琉球新報が「緊急事態条項は危険だ 人権無き改憲は許されない」とする社説を掲げました。
緊急事態条項の恐るべき害悪については徐々に国民に知られつつありますが、琉球新報の社説は自民党改憲案による緊急事態条項では、「地方自治体の長に必要な指示を出すことができる」=地方自治権をはく奪できる=点をとらえて、米国の高等弁務官が万能の権力者であって、全ての権利が抑圧された米軍統治下の沖縄の戦後史の実態を記述しています。
布令一つで沖縄側の権利を剥奪でき、民間地を次々に接収し基地を造成し、反対する住民は「銃剣とブルドーザー」で強制的に排除した。米軍に不都合な出版物は弾圧され、大学や高校の文芸誌や小学校のPTA通信までが検閲の対象になり、米軍の軍用地料一括払い反対の集会に参加しただけで、大学生は大学を退学させられた。
政府が万能の権力を握るとどうなるかは沖縄の歴史が証明しているのだ、と。
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<社説>憲法記念日 緊急事態条項は危険だ 人権無き改憲は許されない
琉球新報 2016年5月3日
憲法記念日が巡ってきた。今年はとりわけ感慨深い。今夏の参院選の最大の争点が憲法改正だからだ。安倍晋三首相は「憲法改正を参院選の公約に掲げて訴える」「在任中に(改憲を)成し遂げたい」と明確に打ち出している。
改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要だ。衆院は改憲賛成派が既に3分の2を占めるから、焦点は参院だ。安保法制に賛成した党は非改選121議席のうち86を占める。残りは76議席だ。3年前の参院選より10議席少ない結果で発議できることになる。
憲法の価値はどこにあるか。その第一の役目は何か。この機会にあらためて考えたい。
地方自治の否定
安倍政権は当初、憲法改正の要件を定める憲法96条を改定しようとして失敗した。すると次に憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を可能にした。海外派兵できるようにし、日本が攻撃されたわけでないのに参戦できるようにした。
今度は解釈改憲でなく、本格的に憲法の条文を変えようという方針だ。首相らはその突破口に緊急事態条項を位置付けている。
自民党の憲法改正草案98条によると、国会の事前同意がなくても、閣議だけで首相は緊急事態宣言を出すことができる。すると内閣は、法律と同じ効力を持つ政令を制定することができる。国会は唯一の立法機関だが、内閣が立法権を国会から奪うに等しい。
草案は「地方自治体の長に必要な指示を出すことができる」とも定める。ドイツの例を思い出す。
ナチスは政権を握った途端、地方への命令権を駆使し、首長を罷免するなどして地方政府を次々に掌握した。今なら辺野古新基地問題で対立する翁長雄志知事を一方的に罷免するようなものだ。
自民党の草案には「何人も国の指示に従わなければならない」ともあるから、国民は絶対服従を強いられる。基本的人権については「保障」が解除され、「尊重」に格下げされる。政府は「人権侵害をしてはならない」という禁止から解放され、「尊重するけど、どうしても必要なら人権侵害してもいい」ことになる。
安倍首相は「緊急事態に関する(規定は)諸外国で多くの例がある」と言う。だが米国では議会招集権限を持たない大統領が招集できるとする程度だ。ドイツも州議会から連邦議会に権限を移す程度である。立法権を政府が一方的に握るわけではない。立法権を持つとする国も期限や制約があるのが普通だ。だが自民党の草案は制約がなく、何回でも更新できるから事実上無期限に万能の権力を振るえる。危険なことおびただしい。
国民束縛の方向
言うまでもなく憲法の意義は政治権力者を縛ることにある。それが立憲主義だ。だが「国民は公益及び公の秩序に反してはならない」と定めるように、自民党の改憲草案は明らかに政府を縛るより国民を縛る方向を志向している。
沖縄の戦後史を想起する。米国の施政権下では、沖縄の人々の基本的人権は制限され続けた。
米国の高等弁務官は万能の権力者だった。立法院の立法も高等弁務官が恣意(しい)的に拒否できた。沖縄の人々は、琉球政府の主席を選挙で選ぶことすら許されなかった。
米国は沖縄の人に何ら諮ることなく、布令一つで沖縄側の権利を剥奪できた。代表例が1953年の土地収用令だ。小禄村具志、伊江村真謝・西崎、宜野湾村伊佐浜(いずれも当時)などの民間地を次々に接収し、基地を造成した。反対する住民は「銃剣とブルドーザー」で強制的に排除した。
米軍に不都合な出版物は弾圧された。大学や高校の文芸誌や小学校のPTA通信までが検閲の対象だった。米軍の軍用地料一括払い反対の集会に参加しただけで、大学生は大学を退学させられた。
政府が万能の権力を握るとどうなるかは沖縄の歴史が証明しているのだ。人権の「保障」無き改憲は断じて許してはならない。