シリーズ「最大ゆ党 維新躍進のカラクリ」の(6)、(7)を紹介します。
著者の冨田宏治教授は「維新の支持層は、税や社会保険料などの高負担に不満を募らせ、自分たちの払ったお金を食い潰す「年寄り」「病人」「貧乏人」への敵意や憎悪を持った「勝ち組」意識を抱く中堅サラリーマン層をコアとする人々」と見做しています。
この回取り上げられた元TV局アナウンサーの長谷川豊氏は、〈自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!! ~ 〉などの発言が囂々たる非難を浴びて、TV局を辞めていたのですが、維新は17年10月の衆院選で千葉1区で彼を公認候補者にしたのでした(落選)。まさに「勝ち組」に依拠する維新らしい選択でした。
長谷川氏は19年7月の参院選でも維新から比例区の候補として公認を受けましたが、今度は被差別部落に関する発言により自ら公認を辞退したのでした。人権感覚に大いに問題のある人でした。
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最大ゆ党 維新躍進のカラクリ(6)
維新支持層を浮かび上がらせた「長谷川豊発言」貧富の格差を分断へと転化
冨田宏治 日刊ゲンダイ 2022/03/08
コロナ禍のもと大阪の街に深刻な医療崩壊をもたらし、失われなくてもよい多くの命を奪った維新をいったい誰が支持しているのだろう。昨年10月の総選挙では大阪府下で実に171万5862人もの人々が維新に投票しているのだ。ちまたでは相も変わらず「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」が維新を支持しているという都市伝説めいた「定説」が幅をきかせている。維新政治が新自由主義の権化ともいうべきものである以上、こんな「定説」が成り立つ余地などないことは少し考えればわかるはずだ。
こうした「定説」に対し筆者は、維新の支持層は、税や社会保険料などの高負担に不満を募らせ、自分たちの払ったお金を食い潰す「年寄り」「病人」「貧乏人」への敵意や憎悪をあおられた「勝ち組」意識を抱く中堅サラリーマン層をコアとする人々にほかならないと論じてきた。
これは、「大阪都構想」をめぐる2度の「住民投票」や府市ダブル選挙、府市クロス選挙などへの参与観察によって筆者のたどり着いた結論だ。詳細については拙著「維新政治の本質─組織化されたポピュリズムの虚像と実像」(あけび書房)を参照いただきたいのだが、これは宣伝。
こうした議論を展開するにあたって筆者は、元フリーアナウンサーで2017年衆院選に維新の公認候補として千葉1区から立った長谷川豊氏の次のような発言を取り上げることにしている。維新支持層とは、こうした発言に喝采を送らないまでも、「ホントだよな!」と共感を抱く人々だと考えられるからだ。
〈自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!〉(2016年9月19日のブログから)
■弱者への敵意や憎悪を扇動
長谷川氏はこの発言への囂々たる非難を受けて、テレビの世界から姿を消した。維新はその長谷川氏を拾い上げ、公認候補として衆院選に擁立したというわけだ。こうした発言は、貧困と格差の拡大の中で、「病人」「年寄り」「貧乏人」への敵意や憎悪をあおり、格差を分断へと転化しようとするものにほかならない。
こうしたあおりによって、自らの新自由主義的「改革」がもたらした貧富の格差を分断へと転化し、それを繰り返される選挙を通じて固定化し、組織化すること。これこそが組織化されたポピュリズムとしての維新政治の本質なのである。 =つづく
最大ゆ党 維新“躍進”のカラクリ (7)
なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか
冨田宏治 日刊ゲンダイ 2022/03/09
「長谷川発言」に喝采を送り、あるいは共感を抱くのは、いったいどのような人々なのか。そこに浮かび上がってくるのは、「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」といった「定説」とは対照的な「勝ち組」意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営上層の人々の姿である。
彼らは都心のタワーマンションや郊外の戸建て住宅に暮らし、かなり高額な税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担している。しかし、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くない。
彼らは日頃からジョギング、アスレチックジムなどで体を鍛え、有機野菜や減塩レシピなど健康に留意した食生活を送り、医療機関の世話にならないよう自己管理を怠らない。したがって、飲酒や健康によくない食生活など自堕落な生活の果てに自己責任で病気になった「自業自得の人工透析患者」たちが、もっぱら自分たちの負担している健康保険によって保険診療を受け、実費負担を免れていることに強い不満と敵意、さらには怨嗟や憎悪すら抱いているのだ。
■弱者はシロアリ、公務員も加担
だいたい大阪の街の「地べた」にへばりつくように住んでいる「年寄り」「病人」「貧乏人」たちは、税金も、社会保険料も、介護保険料も、年金もほとんど負担していない。もっぱら彼らの負担した税金、保険料、年金をシロアリのように食い潰しつづけている。さらにそれを管理する公務員たちも、高給を取るばかりか、さまざまな無駄遣いや不正を働きながら、労働組合運動まで行って、この食い潰しに加担している。
少子高齢化による医療、福祉への公的負担の激増により国や府の財政危機が進むなか、このままでは日本は滅びかねない。それに引き換え「身を切る改革」や「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理主義にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている維新は、自分たちの希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったところだろう。
こうして見てみると、「勝ち組」中堅サラリーマン層が長谷川発言に共感し、こうした人物を候補に担ぐ維新を熱烈に支持する感情も、あながち理解不能ともいえまい。
こうして長谷川発言は、「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」などと言われてきた維新支持層についての「定説」が、実体のない都市伝説に過ぎないことを白日の下にさらしてくれているのである。(つづく)