ぐ市民活動グループ「田中正造大学」(佐野市)の開校30周年を祝う集いが6日、佐野市城北地区公民館で開かれ、市内外から約90人が参加した。
田中正造大学は、鉱毒事件の歴史や正造の思想を現代に生かす講座を開くことを目的に坂原辰男事務局長(63)が開校。これまでに市内の公民館などで100回以上講座を開き、会報の講読会員は320人にのぼる。
集いでは友好団体の代表らが来賓のあいさつで「素晴らしい講座を毎年開き、会報もきちんと出している」「ぜひキャンパス、校舎を持ってもらい、日常的に学べるようにしてもらいたい」などと述べた。
坂原事務局長は「30年はあっという間にすぎてしまったように感じる」と振り返り、「3・11以降、正造があらためて注目されるようになった。これからますます正造の精神が求められると思うし、発信していかなければならない」と思いを語った。 (稲垣太郎)