翌日にも、「立法府の私がお答えのしようがない」と発言しました。
勿論彼は「立法府の長」などではありません。
頭脳の回路がおかしくなっているのでしょうか。
実は、安倍首相は第一次政権時代の10年前にも自分のことを「立法府の長」と言っていたそうです。
そうなると単なる言い間違いではなくて、「昔から立法府と行政府を混同している」という方が事実に近いことになります。
LITERA と Everyone says I love you ! の記事を紹介します。
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安倍首相がまた「私は立法府の長」発言!
たんなる言い間違いではない、三権分立を破壊する安倍政治の本質
LITERA 2016年5月19日
ほんとうにこの人は、どこまで無知を晒すのだろう。16日の衆院予算委員会で、またも安倍首相が驚くような発言を行った。
例の、民進党・山尾志桜里政調会長が安倍首相の政策を批判し、「女性活躍どころか“男尊女卑”政権だ」と突きつけた同じ委員会でのことだ。山尾議員は安倍首相に、なぜ保育問題に前向きに取り組まないのかと訴えたのだが、安倍首相は「山尾委員は議会の運営ということについて少し勉強していただいたほうがいいと思います」と前置きして、こう述べたのだ。
「議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」
国会中継を見ていた人は、思わず耳を疑い、フリーズしたに違いない。総理大臣は行政府(内閣)の長ではあるが、立法府(国会)の長では断じてないからだ。勉強したほうがいいのは間違いなく、安倍首相のほうである。
しかも嘆かわしいことに、翌日の参院予算委員会でも安倍首相は、安保法制採決時の議事録について質問を受けて、「立法府の私がお答えのしようがない」と回答。もはや自民党には「間違ってますよ」と注意する人間もいないということが露呈した。
だが、はたしてこの発言はたんなる言い間違いなのだろうか。というのも安倍首相は、2007年の日本国憲法に関する調査特別委、さらには今年4月18日のTPP特別委でも同様に「私が立法府の長」と発言。それらの際はその場で「立法府ではなく行政府」と指摘を受けているのだ。
国会という場で何度も間違って注意されているにもかかわらず、一向に正す気配がない。これは、わたしたちの想像の域をはるかに超えたおたんこなす宰相の証拠であるような気もするが、もうひとつ、可能性がある。それは、この総理が自分は事実上の「立法府の長」だと思っている、ということだ。いや、三権分立などを超えて、本気でこの人はあらゆる権力を握っていると盲信しているのではないか。
たとえば、2014年2月12日の国会で言い放った「(憲法解釈の)最高責任者は私です」という発言はどうだ。
このとき安倍首相は、これまでの政府見解を180度方向転換して集団的自衛権の行使を解釈の変更だけで可能にすることの問題を追及され、「私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです、私なんです」とブチ切れた。
このような安倍首相をはじめとする政権から飛び出したトンデモ発言を検証した『これでいいのか!日本の民主主義 失言・名言から読み解く憲法』(榎澤幸広、奥田喜道、飯島滋明・編著/現代人文社)では、この「最高責任者は私です」発言について、〈最後は国民の審判を仰ぐのだから(民主主義)、何でも彼でも為し得るのか。そこには何ら限界はないのか〉と問題にする。
そもそも、憲法は権力を縛るものとして存在する。つまり「俺が最高責任者だ」などと言って暴走する権力者に歯止めをかけているのだが、自民党の憲法改正草案はいわば「俺が最高責任者だ」化させる内容になっている。
〈自民党の改憲草案72条では、首相がリーダーシップを発揮し易いように、閣議に諮らないでも首相が単独で決定できる「専権事項」を増設しています。また、これまで政府見解として積み上げてきた、憲法の枠内で可能な自衛権行使の範囲や自衛隊の海外派遣のあり方の憲法解釈についても、集団的自衛権行使容認に好都合なように人事権を発動し、その下で政府見解を変え、その過程の記録は残すことなく閣議決定の結果のみ国民に知らせるということを、選挙で勝ったこと(民主的正統性)を根拠としてやってのけてしまうわけです〉
さらに恐ろしいのは、昨年3月20日の国会で口にした「我が軍」発言だろう。言うまでもなくこの国に「軍」はないのだが、既報の通り、安倍首相は今年の防衛大学校での卒業式でも自衛隊を自分の“私兵”扱いまでしている。
たしかに自衛隊の最高指揮官は総理大臣だが、かといって自衛隊を私兵扱いし、何でも思うままにできるわけではない。軍の暴走を防ぐ「文民統制」(シビリアン・コントロール)の下では、〈主権者である国民が最終的判断・決定権を持つという基本原則〉があり、軍事組織の構成員は情報を開示した上で〈国会(国民)の判断と決定を仰ぐ〉必要があるからだ。
しかし、安倍政権は昨年9月に可決した防衛省設置法改正法案によって「文官統制」(自衛隊の運用にあたって内閣の補佐を文官=官僚が行うこと)を廃止。そのほか法制によって〈議会政治プロセスの抜き取り〉を行い、シビリアン・コントロールを弱めてしまった。中谷元防衛相は「(文官統制は戦前の)軍部暴走の反省とは思わない」と発言しているが、こうした認識で文民統制が軽んじられ、特定秘密保護法によって自衛隊の出動などの情報が隠蔽されれば、一体どうなるのか。国民を無視した総理直轄の「我が軍」になってしまうのではと不安になるのも当然の話だ。
この防衛省設置法改正法や特定秘密保護法、安保法制の成立によって、次々にフリーハンドを得てきた安倍首相。そしてこれから突き進もうとしている憲法改正、なかでも改憲の入口と考えている緊急事態条項の新設が叶えば、三権分立は制限され内閣に権力が集中、事実上の独裁状態を可能にする。ある意味で「立法府の長」よりも強い権力をもつことができるのだ。
夢にまでみた悲願の改憲が、手の届きそうなところまでやってきた。そうした現状に浮かれ、あらゆる権力は手中にあると図にのっているからこそ、立法府だろうが行政府だろうが知ったことではない、などと安倍首相は軽く考えているのではないか。
気分はもう独裁者──今回の「私は立法府の長」や過去の発言を振り返ると、そう思えてくるのだ。 (水井多賀子)
山尾政調会長に「議会の運営について勉強しろ」と諭した安倍首相が連日「自分は立法府の長」と大ブーメラン
Everyone says I love you ! 2016年5月18日
安倍首相が2016年5月16日の衆院予算委員会で、民進党の山尾志桜里政調会長を「勉強不足」と指摘しながら、内閣総理大臣であって行政府の長である自身を「立法府の長」と混同して発言したことが話題になりました。
もちろん、立法府の長は衆院両議院の長である衆参両議長です。
このうち16日の発言は、民進党が提出した保育士給与を引き上げる法案が審議入りしないことについて、山尾しおりんが
「委員会が決めることと言って逃げている」
と首相を批判したことに対する答弁で、安倍首相は尊大にも
「議会の運営について少し勉強して頂いた方がいい。議会については、私は『立法府の長』。立法府と行政府は別の権威。(国会での)議論の順番について私がどうこう言うことはない」
と反論しました。
「勉強していただいた方がいいのはどっちですか」、とここでしおりんが気づいて逆ねじを食わせたら痛快だったのですが、その場で気づいたのは石破茂大臣のみだった?
そして、さらに翌日の5月17日の参院予算委で、民進の福山哲郎氏が安全保障法制採決の議事録について質問した際にも、安倍首相は
「立法府の私がお答えのしようがない」
と答弁しました。
これも、国会の議事録は立法府の問題だから、行政府の長である私にはお答えのしようがない、でないと意味がつながりません。
そして、いずれにしても安倍首相の言い逃れがおかしいのは、安倍首相は内閣総理大臣であるだけでなく、与党である自民党の総裁ですからね。国会議員であり与党のトップでもあるのですから、国会のことはあずかり知らぬでは通りません。
ちなみに末尾の記事にもありますように、安倍首相は第一次政権時代の10年前にも、自分のことを立法府の長と言っていたそうです。
こうなると、単なる言い間違いではなくて、昔から立法府と行政府を混同しているわけで、安倍総理は国会が終わったら豪華な会食をするのを控えて、夜間中学に入って公民の授業を受けなおした方がいいのではないでしょうか。
先月の4月18日、衆議院TPP特別委員会でも「立法府の長として」と言ってる。9分25秒あたり。もう何をかいわんや。
相手の程度が低すぎて、それに合わせて追及していくのが大変そうです。