2016年5月25日水曜日

「小さな人権」とは 緊急時なら制限されてもいい…?

 毎日新聞の電子版は有料となったため、多くの記事が読めなくなりました。しかし記事によってはほぼ全文を公開することもあります。
 23日付の夕刊記事:「自民党『憲法改正草案Q&A』への疑問 『小さな人権』とは 緊急時なら制限されてもいい…?」が公開されましたので紹介します。
 
 自民党の改憲草案を解説する冊子「改正草案Q&A」の中にある、「大災害などの緊急時には生命、身体、財産という大きな人権を守るため、小さな人権がやむなく制限されることもあり得るという部分について、その考え方の危険性を識者たちが指摘しています。
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自民党「憲法改正草案Q&A」への疑問
「小さな人権」とは 緊急時なら制限されてもいい…?
毎日新聞 2016年5月23日
 思わず首をかしげてしまった。「大きな人権」と「小さな人権」が存在するというのである。この表現は、自民党が憲法改正草案を解説するために作成した冊子「改正草案Q&A」の中で見つけた。大災害などの緊急時には「生命、身体、財産という大きな人権を守るため、小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」というのだ。そもそも人権は大小に分けることができるのだろうか。【江畑佳明】 
 
脅かされる「表現の自由」「個の尊重」/平常時にも制約受ける恐れ 
 まずは「改正草案Q&A」を見てみよう。「大きな人権」と「小さな人権」が記されているのは、外部からの武力攻撃、内乱などの社会秩序の混乱、大災害などの際、一時的に人権を制限し、内閣に権限を集中させる緊急事態条項を説明する項目だ。政府・自民党は熊本地震後、円滑に人命救助や復興作業を進めるために必要な条文だとの訴えを強めている。 
 Q&Aでは「国民の生命、身体、財産の保護は、平常時のみならず、緊急時においても国家の最も重要な役割です」と説明している。ここまでは疑問なく読めるのだが、次の説明がひっかかる。 
 「『緊急事態であっても、基本的人権は制限すべきではない』との意見もありますが、国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得るものと考えます」 
 自民党が考える「大きな人権」は分かったが、「小さな人権」は不明だ。 
 
 そこで自民党の憲法改正推進本部に問い合わせた。でも、担当者は「書いてある通りにご理解いただければ、大変助かります」と繰り返すばかり。Q&Aを読んでも理解できないから質問したのに……。 
 人権を分ける考えについて、改憲草案の作成に深く携わった礒崎陽輔・党憲法改正推進本部副本部長は、緊急事態条項に関する毎日新聞のインタビュー(4月29日朝刊)でこう答えている。「国家の崇高で重い役割の一つは、国民の生命、身体、財産を守ることにある。小さな人権が侵害されることはあるかもしれないが、国民を守れなければ、立憲主義も何もない」 
 
 この考え方に真っ向から反対するのが、一橋大教授の阪口正二郎さん(憲法学)。「人権に大小の区別はありません」と断定する。 
 現行憲法は、思想・良心の自由▽信教の自由▽表現の自由▽財産権を含む経済的自由−−など多様な権利を保障している。阪口さんは「表現の自由は民主主義を支えるために不可欠であり、万一制約されても民主主義さえ機能していれば政治過程で回復可能な財産権よりも、手厚く保護すべきだという議論はあります。ですが、人権に大小があるという話は聞いたことがない」と説明する。 
 阪口さんが特に危惧するのが、緊急時に表現の自由が「小さな人権だ」として制限される可能性があることだ。「財産権を『大きな人権』に位置付け、『財産権という大きな人権を守るため』と表現の自由が制限されていいというのは、全く逆です」 
 
 重要な人権が制限されかねないと、なぜ阪口さんは考えるのか。「この『Q&A』では『(人権は生まれながらに誰もが持っているという)西欧の天賦人権説に基づく規定は改める必要がある』と書いており、国民に憲法尊重義務を新たに課すと主張するなど、人権より国家が優位だと考えている印象を受けます。そこで『国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るため』という部分を、『国家を守るため』と読み替えてみると、その意図がはっきりします」 
 そしてこう続けた。「緊急事態条項の目的は国家を守ること。『危機にある国家を守らねばならないから、国家を批判する言動は控えろ』と、表現の自由などの人権を制限しかねない。個人の人権よりも国家の意思を優先させ、物事を進めたいのが本音ではないでしょうか」 
 「国あっての人権」。阪口さんはそれを「人類普遍の原理であるはずの人権思想からの決別」と呼んだ。 
 
 「人権に大小をつける考え方には、自民党の人権観が表れている」と、1票の格差問題などの違憲訴訟に数多く携わってきた伊藤真弁護士は指摘する。「『大きな人権のために小さな人権は制限されてもいい』という発想は、緊急時だけにとどまるものではありません。この考え方を認めてしまえば、平常時においても『これは小さな人権だから尊重しなくてもいい』という考えにつながりかねない」。人権軽視が横行する世の中になりかねないというのだ。 
 
 改憲草案で見逃せない点は他にもある。「すべて国民は、個人として尊重される」と定めた13条の改変と、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とした97条の削除だ。
 伊藤さんは「13条について、改憲草案では『個』を外して『人』に変更しました。憲法が想定する『自立した個人』の存在をなくす考え方で、個人主義を否定しています。さらに97条を削除したことは、人権の普遍性を否定したも同じ。その上で『人権の大小』を設けるというのは、人権尊重の思想に背を向ける行為です」と語る。 
 
 ここまで論じたように、万一、改憲草案が現実化したら、人権が制限される懸念は高まりそうだ。その一方で「改憲を先取りするかのように、人権の制限は既に進められている」との声も出ている。 
 貧困に苦しむ人たちを支援するNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」理事の稲葉剛(つよし)さんは「安倍晋三政権は生活保護の支給額を段階的に引き下げています。さらに2013年の改正生活保護法で、親族の援助が受けられない時は、福祉事務所がその理由の報告を求めることができるようになりました。これでは生活保護の申請をためらう事態になりかねない。憲法25条の生存権、『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』が脅かされつつあるのです」と実情を訴える。 
 稲葉さんは改憲草案が「家族のあり方」に手をつけることにも危機感を抱く。改憲草案では24条で「家族は互いに助け合わねばならない」とする。この狙いを「貧困により家族の支えが限界に来ているという現実を直視せず、自らが理想とする家族像を押し付けようとしているのではないでしょうか。国には尊厳ある個人の生存権を保障するよう努める義務があるにもかかわらず、『家族なんだから助け合いなさい』とその責任を家族に転嫁したい意図を感じます」とみる。 
 
 「小さな人権」を認めれば、社会的に弱い立場の人たちの人権が「小さい」と判断されてしまうかもしれない。 
 人権は常に制約される可能性がある。改憲反対や脱原発をテーマにした市民集会を巡り、自治体が「政治的中立」などの理由で公的施設の利用に難色を示すケースが出ている。表現の自由や集会の自由が「小さな人権」と制約を受け続けたら……。 
 Q&Aでは「人権は、人間であることによって当然に有するもの」と基本的人権を尊重する姿勢は変わらないと記している。であれば、「人権の大小」という発想自体、生まれてこないのではないか。