オミクロン株が猛威を振るい、再び医療逼迫を招いています。ひと頃テレビなどに出ずっぱりだった岡田晴恵・白鴎大の新著「秘闘 私の『コロナ戦争』全記録」(新潮社)が話題になっています。日刊ゲンダイが「注目の人 直撃インタビュー」で、岡田氏に、政府の新型コロナ対策はどこから間違えたのか。なぜ修正が利かなかったのか。などについて聞きました。
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注目の人 直撃インタビュー
岡田晴恵さんに聞く「政府の新型コロナ対策はどこから間違えたのか」
日刊ゲンダイ 2022/02/07
岡田晴恵さん(白鵬大教授)
新型コロナウイルスが国内に流入してから2年あまり。足元では感染力の強いオミクロン株が猛威を振るい、再び医療逼迫を招いている。この間、テレビなどで警鐘を鳴らし続ける「コロナの女王」の新著「秘闘 私の『コロナ戦争』全記録」(新潮社)が話題だ。政府の新型コロナ対策はどこから間違えたのか。なぜ修正が利かなかったのか。一人一人がどう備えればいいのか。話を聞いた。
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──これまでの経過を子細に振り返る手記をまとめたきっかけは?
デルタ株による第5波では、医療施設にも宿泊療養施設にも入れず、自宅療養中に亡くなった方が出ました。非常にショックだったのは妊婦の方のケースでした。腹部の張りを感じ、入院先を探したものの、新型コロナに感染しているため複数の病院に断られ、自宅分娩せざるを得なくなった。その結果、赤ちゃんが亡くなってしまった。これはまさに地獄です。国民皆保険で、誰でも医療にかかれるのが日本の良さだったのですが、それが新型コロナで崩れた。オミクロンが過ぎても、また別のウイルスでパンデミックが起こるでしょう。その時に同じ悲劇を繰り返さないために、コロナ禍での専門家や政治家をはじめとした多くの関係者との記録を残しておきたい。そういう思いで「秘闘」を書きました。
■初動の「早く」からつまずきっぱなし
──安倍政権、菅政権、岸田政権と政府の対応は一貫して後手後手。常に批判にさらされています。
感染症対策は「早く、強く、短く」打つことが重要。想定されることに対して事前に手を打つという、「早く」の部分でつまずいてしまったと思います。つまり、リスク評価が甘かったのでは? そう思うのです。リスク評価は専門家がすることですが。
──初動ですね。
政府は2020年1月末、新型コロナを感染症法の「2類相当」に指定すると決定しましたが、緊急事態宣言の発令などといった新たな対策を打とうとすると、法改正の必要に迫られ、素早い対応を難しくさせました。本来であれば、すみやかに「新感染症」に位置付け、新型インフルエンザ等対策特別措置法を動かせるようにしておくべきでした。特措法ならより素早く、さらに「新感染症」ならば新型コロナの正体が分かってきた段階で、それに合わせて柔軟な対応ができました。政府は、3月中旬に特措法の一部を改正し、指定感染症2類のままでも緊急事態宣言を出せるようにしましたが、この2カ月間の遅れは大きかったです。
──政府はなぜ「新感染症」に位置付けなかったのでしょうか。
当初は、新型コロナはそこまで広がらないで済むだろう、と楽観してしまったのではないかと思います。感染力の強い結核も2類です。2類では基本的に陽性が判明した人は全員隔離されます。患者を完全に隔離できるような感染症対応の病床数は多くはない、限りがある。なのに、その病床数の範囲内で足りるだろう、つまりは広がらないだろうという楽観があったのでしょう。そうでなければ、2類にはできません。国内流行はないと踏んだからこそ、厚労省マターの感染症法で対応するという判断をしたのでしょう。広がると思えば、新感染症にして、全省庁横断で事に当たれる内閣府マターの特措法での対応を決めたはずです。
「専門家は分かるように説明しないといけない」
──楽観論が出てきた原因は?
2002~03年に、30以上の国や地域で確認されたSARS(重症急性呼吸器症候群)は、致死率が約1割と恐れられましたが、日本には入ってこなかった。また、15年に拡大したMERS(中東呼吸器症候群)も肺炎を起こし、致死率が高く、脅威でした。韓国では中東から帰国した60代男性がウイルスを持ち込み、院内感染を引き起こす事態に陥りましたが、やはり日本には入ってこなかった。いずれもコロナウイルスです。非常に幸運なことでしたが、これらの“成功体験”が楽観論につながったのではないかと思います。
──結果的に政府の危機感を鈍らせた。政策の決定権者である総理大臣以下、政治の責任について、どう見ていますか。
「政治が悪い」という批判がありますが、それでは本質は見えてこないと思います。政治家を擁護するつもりはありませんが、どうして楽観論になったのか客観的に見ると、今回は政治家より専門家に根本的な原因があったように見えました。「菅首相は何も分かっていない」などと批判されていましたが、厚労省の感染症研究所で働いていた経験から私が思うのは「分かっていない政治家」が悪いのではなく、「分かるように説明しないといけない」ということです。
──説明する側にも問題があった。
総理も担当大臣らも、その道の専門家ではありません。説明する役割を担う内閣官房参与や分科会、アドバイザリーボードの感染症の先生方、特にその中心を担う方が最悪の事態まで想定してキチンと説明できていたのかどうか。ここがポイントではないでしょうか。
──専門家の想定が甘かった。
「起こってほしくないこと」に初めから目を背けるのではなく、起こってほしくない事態まで含めて説明する。緊急事態宣言を出すような状況を避けるために、先手で対策を打つ。今回は起こったことにその都度対処するという後手、逐次投入の対応となってしまったことで、ウイルスに負けた気がします。感染症対策を先手でやることは、経済へのダメージも防ぐことになるのです。検査を増やした上で、感染症対策と両立しながら、社会経済を回すことも、日本ではできたはずです。それが、「秘闘」で私が伝えたかったことのひとつです。
──欧米を中心とする諸外国と比べて、十分とは言えない状況がいまだに続いていますが。
初期の頃は「検査すると医療が崩壊する」という指摘がありました。37.5度以上の熱が4日間続かないと検査を受けられないとか、武漢からの帰国者に検査対象を絞るといった検査抑制策が通っていました。しかし、感染症学においては「検査、確定診断、治療」が必須の3点セットです。検査しないということは、診断もつかないし、治療もできないということです。今、ようやく抗原検査キットを配布したり、無料検査場をつくったりしています。そのこと自体は評価できますが、足元ではPCR検査が追いつかない、抗原検査キットも不足している。だから、陽性率が異常に高くなっています。これは、検査できない状況になってしまっていることを示しています。
■第5波収束で「野戦病院」設置もうやむやに
──オミクロン株の勢いが衰えず、自宅療養者が激増。政府は無症状者や軽症者には検査も受診もせず、自宅療養でやり過ごさせようとしています。
結局、検査数が圧倒的に不足し、医療のキャパシティーも全く足りない。だから、重症化しやすい基礎疾患のある人や高齢者に集中するため、それ以外の人は自分で何とかしてください、ということになってしまった。これが事実です。要は「自助」頼みとなってしまった。
──なぜ検査能力や医療提供体制を拡充できなかったのでしょう。
実は第5波のさなか、田村厚労相(当時)と盛んにやりとりをしましたが、大臣は必死で「大規模集約医療施設」の設置に尽力していました。
──いわゆる「野戦病院」ですね。
自宅療養では医療者の目が届かない。だから、体育館のような大きい施設に酸素を配管して、そこで集約的に患者さんをケアする。ほぼ実現できる段階まで来ていたのですが、その後、政権が代わって大臣も交代。また、昨年秋ごろに急に感染者数が落ち着き、報道も消えたことでいつの間にかうやむやになってしまったのです。感染者の少ない時期に大規模集約病院や検査の拡充、検査キットの増産が粛々と進んでいれば第6波の状況は違ったでしょう。
──オミクロン株は重症化しづらいとみられていますが、油断禁物ですね。
後遺症の詳細がまだ不明ですし、肺炎になる率が下がったからと油断するのは危険です。いつどこで感染し、気付かぬ間に広げていてもおかしくないのです。
(聞き手=小幡元太/日刊ゲンダイ)
▽岡田晴恵(おかだ・はるえ) 共立薬科大大学院薬学研究科修士前期課程修了、順天堂大大学院医学研究科博士課程単位満了中退。国立感染症研究所研究員などを経て、現職。専門は感染免疫学、公衆衛生学。