黒岩神奈川県知事が出した「50歳未満は自主療養」の対処方針は、「限られた医療資源をリスクの高い方へ重点的に提供する」ためだった筈です。横浜市は2月6日、介護施設で3日から5日にかけて7人が死亡したと公表しました。死因は「呼吸不全」で、コロナのクラスター感染が起きて7人が在室のまま肺炎で死亡したのでした。結局「リスクの高い人たちへの医療の提供」はありませんでした。
新自由主義の伏魔殿である大阪府のコロナ死亡者数は、他都道府県に抜きん出て多く、2月以降、1日18人、2日19人、3日13人、5日23人、7日16人、8日29人と連日2桁を記録しています。昨年、新型コロナで国内でダントツの犠牲者を出した反省は見られません。
浜松医療センターの矢野邦夫氏は、「大阪の死者数の数字は反省すべき数字です。死亡者を減らすには、重症化しそうな人を早く見つけて、早く治療するというのが重要です。大阪はリスクの高い患者を見守る体制ができていない」と指摘しています。
世に倦む日々氏が取り上げました。
同氏は、「黒岩祐治や橋下徹や吉村洋文のコロナ政策の真意は、構わないからコロナに罹った弱者は死んで行けという考え方である。行政がいちいち病気に罹った住民の面倒を見れるかという発想と立場であり、それは社会主義だからやめとけという思想と情念だ」と批判しています。
「彼らの狙いは、一日の死者数が1000人の水準で続いても、国民もマスコミも顔色一つ変えずに『経済を回す』社会」であるとして、「新型コロナ感染症の5類移行を法改正の手続きもなしに強引に実践している」とも述べています。
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事実上の5類移行とその既成事実化 - 弱者は勝手に感染して早く死ね
世に倦む日々 2022-02-08
昨夏の東京五輪のときと情景がよく似ている。あのとき、第5波の感染が拡大し、自宅療養者が溢れて死者が次々と出た。政府と自治体は棄民政策を遂行していた。被害が深刻化しているのにマスコミは正しく実態を報道せず、東京五輪の「熱狂」ばかりでテレビを埋めていた。今回は第6波と北京五輪が重なっている。ワイドショーは第6波の現場を取材せず、五輪の日本人選手ばかりを追って映している。NHKと民放の夜のテレビ報道は、北京五輪に難癖をつけて貶める x minutes china hate (⇒中国ヘイトの時間帯)を毎晩流している。
昨夏は東京五輪を賛歌するプロパガンダだった。今冬は北京五輪を悪罵するプロパガンダだ。そこに視聴者国民の関心を押し向け、第6波の真実から目を逸らさせている。マスク(遮蔽)している。そのため、オミクロン株の脅威が国民の中に伝わらない。統計を確認すると、2/5の死者数は117人で、第5波のときの9/8の89人を超えている。死者数はこれから増加し、第5波を圧倒する規模の惨禍となるに違いない。だが、社会に緊張感と警戒感がまるでない。増幅し過熱し沸騰しているのは中国への敵意と憎悪だけだ。
2月6日、横浜市の介護施設で7人死亡したという報道が出ている。が、6日は日曜日で、翌7日のモーニングショーでも話題にならなかった。おそらく、神奈川県とマスコミは、わざと日曜に小さな報道に収まるよう細工したのだろう。記事を見ると、7人は3日から5日にかけて死亡していて、死因は「呼吸不全」とされている。実際は肺炎だろう。肺炎と診断しないのは、本当はコロナの重症患者だったのに、入院させてなかった神奈川県の不作為と失態が露呈し、責任を問われるからだ。7人の高齢者は見殺しにされた疑いがある。
神奈川県が出した「自主療養」の新対処方針には、「限られた医療資源をリスクの高い方へ重点的に提供したいと考えております」と書かれてある。このことは、1月28日に報ステに生出演した阿南英明(県医療危機対策統括官)が明確に述べていた。50歳未満を「自主療養」にし、医療提供から切断して自宅に押し込めたのは、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患を持った者の命を守るためのはずだった。それが理由で大義名分だった。だが、そこから10日も経ってないのに、高齢者施設で7人もコロナで亡くなっている。病院にも入れずに。これはどういうことなのか。
7日の記事を見ると、神奈川県の病床使用率は63.5%で、重症患者用の病床使用率は32.8%という数字が出ている。県全体では病床に3分の1の空きがあり、重症病床では3分の2の余裕がある。そう報告されている。なぜ、この高齢者施設の7人は病院搬送されず、救命治療を受けられなかったのだろうか。そもそもPCR検査は事前に手当されていたのだろうか。「呼吸不全」になる前に、県(統括官)の手配でブースター接種を受けられなかったのか。疑問は残る。いつも思うことだが、神奈川県議会の野党はどういう質疑をしているのか。カナロコの記者は定例会見で何を質問しているのか。
ネオリベ伏魔殿の西の雄である大阪府を見ると、やはり死者数の異常な多さに注目が向かう。2/1に18人、2/2に19人、2/3に13人、2/5に23人、2/7に16人、2/8は29人と、連日二桁を記録していて、他都道府県に抜きん出て犠牲者が多い。5ch掲示板の右翼雀が、例によって「吉村はん、よう殺っとる」と揶揄している。一週間前(2/2)の情報だが、浜松医療センターの矢野邦夫がこうコメントしていた。
「大阪の死者数の数字は反省すべき数字です。死亡者を減らすには、重症化しそうな人を早く見つけて、早く治療するというのが重要です。大阪(略)はリスクの高い患者を見守る体制ができていない。」 |
なぜ大阪府でいつもこれほどコロナの死亡者が多いのか。昨年もそうだった。偶然ではなく、何か公衆衛生行政上の原因があり、不全遺失の結果を招くポリシーとイデオロギーが介在しているのではないか。もし、それがあるとすれば、神奈川県も同様だろうと類推される。「重症化リスクの高い者に医療資源を集中させる」と口では言いつつ、実際にはそれを行ってないのだ。欺瞞なのだ。重症化リスクの高い高齢者もケアせず放置しているのであり、コロナ感染から守ろうとしていない。何もしていない。意図的に、故意に無策を敢行している。
その真実を証明し、問題の本質を浮かび上がらせる説明が、矢野邦夫の指摘を紹介したAERAの記事の中にあり、なるほどと得心させられる。沖縄県で死者数が少ないのは、リスクの高い高齢者に率先して3回目接種を行っているからであり、行政が注意深く目を配って高齢者の感染を抑えているからだ。3週間ほど前、1月中旬のテレビ報道を思い出すと、沖縄の看護師が高齢者施設を直接訪問している様子が映し出されていた。ワクチンやPCR検査の医療資源をそこに集中投入していた。重点的に先手を打っていたのである。だから、沖縄県では第6波の死者数が少ないのだ。
けれども、われわれはその要点を勘違いしていて、沖縄で死者数が少ないのは、オミクロン株の特性によるものだと理解(誤解)している。そのように松原耕二を始めとするマスコミ論者が報道していて、その説明に頷いて納得してしまっている。沖縄はオミ株感染が先行して流行した地域であり、それゆえ、沖縄での現象と経過が全国の今後を予測する一般的法則性を提供するものと信じ込んでしまっている。ピークアウトまでの時間幅や下降カーブの傾斜角や、その後の重症者数・死亡者数発生の程度や傾向も、沖縄の結果に従って進行するものと決めつけて楽観してしまっている。テレビ論者の罪は大きい。
前回のブログで「死屍累々の2月」と書いた。表現が大袈裟かなという気もするが、今日(2/8)の尾身茂の国会答弁を聞いていると、実際にそうなる可能性が高いと憂慮を深めざるを得ない。黒岩祐治や橋下徹や吉村洋文のコロナ政策の真意は、構わないからコロナに罹った弱者は死んで行けという考え方である。行政がいちいち病気に罹った住民の面倒を見れるかという発想と立場であり、それは社会主義だからやめとけという思想と情念だ。英米欧と同じ対策と環境にしろ、コロナの規制を撤廃しろという主張だ。彼らの狙いは、一日の死者数が1000人の水準で続いても、国民もマスコミも顔色一つ変えずに「経済を回す」社会である。
その日常の定着が彼らの達成目標だ。アメリカでは一日3000人の死者が出ている。人口換算すると日本では一日1000人の死者数になる。想像を絶する阿鼻叫喚の地獄図だが、アメリカでは普通の現実で、医療アクセスが困難な貧困弱者がバタバタ斃れている。オミクロン株の犠牲になって死体の山を築いている。だが、政府への世論の批判は聞こえてこない。それよりもガソリン等物価高騰の方が一般の不満として大きく、政権支持率低下の主要因になっている。日本とは要求の基準感覚が違い、公衆衛生の社会ミニマムが異なる。弱者は医療を受けられなくて当然という自己責任の規律が定立している。
橋下徹や黒岩祐治は、日本を早くその地平へ持って行きたいのであり、一日1000人がコロナで死んでも何とも感じない世界に改造したいのだ。アメリカと同じ制度と常識と慣行の国に変えることを目論み、5類移行を法改正の手続きもなしに強引に実践している。ネオリベ自治体に勝手にやらせ、それをマスコミ報道(松原耕二)で狡猾に正当化し、大衆世論に容認させて既成事実化を進めている。コロナを風邪と同じにしてしまっている。問題は、なぜその措置を岸田文雄が了承したかだ。ネオリベとは距離のあるはずの宏池会の岸田文雄が、事実上の5類移行(不作為、対策放棄)をなぜ承認しているのかという問題だ。