2月1日、石原慎太郎氏が亡くなりました。その後、メディアの論調は石原氏賛美の一色に染まりました。世に倦む日々氏はそれを、「まるで太陽神の如くに崇拝され」ていると評し、正当な批判は中国や韓国からしか聞こえてこないと嘆きました。
同時に、日本人は基本的に一つの共同体の中に生きていて、村八分の身になることが耐えられない生きものであると述べ、そこに生まれている同調圧力にも触れました。
石原氏は学生の時に「太陽の季節」という当時破格の小説を書いて芥川賞を受賞しました。授賞に際しては選考委員のなかで意見が割れたようで、ある著名な作家は「私には彼の手の内が見える」と酷評しました。
石原氏はその後国会議員や都知事になって、いわゆるタカ派発言を連発しました。
都知事をやめて国会議員に戻ったとき、橋下徹氏と維新の会の共同代表になった時期があり、その時に「維新の会」の「改憲草案」の前文を書きました。しかし日本国憲法の前文を読んだことにある者にとっては、そこからは何の理想も感じ取れずに、「空疎・貧弱」というしかないものでした。それは文章力以前の内実の問題で、大いに魅力に欠けていました。
「世に倦む日々」のブログ「太陽神の如く偶像崇拝され『英雄国葬』される石原慎太郎」を紹介します。
追記) 護憲の弁護士のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」も2日、石原氏を痛烈に批判する記事「東日本大震災の被害を「天罰」と言ってのけた石原慎太郎」を出しました。
余程思いが余ったのでしょう、その分量は通常の数倍に及んでいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
太陽神の如く偶像崇拝され「英雄国葬」される石原慎太郎
世に倦む日日 2022-02-02
テレビのニュース番組は、昨日(2月1日)からずっと石原慎太郎を礼賛する報道を続けている。ネットのマスコミである Yahoo トップのニュースクリップ一覧も、石原慎太郎の称賛記事ばかりがギッシリ並んでいる。日本中が石原慎太郎の功績を言祝ぎ、日本の正義の象徴として仰ぎ、現代の政治思想の英雄として認めて讃えている。これを見て、これを受け止めて、これに耐えないといけない。辛抱して時間が過ぎるのを待たないといけない。凍りつくような寒々とした中で意味を考えないといけない。精神的拷問のようだ。
石原慎太郎が、まるでエジプトの太陽神のように崇められ、まばゆい光彩の映像だらけで生涯が紹介され、その活躍と偉業に日本全体が喝采を送っている。そうした仮想「国葬」空間が醸成され、演出され、日本人が石原慎太郎と同一化・一体化する祭祀が行われている。石原慎太郎の思想と行動がこの国の正統として確信づけられている。標準の思想像として宣教されている。批判はない。一言もない。否定的な評価を与えているのは、韓国と中国の報道だけである。自分がどれほどの異端に追い込まれたかを実感させられる。
厳しく重たい孤独感。日本人というのは、基本的に一つの共同体の中に生きていて、村八分の身になることが耐えられない生きものだ。日本全体の所与と現状は、いわば胎児にとっての羊膜腔であり、人はどこまでも日本という共同体を信じてフック(⇒割り込み)しコミットしようとする。一体性と等質性の中に安心感を持ち、そこに断絶や齟齬や距離が生じることを本能的に恐れ忌み嫌う。みんなと同じ自分であることを願い、平均像や中心点から離れることに不安を抱く。私も日本人の一人であり、その例外ではない。だから、今回の石原慎太郎の「国葬」と礼賛は傷つく。島流しされた罪人の孤絶だ。
2003年、都知事だった石原慎太郎は、右翼が田中均の自宅ガレージに爆発物を仕掛けた事件が起きたとき、公の場で「爆弾仕掛けられて当たり前だ」と言い放ち、テロ脅迫を正当化して幇助した。2001年、都知事だった石原慎太郎は、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」「文明がもたらしたもっとも有害なものはババア」と週刊誌上で暴言を吐いている。2016年には、相模原やまゆり園事件の加害者を擁護し、「事件犯の気持ちがわかる」と公言している。都知事時代、重度障害者の病院を視察した際、「ああいう人ってのは、人格があるのかね」と侮辱する妄言を残した。
他にも数限りなく暴言集は残っている。だが、1日夜のマスコミ報道は、それらについては一切触れなかった。NHK-NW9は、石原慎太郎こそが現在の日本の政治を牽引し主導したカリスマだと讃え、その正当性と指導性を強調した。絶賛一辺倒の説明で飾り立て、批判の余地を認めなかった。2日朝のテレ朝モーニングショーでも、石原慎太郎の障害者差別や優生思想については語っていない。石原慎太郎は、どれほど批判されても、自らの障害者差別と優生思想については反省と矯正をせず開き直った。今回、石原慎太郎を総括する報道でこの点に触れなかったマスコミは、石原慎太郎の優生言説を正しい政治思想と認めたことになる。
この二十余年の日本の政治の流れを作った一人が石原慎太郎であることは間違いない。1997年の金融危機の後、狼狽し混乱する状況の中で台頭し、言葉を操って人心を集め主導権を握り、今日に至るメインストリームの方向性を敷いた政治指導者は石原慎太郎だ。この四半世紀の日本の政治に及ぼした石原慎太郎の影響力は、社会経済の面で与えた竹中平蔵の影響力と同じだと言っていいだろう。イデオロギーの面での小林よしのりの「貢献」と匹敵する。まさに絶大な力だった。思いどおりに日本を改造し、我が世の春を謳歌し、栄誉栄華を手に入れ、反対者たちを屈服させ、息子たちに貴族の放蕩三昧をさせた。
石原慎太郎が思惑したとおりの、反共右翼・新自由主義が繁栄して放埒に乱舞する楽園日本を築いた。石原慎太郎の王国を地上に実現した。明らかに、今の日本は石原慎太郎の意思と領導で組み上がり、石原慎太郎の情念と恫喝で回っている国だ。だが、それはどういう地上だろうか。6年前に紹介された調査報告を見ると、「社会的弱者を国は救うべきか」の設問で、日本の38%が「救うべきだと思わない」と回答している。英国が8%、ドイツが7%、中国が9%、米国でも28%で、日本の高さ(冷酷非情さ)が際立っている。こういう思想性へと日本人は変わった。嘗ての弱者にやさしい心的傾向から一変した。
されば、石原慎太郎が築いた王国の経済的内実はどうか。2019年の経済記事だが、給与所得者のうち年収300万円以下が4割を占めるとデータが示されている。平均賃金では韓国に追い抜かれた。石原慎太郎がこの国の救世主と仰がれ、都知事に就き、「東京から革命を起こす、日本を変える」と豪語したのが1999年だが、そこから日本の賃金は四半世紀上がらなくなり、GDPも500兆円の水準から止まったまま横這いになった。日本の富を支えていた製造業は次々と壊滅して行き、生産力を失い、国際競争に負け、雇用を吸収できなくなった。石原慎太郎の政治がもたらした結果だ。石原慎太郎の改造の帰結だ。
弱肉強食、優勝劣敗、適者生存が石原慎太郎の思想であり、戦後日本の中間層倫理を変え、エゴイズムを押し通す社会に変えることが石原慎太郎の念願だった。弱い者いじめを悪とするのではなく、それを正義とする社会に転換すること、弱い者を痛めつけて君臨すること、その業績が讃えられて満足することが石原慎太郎の欲望だった。それが石原慎太郎の自由主義の理想であり、憎悪する宿敵たる戦後民主主義の打倒であり、人生を賭けた挑戦の勝利だったのである。その勝ちどきを上げる法螺貝がテレビで吹かれて響き渡っている。私は孤独と憂鬱で心身が沈み固まる。敗北者となり異端者となることは辛い。村社会の日本でその立場に置かれるのは酷しい。
韓国の報道は「極右妄言製造機が死亡」と伝え、「日本の保守右傾化を主導した」と書いている。中国の報道は「右翼の政治屋」と書き、尖閣国有化を扇動して「日中関係を悪化させた」と書いている。この総括が正しい。私の見解は韓国中国の視線と同じだ。だが、この見方をする者はマスコミには一人もなく、ネットの中にも皆無に近い。10年前なら、2割くらいの世論が韓国中国の認識と同じだっただろう。20年前なら5割以上の世論が韓国中国と同じだったはずで、私は重苦しい孤独感や絶望感に悩むことはなかった。今は靖国参拝は当然で普通で正義の行動となっている。だが、20年前はそうではなかった。野中広務が反対し、加藤紘一が批判していた。9条改憲もそうだった。
厳然たるイデオロギー対立の現実。片隅の異端に追いやられて俯伏する老い衰えた自分。憤恨の身悶えと歯噛みの鬱屈。どちらが正しいのだろう。言葉は外国によって代弁されている。外国から発信されている。海を隔てた「日本の敵」から正論の意見が発せられている。やりきれない。私は日本を愛する日本人で、私が正しいのに。口惜しく歯痒い。韓国中国の主張が正確だと私は信じるけれど、その真の正義はいつ晴れて天下に証明されるのか。その瞬間を生きて目にすることができるだろうか。社会科学的な感性と洞察力で透視すれば、相当に残酷で劇的で物理的に破滅的な局面を媒介しなければ、おそらくその日が到来することはないと悲観される。
石原慎太郎の勝利を響き渡らせる法螺貝の音を聞きながら、山田洋次はどう思っているだろうかと思う。村上春樹はどう感じているだろう。宮崎駿は何を思っただろう。本当に日本の文化を創造し、世界から尊敬される日本にしているのはこの人たちだ。日本の本来の指導者たるは彼らだ。きっと、今の、賛否両論すらない、賛美一色で染まった石原慎太郎報道の祭り囃子に、苦々しく不愉快な気分のはずだ。ほぼ同年齢の上皇上皇后夫妻はどうだっただろうか。それを想像し、きっと自分の心境と同じに違いない思い、身悶えと歯噛みの癒やしとする。マスコミがやたらと、石原慎太郎の果たせなかった宿願が憲法改正だと繰り返すことに怒りを燃やしながら。