2022年2月4日金曜日

在日ビルマ市民労組がシンポ 圧政に負けず市民は何度でも立ち上がると

 ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟から政権を奪って2月1日で1年なります。軍事政権は、クーデターに抵抗する民主派勢力と市民への激しい弾圧を継続していますが、「国民統一政府」などの民主派勢力は、政治運動や市民不服従運動・ストライキを続け、各地で「国民防衛隊」による武装抵抗を強めています。1日付のしんぶん赤旗が報じました( ⇒ ミャンマー クーデター1年 )。
 ミャンマー1年前を含めてこれまで3によるクーデターを経験しています
 1度目は1962年、2度目は1988年、民主化を求める学生、市民による大規模なデモ、ゼネストを国軍が鎮圧し、このときにアウンサンスー・チー氏は自宅軟禁となりました。
 3度目から1年が経過する中で、国軍の弾圧による犠牲者は増えるばかりで、死者は1507人、クーデター後に不当に逮捕・拘束された人は11902人、84人が死刑を宣告されました(2月1日時点)。国内難民は約40万人で、周辺のインド、タイへの避難民は約3万2000人です。
 21日、在日ビルマ市民労働組合シンポジウム「ビルマ民主化のゆくえ」きました。「レイバーネット日本」に松本浩美氏の報告が載りましたので紹介します。
 そこには、3度目のクーデターでは、平和的にデモをやっている市民を軍が殺害するなど過去2回のクーデターより残酷な行為が行われていること、抗議行動で中心となっているのは若い世代で、女性が多く参加し、少数民族の人たちとも連帯していること、デモのやり方は色々と工夫されていて学生、市民、労働組合など広範な層が参加していることが報告されました。
 何よりも、ミャンマーの人たちお互い励ましあいできることを探しながら闘っているのは、ピンチのとき立ち上がるのが人としての義務、という考えが社会に根付いているからだとされているのは、日本社会を覆っている無力感と対照的です。
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在日ビルマ市民労働組合がシンポジウム開催
ミャンマー国軍クーデターから1年〜「圧政に負けず、市民は何度でも立ち上がる」
                       レイバーネット日本  2022-02-02
報告=松本浩美
 ミャンマー国軍のクーデターから1年が経過した。国軍の弾圧による犠牲者は増えるばかりだ。死者は1507人、クーデター後に不当に逮捕・拘束された人は11902人、そのうち84人が死刑を宣告(2月1日現在。ミャンマー政治犯支援協会)。そして、国内避難民は約40万人。周辺のインド、タイへの避難民は約3万2000人と推定されている。ビルマの人口およそ半数の約2500万人が貧困ラインより下にいる。
 2月1日、シンポジウムを開催した在日ビルマ市民労働組合(以下FWUBC)主催で、シンポジウム「ビルマ民主化のゆくえ」が開催された(@連合会館)。FWUBCは2002年、軍の迫害から逃れて来日した難民申請者、非正規滞在者によって結成。以来、ミャンマー人コミュニティの中心として、労働問題に取り組んできた。
 シンポジウム開会前、ミャンマーの民主化を支援する超党派の議員連盟から石橋通広議員(立憲民主党)によるメッセージ動画が流された。
クーデターは長年の民主化の努力を水泡に帰す、絶対に許すことができない。私たちも働きかけてきたが、残念ながら日本政府は目に見える結果を出していない。1日も早く国軍の武力を止めること。アウンサンスー・チー氏はじめ多くの市民の無条件の解放、NUG(国民統一政府)に政権を返還することを求めていく。ミャンマーの人たちのともに民主体制をつくっていくために、私たちもがんばる」

●これまでより残酷な行為が行われている

 ⇒ 動画(ティンウィン報告 43分)

 トップバッターのパネラー、ティンウィンさんはマンダレーで生まれ、ビルマでは少数派のムスリムだ。1989年軍政の迫害から逃れるため来日。1999年難民認定された。FWUBCの初代代表を務めた。2015年帰国したが、昨年(2021年)6月再び日本へ逃れてきた。
 ミャンマーは3度軍のクーデターを経験している。1度目は1962年、国軍のネウィンが起こしたもので、これにより軍事政権が成立。2度目は1988年、民主化を求める学生、市民による「8888」と呼ばれる大規模なデモ、ゼネストを国軍が鎮圧。このクーデターにより、運動のリーダー、アウンサンスー・チー氏は自宅軟禁となった。
 ティンウィンさんは「8888」に参加した経験を持つ。奇しくも3度目のクーデターを経験することになった。
「今回は、民主化に向かう途中でのクーデター。平和的にデモをやっている市民を軍が殺害する状況は、これまでなかった。2回のクーデターより残酷な行為が行われている。私は市民が軍に連行される様子を見てきた。軍は家に押し寄せて逮捕していく。小さな子どもが親に駆け寄ったところを兵士が発砲、子どもが亡くなった事件もあった」
抗議行動で中心となっているのは若いZ世代。女性が多く参加し、少数民族の人たちとも連帯しているところは私たちの頃と違う。もう一つ大きいのはSNSの存在。私たちは、仲間を集めるときビラを刷るしかなかった。しかし、今はSNSで情報を瞬時に送ることができる。軍は情報を隠しても市民は何が起こっているか発信できる。圧政に負けず、これからも市民は立ち上がる」

●闘うミャンマーの人から教えられること
 次に登壇したのは、2014年にミャンマーに移住し、昨年軍によって拘束され、5月に開放されたフリージャーナリストの北角裕樹さん。7年滞在した理由を「いい時代だったから。『これから国はよくなっていく』という雰囲気にあふれていた」と振り返った。
「民政移管で輸入解禁、規制緩和が行われたことで、市民が車や携帯電話が買えるようになった。親世代ができなかったことが、子ども世代だと簡単にできるようになった。お金を稼ぎたい、起業したい、留学したいという若者も出てきた。また、検閲がなくなってから、今までなかったメディアがたくさん生まれ、ジャーナリストを目指す人が出てきた」
「クーデターの兆候はあった。1月の記者会見で軍はクーデターの可能性をはっきりと否定しなかったうえ、装甲車が街中を通っていた。しかし、まさか軍がぶち壊すことはないだろうと思っていた」クーデター直後、市民の間から「このまま軍に支配されてしまうのではないか」などと悲観的な声が聞こえたが、早い段階で医療従事者や公務員を中心にゼネストが起こり、学生がデモを行った。「街に出よう」という空気が一気に広がっていったという。
デモのやり方も興味深かった。参加者が自発的に規制線を張って、通行の妨げにならないようにする。また、水やアイスクリームを配ったり、終わった後のごみ拾いもする。役割分担を決めてやっていた。学生、市民、労働組合を含めて、広範な層が参加していた
 一方、日本人コミュニティでは、「デモに行きたい」という日本人に対してバッシングする空気が流れていたという。「危ないことをするな」「捕まったら迷惑がかかるからやめろ」「外国人はミャンマーの政治に口を出さないほうがいい」など、「お前には何もできない」という説得の仕方だったという。
ミャンマーの人たちはお互い励ましあい、できることを探しながら闘っている。みんな人助けが大好き。子どもの頃から助けられた経験があるし、ピンチのとき立ち上がるのが人としての義務、という考えが社会に根付いている。闘うミャンマーの人たちから教えられることはたくさんある。日本社会を覆っている無力感を覆したい」

●日本でデモに行こうとすると「賃金カットするぞ」
 ラストのパネラーはFWUBCの副会長を務めるポーンラインさん。FWUBCでは、クーデター直後から抗議行動を開始、渋谷・国連大学前でのデモでは約3000人が集まった。デモや集会を組織する傍ら、日本政府への陳情、NUGへの支援など、活動を続けている。
 活動の主体となるのは若いミャンマー人であり、働きながら、デモや集会に参加している。「クーデター発生後、デモに行こうとすると雇用主や監理団体から『賃金カットするぞ』と止められるケースが多発している。労働者の多くは技能実習生で、賃金未払いだけでなく、雇用主や上司などによる暴力、ハラスメントなどの被害も深刻だ」
 昨年FWUBCに寄せられた労働相談件数は330件であった。今年に入ってからも、すでに42件に達している。通常20~30件であり、急増していることがわかる。自殺も3件起こっている。2020年8月長崎県で、今年に入ってから1月に奈良県で、そして本日(2/1)山形県から報告があったという。

●日本政府はどちらの味方か?
 最後に日本政府、社会に望むこととして次のように訴えた。
日本政府は国軍と特別なパイプがあり、説得に向けて努力しているというが、何も進展していない。国軍との関係を変えるべき。また、ミャンマーでは国軍がビジネスを行っており、ODAは国軍への利益となる。継続中のODAも中止すべき。日本企業が国軍と組んで儲けるような仕組みをやめるべき」(ティンウィンさん)。

日本ミャンマー協会という団体があり、そこの代表は国軍と深いつながりがあると聞いている。また、同会は日本の政治家に対する影響力も大きいと言われている。日本政府はいったいどちらの味方なのか? 市民と国軍、二股かけているのではないか? 日本の会社や労働組合は、ミャンマー国軍と付き合いを断つように、プレッシャーをかけてほしい」(ポーンラインさん)。