2016年4月10日日曜日

栃木女児殺害事件の有罪判決に「部分録画」が大きく影響した

 2005年、栃木県の日光市で小学1年生の女の子が殺害された事件の裁判員裁判で、宇都宮地方裁判所は自白は信用できるとして、被告の無罪の主張を退けて無期懲役の判決を言い渡しました。
 
 ブログ:Everyone says I love you ! は、裁判員が物的証拠が少なく、決定的な証拠がなかった」が、被告が自白したシーンの「録画を見て判断が決まった」と述べていることなどを取り上げて、物的証拠が乏しくて自白しか有力な証拠がないというのはこれまでのえん罪事件の典型的なパターンであると述べました
 
 特にこの法廷では、自白シーンなどの7時間の録画記録が用いられて、それが結局裁判員裁判の有罪判決に大きく影響しました。しかし録画記録は全取り調べ時間の数十分の1にすぎないもので、被告側が主張している最初の自白が採取される前後の段階で利益誘導や暴行・威圧があったと言っている部分については録画がなく、検察にとって都合のよい場面だけが使用されたとしています。
 
 取り調べで検察に都合のよいところだけを「録画」する方法には、必ずこうした有害性が伴うので、弁護士会などは「部分録画」には反対しています(Everyone says I love you ! の著者も弁護士です)
 今回の裁判では早くもその弊害が現れました。使う以上は全取り調べ過程での録画が絶対的な条件になります。
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自白採取の録画が決定的証拠になった栃木女児殺害事件
自白偏重はえん罪の温床。危うい裁判員裁判
Everyone says I love you ! 2016年4月9日
 判決後行われた裁判員の方々の記者会見、特に、録音・録画について、ある裁判員が
「決定的な証拠がなかったが、録音・録画で判断が決まった」
と話したという文字が目に飛び込んできて、目がくらむというか、目の前が真っ暗になりました。
 決定的な証拠がなかったら有罪にしたらダメでしょう。
 
 判決は客観的証拠は状況証拠しかなく、しかも
「被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実は含まれていない」
と指摘し、客観的な証拠だけではこの被告人を犯人とは認定できないと述べています。
 ああ。これはえん罪の可能性があります。
 
 2005年に栃木県今市市(現日光市)で小学1年の女の子が下校途中に連れ去られ、茨城県で遺体で見つかった栃木女児殺害事件の裁判員裁判で、宇都宮地裁(松原里美裁判長)は2016年4月8日、殺人罪に問われた被告人(33)に対し、検察側の求刑通り無期懲役の判決を言い渡しました。
 事件から10年以上が経ち、凶器や被害者の遺留品などの直接的な物的証拠がない事件。別の裁判員は録音・録画を評価しながらも、
「抜けている部分が多いという印象を持った。もっと公開する範囲を広げてほしい」
「状況証拠のみだったら判断できなかった。最初の自白が抜けていて、やるならやるで録音・録画は全部徹底してやるべきだ」
と指摘しています。
 ここでも客観的証拠では判断できなかったと言っています。有罪判決は有罪の確信を抱かなければ出してはならないものですから、この事件で有罪判決を出してよかったのかが問われます。

 法廷で異例の7時間の録画再生が行なわれたと言いますが、最初に自白した場面の録画ではなく、しかも7時間なんて録画した取り調べの10分の1、全取り調べ時間の数十分の1にしかすぎません。
 捜査機関は都合のよい場面しか録画を証拠として提出しませんから、もっと見たいと裁判員の方々が感じたのは当たり前です。
 さらに別の裁判員も
「物的証拠が少なく、(判断が)より難しく感じ、はがゆかった」
と語ったというのですが、物的証拠が乏しくて、自白しか有力な証拠がないというのはこれまでのえん罪事件の典型的なパターンです。
 
 本件では、警察は録画をしておらず、検察も最初に自白した場面は録画していません
 ところが、被告人・弁護人側は、まさに最初の自白が採取される前後の段階で利益誘導や暴行・威圧があったと言っているのですが、肝心のそこの取り調べは録画がなく、検察にとって都合のよい場面だけ録画が出てきています
 
 自白を採取した取り調べ状況を、捜査機関が録音録画した映像がなければ判断が違っていたと裁判員が言っているのですから、これは本当に危ない。猛烈に嫌な予感がします。
 これまで何度も職業裁判官だけで判断される高裁でひっくり返ってきた裁判員裁判の判決。
 今回も東京高裁に期待した方がいいような気がします。
 
 強引な捜査でえん罪事件が起こると、被疑者・被告人にされた方にとっては当然大変な事態になるのですが、被害者遺族にとっても悲惨な苦痛を呼び起こすことになります。
 事件からますます時間が経って、真犯人が見つかる可能性は極めて少なくなり、自分のお子さんを殺害された苦しみに、さらに犯人がだれかわからないという苦悩が加わるからです。
 ですから、重大事件ほど慎重な捜査が求められるのですが、世論やマスコミが警察に犯人を捕まえろと責め立てるのが、かえって無理な捜査を招き、えん罪を生む原因の一つとして知られていることを、我々市民も肝に銘じなければなりません