ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟から政権を奪って2月1日で1年になります。軍事政権は、クーデターに抵抗する民主派勢力と市民への激しい弾圧を継続していますが、「国民統一政府」などの民主派勢力は、政治運動や市民不服従運動・ストライキを続け、各地で「国民防衛隊」による武装抵抗を強めています。1日付のしんぶん赤旗が報じました( ⇒ ミャンマー クーデター1年 )。
ミャンマーでは1年前を含めてこれまで3度、軍によるクーデターを経験しています。
1度目は1962年、2度目は1988年で、民主化を求める学生、市民による大規模なデモ、ゼネストを国軍が鎮圧し、このときにアウンサンスー・チー氏は自宅軟禁となりました。
3度目から1年が経過する中で、国軍の弾圧による犠牲者は増えるばかりで、死者は1507人、クーデター後に不当に逮捕・拘束された人は11902人で、84人が死刑を宣告されました(2月1日時点)。国内難民は約40万人で、周辺のインド、タイへの避難民は約3万2000人です。
2月1日、在日ビルマ市民労働組合がシンポジウム「ビルマ民主化のゆくえ」を開きました。「レイバーネット日本」に松本浩美氏の報告が載りましたので紹介します。
そこには、3度目のクーデターでは、平和的にデモをやっている市民を軍が殺害するなど過去2回のクーデターより残酷な行為が行われていること、抗議行動で中心となっているのは若い世代で、女性が多く参加し、少数民族の人たちとも連帯していること、デモのやり方は色々と工夫されていて学生、市民、労働組合など広範な層が参加していることが報告されました。
何よりも、ミャンマーの人たちがお互い励ましあい、できることを探しながら闘っているのは、ピンチのとき立ち上がるのが人としての義務、という考えが社会に根付いているからだとされているのは、日本社会を覆っている無力感と対照的です。
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在日ビルマ市民労働組合がシンポジウム開催
ミャンマー国軍クーデターから1年〜「圧政に負けず、市民は何度でも立ち上がる」
レイバーネット日本 2022-02-02
報告=松本浩美
ミャンマー国軍のクーデターから1年が経過した。国軍の弾圧による犠牲者は増えるばかりだ。死者は1507人、クーデター後に不当に逮捕・拘束された人は11902人、そのうち84人が死刑を宣告(2月1日現在。ミャンマー政治犯支援協会)。そして、国内避難民は約40万人。周辺のインド、タイへの避難民は約3万2000人と推定されている。ビルマの人口およそ半数の約2500万人が貧困ラインより下にいる。
2月1日、シンポジウムを開催した在日ビルマ市民労働組合(以下FWUBC)主催で、シンポジウム「ビルマ民主化のゆくえ」が開催された(@連合会館)。FWUBCは2002年、軍の迫害から逃れて来日した難民申請者、非正規滞在者によって結成。以来、ミャンマー人コミュニティの中心として、労働問題に取り組んできた。
シンポジウム開会前、ミャンマーの民主化を支援する超党派の議員連盟から石橋通広議員(立憲民主党)によるメッセージ動画が流された。
「クーデターは長年の民主化の努力を水泡に帰す、絶対に許すことができない。私たちも働きかけてきたが、残念ながら日本政府は目に見える結果を出していない。1日も早く国軍の武力を止めること。アウンサンスー・チー氏はじめ多くの市民の無条件の解放、NUG(国民統一政府)に政権を返還することを求めていく。ミャンマーの人たちのともに民主体制をつくっていくために、私たちもがんばる」
●これまでより残酷な行為が行われている
トップバッターのパネラー、ティンウィンさんはマンダレーで生まれ、ビルマでは少数派のムスリムだ。1989年軍政の迫害から逃れるため来日。1999年難民認定された。FWUBCの初代代表を務めた。2015年帰国したが、昨年(2021年)6月再び日本へ逃れてきた。
ミャンマーは3度軍のクーデターを経験している。1度目は1962年、国軍のネウィンが起こしたもので、これにより軍事政権が成立。2度目は1988年、民主化を求める学生、市民による「8888」と呼ばれる大規模なデモ、ゼネストを国軍が鎮圧。このクーデターにより、運動のリーダー、アウンサンスー・チー氏は自宅軟禁となった。
ティンウィンさんは「8888」に参加した経験を持つ。奇しくも3度目のクーデターを経験することになった。
「今回は、民主化に向かう途中でのクーデター。平和的にデモをやっている市民を軍が殺害する状況は、これまでなかった。2回のクーデターより残酷な行為が行われている。私は市民が軍に連行される様子を見てきた。軍は家に押し寄せて逮捕していく。小さな子どもが親に駆け寄ったところを兵士が発砲、子どもが亡くなった事件もあった」
「抗議行動で中心となっているのは若いZ世代。女性が多く参加し、少数民族の人たちとも連帯しているところは私たちの頃と違う。もう一つ大きいのはSNSの存在。私たちは、仲間を集めるときビラを刷るしかなかった。しかし、今はSNSで情報を瞬時に送ることができる。軍は情報を隠しても市民は何が起こっているか発信できる。圧政に負けず、これからも市民は立ち上がる」
●闘うミャンマーの人から教えられること
次に登壇したのは、2014年にミャンマーに移住し、昨年軍によって拘束され、5月に開放されたフリージャーナリストの北角裕樹さん。7年滞在した理由を「いい時代だったから。『これから国はよくなっていく』という雰囲気にあふれていた」と振り返った。
「民政移管で輸入解禁、規制緩和が行われたことで、市民が車や携帯電話が買えるようになった。親世代ができなかったことが、子ども世代だと簡単にできるようになった。お金を稼ぎたい、起業したい、留学したいという若者も出てきた。また、検閲がなくなってから、今までなかったメディアがたくさん生まれ、ジャーナリストを目指す人が出てきた」
「クーデターの兆候はあった。1月の記者会見で軍はクーデターの可能性をはっきりと否定しなかったうえ、装甲車が街中を通っていた。しかし、まさか軍がぶち壊すことはないだろうと思っていた」。クーデター直後、市民の間から「このまま軍に支配されてしまうのではないか」などと悲観的な声が聞こえたが、早い段階で医療従事者や公務員を中心にゼネストが起こり、学生がデモを行った。「街に出よう」という空気が一気に広がっていったという。
「デモのやり方も興味深かった。参加者が自発的に規制線を張って、通行の妨げにならないようにする。また、水やアイスクリームを配ったり、終わった後のごみ拾いもする。役割分担を決めてやっていた。学生、市民、労働組合を含めて、広範な層が参加していた」
一方、日本人コミュニティでは、「デモに行きたい」という日本人に対してバッシングする空気が流れていたという。「危ないことをするな」「捕まったら迷惑がかかるからやめろ」「外国人はミャンマーの政治に口を出さないほうがいい」など、「お前には何もできない」という説得の仕方だったという。
「ミャンマーの人たちはお互い励ましあい、できることを探しながら闘っている。みんな人助けが大好き。子どもの頃から助けられた経験があるし、ピンチのとき立ち上がるのが人としての義務、という考えが社会に根付いている。闘うミャンマーの人たちから教えられることはたくさんある。日本社会を覆っている無力感を覆したい」
●日本でデモに行こうとすると「賃金カットするぞ」
ラストのパネラーはFWUBCの副会長を務めるポーンラインさん。FWUBCでは、クーデター直後から抗議行動を開始、渋谷・国連大学前でのデモでは約3000人が集まった。デモや集会を組織する傍ら、日本政府への陳情、NUGへの支援など、活動を続けている。
活動の主体となるのは若いミャンマー人であり、働きながら、デモや集会に参加している。「クーデター発生後、デモに行こうとすると雇用主や監理団体から『賃金カットするぞ』と止められるケースが多発している。労働者の多くは技能実習生で、賃金未払いだけでなく、雇用主や上司などによる暴力、ハラスメントなどの被害も深刻だ」
昨年FWUBCに寄せられた労働相談件数は330件であった。今年に入ってからも、すでに42件に達している。通常20~30件であり、急増していることがわかる。自殺も3件起こっている。2020年8月長崎県で、今年に入ってから1月に奈良県で、そして本日(2/1)山形県から報告があったという。
●日本政府はどちらの味方か?
最後に日本政府、社会に望むこととして次のように訴えた。
「日本政府は国軍と特別なパイプがあり、説得に向けて努力しているというが、何も進展していない。国軍との関係を変えるべき。また、ミャンマーでは国軍がビジネスを行っており、ODAは国軍への利益となる。継続中のODAも中止すべき。日本企業が国軍と組んで儲けるような仕組みをやめるべき」(ティンウィンさん)。
「日本ミャンマー協会という団体があり、そこの代表は国軍と深いつながりがあると聞いている。また、同会は日本の政治家に対する影響力も大きいと言われている。日本政府はいったいどちらの味方なのか? 市民と国軍、二股かけているのではないか? 日本の会社や労働組合は、ミャンマー国軍と付き合いを断つように、プレッシャーをかけてほしい」(ポーンラインさん)。