「戦争をさせない1000人委員会」のホームページ(HP)に、同会事務局次長の飯島滋明・名古屋学院大学准教授による論文:「憲法改正による緊急事態条項の導入の是非について」が掲載されましたので紹介します。
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憲法改正による緊急事態条項の導入の是非について
戦争をさせない1000人委員会HP 2015年5月15日
現在すすめられている改憲に向けた動きの中で、まずは賛同を得やすいもので「憲法改正の慣らし運転」をしようという策動があります。「環境権」や「プライバシー権」などにならんでこの間取り沙汰されているものが、「緊急事態条項」です。しかし、これは基本的人権を侵害するおそれの大きいものです。
戦争をさせない1000人委員会事務局次長の飯島滋明さん(名古屋学院大学准教授)より、緊急事態条項導入の危険性についての論考を寄せていただきましたので、掲載します。
憲法改正による緊急事態条項の導入の是非について
飯島滋明 名古屋学院大学准教授
(戦争をさせない1000人委員会事務局次長)
はじめに
2015年5月7日、衆議院の憲法審査会は自由討論を行ない、実質審議に入った。この審議では、環境権や財政規律条項、プライバシー権や憲法裁判所の設置などが議論されたが、自民党、公明党、維新の会、次世代の党が一致して必要性に言及したのは「緊急事態条項」であった。
戦争・内乱・恐慌や大規模な自然災害などの緊急事態の際、通常は認められない非常措置を国家機関、とくに首相がとる権限が「緊急事態条項」と言われる。阪神・淡路大震災や東日本大震災などの自然災害を例にあげ、今の憲法には「緊急事態条項」がないからこうした自然災害に迅速に対応できなかった、だから憲法を改正して緊急事態条項を導入すべきだと言われると、納得してしまう人も少なくないかもしれない。では、緊急事態条項を導入すれば、緊急事態に迅速に対処でき、市民の生命と安全が守られるのか。ここではヴァイマール共和国時代の緊急事態条項の行使と、フランス第5共和制下での行使の実態から考えてみよう。
ヴァイマール憲法48条の緊急事態条項の行使について
1919年のドイツの憲法であるヴァイマール憲法。直接民主制的な制度が多く採用されたことなどから、当時、「最も民主的な憲法」と言われた。また、「社会権」に関する規定なども導入されたことから、当時、「最も進歩的な憲法」とも言われた。こうしたヴァイマール憲法が14年で実質的なとどめを刺され、ヒトラーが台頭したのはなぜか。理由は複合的であり、さまざまな要因が挙げられているが、憲法上の原因としては、48条の緊急事態条項が理由とされている。では、このヴァイマール憲法48条はどのように使われたのか。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーは政権の座につくと2月1日に国会を解散し、総選挙を3月5日と決定した。総選挙までの1ヶ月間、ナチスは反対党、特に共産党、社会民主党の党本部、印刷所、集会、行進に対して凄まじいテロ行為を縦横無尽に行った(いわゆる「下からの革命」( Revolution von unten ))。しかし、政敵の政治活動を妨害するためにテロ以上の役割を果たしたのは緊急事態条項であった。例えば表現の自由に関しては、ナチスが最初に言論の自由を蹂躙したときに法的根拠としたのはヴァイマール憲法48条であり、3月5日の投票日までに108紙が発禁処分を受けた。発行部数にして200万部が犠牲になった。2月27日には国会が炎上する事件が起こった。ナチスは国会炎上事件を政治的に利用した。合法的に政敵を排斥するために出されたのが翌28日の、通称「国会炎上命令」( Reichstagsbrandverordnung )であった。「共産主義的な、国家を危機に陥れる暴力行為から防御するため」(前文)に出されたこの命令では、基本権の制約は「それらについてその他の法律で規定された限度を越えても許される」(1条)とされた。1993年3月から4月までには約25000人が、そして秋までに約10万人が国会炎上命令に基づき「保護検束」された。国会選挙の1週間前、集会の禁止と出版禁止によって共産党と社会民主党の選挙戦は著しく麻痺させられるに至った。
ヒトラーの独裁を可能にさせたことで名高い、「国民と国家の困難を除去するための法律」( Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich )、いわゆる「授権法」( Ermächtigungsgesetz )の成立は、緊急事態条項を根拠とする大統領命令に大きく依存していた。
1933年3月5日の選挙では、ナチスが獲得したのは総議席数647人中288と過半数にも至らなかった。逆に共産党と社会民主党は両者併せて憲法改正を阻止するのに必要な3分の1近い議席を確保した(社会民主党120議席、共産党81議席)。あと15人の同調者がいれば社民党と共産党は「授権法」の成立を阻止できる情況にあった。「授権法」を成立させるため、ヒトラーは新国会召集の前に、2月28日の命令を根拠に共産党の全議員81人や数名の社会民主党員を逮捕するとともに、共産党の全議席を無効とする措置をとった。このような状況下で「授権法」が国会で審議された。その結果、ヴァイマール憲法の息の根を止めることになる「授権法」は441対94(反対は社会民主党だけ)という圧倒的多数で3月23日に国会で可決された。
フランス第5共和政憲法16条の行使の状況
今度はフランス第5共和政憲法での緊急事態条項の行使の状況を紹介しよう。いまのフランス憲法である第5共和制憲法はアルジェリアを巡る危機の中で誕生した憲法であり、36条の「戒厳令」( l’état de siège )など緊急事態に備えた条文が幾つか存在する。その中でも中心的な役割を果たすのは第16条の「緊急権」である。第5共和制憲法16条は1961年4月に、シャル( Challe )、サラン( Salan )、ジュオウ( Jouhaud )、ゼレル( Zeller )ら4人の将軍による反乱に際して行使された。1961年4月21日深夜、外人部隊の第一空挺連隊によりアルジェリアの主要官庁が占領され、「政府代表」モラン( Morin )、総司令官ガンビエ将軍などが逮捕された。翌朝、4人の将軍の名において「最高司令部」( haut commandement )の設立が宣言され、最高司令部はアルジェリアに「戒厳令」を布告した。ゼレルはラジオで「フランスのアルジェリア」以外に平和的解決はありえないと演説した。さらに反乱軍は本国の軍極右分子と連繋しパリ進撃の気配を見せた。こうした状況で、大統領ド・ゴールはラジオ放送を通じて憲法16条による緊急権の行使を発表し、反乱軍の粉砕を表明した。反乱は数日で終息したが、4月23日に発動された緊急権は9月30日まで適用された。この緊急権の行使の状況などについては、当時フランスにいた樋口陽一東京大学名誉教授は以下のような状況を紹介している(樋口 陽一「現代の改憲論と有事法制」『世界』1999年11月号44頁)。
「フランスでは1961年10月17日、私〔樋口陽一〕は実地でそれを目撃していたのですが、アルジェリア独立運動の大デモストレーションが警官隊と衝突して3人が死んだと公表されていました。ところが最近になって政府の求めによって作成された報告書では、少なくとも48人が警察によって殺されたとなっている。これは憲法16条の緊急権の発動によるものです。40年近く経ってから、政府筋が公式にこういった事件の真相を追究しようとするような国でも、緊急権というのはこれだけ危ないことを引き起こすのです」(〔 〕は飯島による補足)
この事件では、警察官によって「リンチ」、「水死」( noyades )、「略奪」といった「あらゆる種類の暴力行為」( L’année politique,1961,p.137. )、「銃撃や拷問」(渡邊 啓貴『フランス現代史 ――英雄の時代から保革共存へ ――』(中公新書、1998年)115頁)等が行われた。
戦争遂行を容易にする「緊急事態条項」
憲法改正による「緊急事態条項」導入も、実は戦争遂行を容易にするための法整備であることを認識する必要がある。
自民党が2012年に発表した自民党「憲法改正草案」99条では、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とされている。ナチスの独裁を可能にさせた、いわゆる「全権委任法」1条と同じような内容となっており、行政権が立法権を行使できる規定となっている。財政に関しては、「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い」との規定を根拠に、内閣総理大臣は戦争などの「緊急事態」の際に「財政国会中心主義」(憲法83条)を棚上げにして戦争遂行のための財政を執行したり、「租税法律主義」(憲法84条)を棚上げにして戦争のための税や物資などを国会の関与なしに市民から徴収することも可能になる。
おわりに
以上、緊急事態条項について紹介した。東日本大震災などを例にあげ、憲法を改正して緊急事態条項を導入すべきと言われると、納得する人も少なくないかもしれない。しかし、ヒトラーによる緊急事態条項の濫用や、アルジェリアをめぐるフランス第5共和政憲法16条の行使の状況をみれば、緊急事態条項が個人の権利・自由を守るどころか、「緊急事態」を名目に、基本的人権の侵害、とりわけ権力者にとって目障りな存在の権利を侵害し、政敵排除の手段として濫用されてきたことが分かるであろう。その上、自民党憲法草案にあるように、戦争遂行のために「緊急事態条項」が利用され、戦争遂行のための財政を執行したり、税や物資などを国会の関与なしに市民から徴収することも可能になる。こうした緊急事態条項を導入することは妥当なのか。緊急事態条項がないと緊急事態に対処できないと言われることがあるが、本当なのか。「国の緊急事態としては、大規模なテロ、騒乱、大きな自然災害や原発関連施設での重大、広範囲な事故の発生」などが挙げられるが、「大規模なテロ、騒乱」に関しては、刑法の傷害罪や殺人罪、騒擾罪、さらには警察法に基づき「緊急事態」の布告を発し(警察法71条)、「一時的に警察を統制」する権限(警察法72条)が認められ、国内の内乱・騒擾のために自衛隊法には治安出動(自衛隊法78条、81条)の規定がある。「自然災害」等も最終的には首相は緊急災害対策本部を設置して自ら指揮をとり(災害対策基本法107条)、自衛隊、警察等を指揮できる(自衛隊法83条、警察法71、2条)。阪神・淡路大震災に関しても、迅速な対応をとった市の被害が少ないことが指摘されているし、淡路島では消防団の活躍により、即死者以外ほとんど死者を出さなかったことが脚光を浴びた。こうした事実が示すのは、災害による被害の拡大の原因が法制度の不備というよりも、制度の運用の仕方にあることではないだろうか。
このように、憲法改正をしなくても、自然災害などには現行法で対応が可能である。にもかかわらず、緊急事態の際に首相に無制限の権限を与えて一気に事態に対処する可能性を認める緊急事態条項を憲法改正で導入すれば、緊急事態に対処する以前に日本社会そのものが危機に陥る危険性があろう。そして、憲法改正には国民投票が必要だが(96条)、緊急事態条項の危険性が主権者である国民に十分に認識されないうちに、憲法改正国民投票が行われる可能性がある。「改憲手続法」(憲法改正国民投票法)では、憲法改正を発議した日から60日以降180日以内と、短い期間に憲法改正国民投票が行われることになっている(2条1項)。その上、憲法改正に賛成の意見が大々的に流布される一方、憲法改正に反対の見解がほとんど流布されないなど、不公平な国民投票のしくみになっている。そこで、憲法改正国民投票が目指されている項目である、緊急事態条項の危険性を今から主権者である国民に周知させるとりくみが必要となろう。