2022年3月23日水曜日

忖度ゼロのゼレンスキーが国会演説でアベ外交などを痛烈批判の可能性

 ウクライナのゼレンスキー大統領による国会演説が23日午後6時から行われます。本会議場にはスクリーンがないため、議員会館の会議室で実施の見通しです

 大統領は17日にはドイツ連邦議会でビデオ演説しまし。ドイツは、プーチンに開戦を煽ったバイデンとは違い、フランスと並んでロシアの侵攻を回避するために汗を流したのですが、その労に感謝する一方で、ロシアからドイツへの「ノルドストリーム2」天然ガスパイプライン)が竣工したことに対して、ウクライナと欧州の間に「新たな壁」をつくることに加担してきたとゼレンスキー痛烈に批判したということです。
 ウクライナの政権は若い大統領と若い取り巻きで構成されているので、いわゆる忖度はありません。日刊ゲンダイは、ゼレンスキーは演説で、安倍氏の対露外交をはじめ、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマなどの、自民政権が触れて欲しくない事柄について痛烈に批判するのではないかと、半ば揶揄的な記事を出しました。

 同紙はまた、「『正義の戦争』という免罪符 ゼレンスキー国会演説に拍手する議員たちの危うさ」と題した別の記事で、
 「プーチン大統領による独善的な侵攻が国際法違反であり、無辜の市民にまで爆撃を加える許されざる蛮行が進行中なのは間違いないしかし、戦争放棄の平和憲法を持つ日本の国会で、戦争の渦中にある紛争の当事国の大統領がスピーチするという重大な決定が、議論なく簡単に決まっていくことには危うさを覚えずにはいられない
と述べ、
 「プーチン大統領のウクライナ侵攻に国際法上の問題があるにせよ、NATOやアメリカ大統領に誘導されるまま、ロシアを挑発しその侵攻を発生させたウクライナ大統領が無謬であるはずがない。紛争当事者のプロパガンダに国会が利用されてはならない
との国際政治学者首藤信彦氏の見解を紹介し、
 ゼレンスキーは正義でプーチンは悪と言うが本当にそうか。命が失われていく戦争に正義などない。唯一の戦争被爆国である日本は、 欧米とは異なる立ち位置を取れるはずなのに、欧米主導の国際世論に流されていく
と指摘しています
 日刊ゲンダイの2つの記事を紹介します。
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ゼレンスキー大統領は忖度ゼロ! 国会演説でアベ外交と日ロ経済協力を痛烈批判の可能性
                          日刊ゲンダイ 2022/03/22
 外国元首のオンライン演説は極めて異例だ。ウクライナのゼレンスキー大統領による国会演説が23日午後6時から行われる。本会議場にはスクリーンがなく、議員会館の会議室などで実施の見通し。国会の根深い前例主義を横に置き、異例の演説にこぎ着けたのは国際社会にウクライナへの連帯の意思を示したかったからだ。

赤っ恥発言が飛び出す可能性
 どうも体面ばかり気にしているが、ゼレンスキー大統領に“世間の常識”は通じない。演説内容は予測不能で「外交のアベ」にとって赤っ恥発言が飛び出しかねない。ゼレンスキー大統領は17日にドイツ連邦議会でビデオ演説した際、支援に感謝を示す一方で近年の対ロ関係に触れるのを忘れなかった
 ロシアからの天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」について、以前からドイツに「戦争への準備だと警告してきたが、受け取った答えは経済的な計画だということだった。経済、経済、経済だ」と、ドイツが侵攻の土壇場まで計画を維持したことを糾弾。ドイツはロシアに戦費を稼がせ、ウクライナと欧州の間に「新たな壁」をつくることに加担してきたと痛烈に批判したのだ。
「日本政府もドイツと同じ“罪”を犯していると言えます。2014年のクリミアの武力併合後も、当時の安倍政権は対ロ経済制裁を軽微にとどめ、2年後にはプーチン大統領を日本に招待。制裁とは逆に官民80件、3000億円規模の経済協力プランに合意しました。北方領土交渉への政治的野心からプーチン政権に戦費を稼がせたとして、ゼレンスキー氏に批判されてもおかしくありません」(筑波大教授の中村逸郎氏=ロシア政治)

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマに言及も
 今なお対ロ経済協力予算案を見直そうとしない岸田首相も、安倍元首相と同じ穴のムジナ。ましてや岸田首相は被爆地・広島選出の議員だ。「核の使用」も辞さないと脅し、ウクライナ国内の原発を砲撃するプーチン大統領非難の一環で、ゼレンスキー大統領が「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの悲劇」に言及することも考えられる。
 唯一の被爆国でありながら「核共有」を欲しがり、未曽有の原発事故を経験しても戦争に便乗し、原発の再稼働や新設を求める――。倒錯した自民党内の議論に、ゼレンスキー演説がくさびを打ち込みかねないのだ。
「ロシアは日本の隣国で、北方領土で軍事演習を繰り返しています。日本特有の立場をもう少し考えるべきで、必要以上に旗色を鮮明にすることは賢明な選択とは思えません」(中村逸郎氏)
 扇動家ゼレンスキー大統領に忖度なし。アベ外交を一喝し、アベ一派の安全保障論に冷や水を浴びせたら、安倍元首相本人は真っ青。本当に怖いのはその後、プーチン大統領が日本に対し、どう動くかだ。


「正義の戦争」という免罪符
ゼレンスキー国会演説に拍手する議員たちの危うさ
                          日刊ゲンダイ 2022/3/21
                       (記事集約サイト「阿修羅」より転載)
 ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説の準備が着々と進んでいる。23日午後6時から、オンライン形式の生中継で行われる見通し。本会議場ではなく、衆院議員会館の会議室を使用して、衆参合同で実施される方向だ。
 今回の国会演説は、ロシアの侵攻に対する国際的な支援強化を求めているゼレンスキーの各国議会“行脚”の一環だ。ウクライナ側からオンライン演説の打診があると、すぐさま与野党は「実現すべき」との認識で一致。自民の高木国対委員長が「我が国の議会の思いが内外に発信されることにつながる」と言えば、立憲民主の馬淵国対委員長も「ぜひ進めるべきだ」と返す。岸田首相も「前向きに対応して欲しい」と国会に受諾を促した。
 心に響く熱い演説が各国で評判を呼んでいるゼレンスキーのことである。日本の国会でも万雷の拍手となる情景が目に浮かぶ。
 プーチン大統領による独善的な侵攻が国際法違反であることは論を待たない。無辜の市民にまで爆撃を加える許されざる蛮行が進行中なのは間違いない。しかし、である。戦争放棄の平和憲法を持つ日本の国会で、戦争の渦中にある紛争の当事国の大統領がスピーチするという重大な決定が、議論なく簡単に決まっていくことには危うさを覚えずにはいられない
「戦争というのは人々の理性を失わせ、英雄主義に陥って、イケイケドンドンになりがちです。だからこそ政治家らリーダーたちは腰を落として慎重に判断しなければならないのです。バイデン米大統領の醸し出す戦争気分に乗っかって、求められれば『何でもやります』では、戦争ポピュリズムに向かってまっしぐらです」(政治評論家・森田実氏)

異論を許さない空気が蔓延
 ウクライナ側から大統領演説の打診があった直後に、立憲民主の泉代表のツイートが炎上した。<他国指導者の国会演説は影響が大きい><日本の国民と国益を守りたい。だから国会演説の前に首脳会談・共同声明が絶対条件だ>などというもので、過去の国家元首・首脳の演説に準じれば至極まっとうな見解なのだが、「ロシア寄りなのか」「国際的な信用を損失する」など批判が殺到、泉は釈明に追われた。
 国権の最高機関での演説の重さを考えれば、国会議員にはそれぐらいの思慮と冷静さがあってしかるべきなのに、「プーチンを叩け」という熱狂の国会では異論が許されなくなっている。異様ではないか
 国会の外では、元衆院議員が「ゼレンスキー大統領の国会演説に反対」とSNSにこう書き込んでいた。
<何の目的でいかなる根拠で紛争当事者が国会演説するのか? プーチン大統領のウクライナ侵攻に国際法上の問題があるにせよ、NATOやアメリカ大統領に誘導されるまま、ロシアを挑発しその侵攻を発生させたウクライナ大統領が無謬であるはずがない紛争当事者のプロパガンダに国会が利用されてはならない
<ゼレンスキー大統領が自分の立場を訴えるのは自由だ。しかし、それを日本の国会が「正義の戦士」の言葉のように受け止めるのはどうかと思う
   (国際政治学者で元民主党衆院議員の首藤信彦氏のフェイスブックから)
 こうした“正論”を現職議員では口に出せない空気に覆われたこの国の恐ろしさ。「ゼレンスキーは正義でプーチンは悪」と言うが本当にそうか。命が失われていく戦争に「正義」などない。世界で唯一の戦争被爆国である日本は、徹底的に平和国家を貫く姿勢を国際社会に示すべきではないのか。欧米とは異なる立ち位置を取れるはずなのに、欧米主導の国際世論に流されていく。
 ウクライナ市民に寄り添うことは、ウクライナ政府に寄り添うことと同義語ではない。「正義の戦争」を国会演説の免罪符にするのは、極めて危険な発想だ。
 防衛省出身で内閣官房副長官補(安全保障担当)を務めた柳澤協二氏が言う。
「ロシアがやったことはとんでもないことで、ウクライナを支援する国際世論を盛り上げるという意味ではゼレンスキー大統領があちこちで演説するのもよいでしょう。ただ、それを聞く側は『相手がかわいそうだから何でもしてあげる』のではなく、それぞれの国の立場でできることとできないこと、国益にかなうこと、そうではないことがあるので、冷静に見なければいけない。選挙が控えている政治家や議員は、言うのは勝手だから勇ましいことを言うけれども、戦争を激しくすることが問題解決にはならないのです。この戦争は民主主義と独裁主義の闘いのような言われ方もされますが、正義感には危うさがある。どっちが正しいのではなく、戦争をしてはいけないのです。問われているのは道徳観です。それを忘れてはいけません」

国会議員が守るのは、国家の名誉なのか、国民の命なのか
<戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない
 まさに田中角栄の言葉通りになってきている。
 中でも戦後生まれの歴代自民党首相たちの罪は重い。米国のイラク侵攻に対し、他国に先駆けて支持を表明したのは小泉純一郎首相だった。結局、大量破壊兵器は存在しなかったが、反省はなく、むしろ米国と軍事的な一体化は加速した。
 極め付きは安倍晋三首相による新安保法制の成立。憲法を無視した解釈改憲で集団的自衛権の行使に道を開き、日本を米国と一緒に戦争ができる国にしてしまった。米国はオバマ時代に「世界の警察」を辞める宣言をしている。つまり、いざ有事となれば、直接日本への攻撃でなくとも、日本が米軍の代役を担うことになりかねないのである。
 それは、いまのウクライナでも同じだ。第3次世界大戦を避けなければならないから、むやみに米国やNATOが参戦できないのはもちろんではあるが、その代わりに米国は、殺人ドローンなど殺傷能力の高い兵器を次々送ってウクライナに戦争を続けさせ、ロシアの弱体化を狙う。バイデンがやるべきは、プーチンに戦争をやめさせる外交努力ではないのか。「ウクライナに寄り添う」という正義感はとても軽く、芝居がかって聞こえる。
 戦争に良い、悪いはない。米のイラク侵攻は善で、ロシアのウクライナ侵攻は悪なのか。

苦しむのはいつも一般市民
 戦時中の「赤紙」を思わせる記事が20日付の読売新聞にあった。「総動員」体制のウクライナで、一般市民に軍への招集令状が届き、「まさか自分の元に来るとは」「たった2週間の訓練で戦闘術が学べるとは思わない」と戸惑う男性(35)。生後3カ月の息子と妻(32)の安全を考え、首都キエフから西部のリビウ近郊に移っていたが、仮住まい先に徴兵事務所の職員が訪れたという。妻は「国を支えたい」という思いと「夫がそばにいなくなるなら逃げ出したい」という気持ちのはざまで揺れていた。
 戦争の長期化で苦しめられるのは一般市民だ。これが戦争の現実なのである。
「国を守れ」「国家の名誉を守れ」と勇ましく主張する国会議員に対し、生前の菅原文太は次の言葉を残している。
<君が、行くのかね。もし、そこで、一発でも銃弾が飛べば、戦争が始まる。そして、自衛官のいのちが失われる。それでもいいのかね。君に聞きたい。君たち国会議員が、守るのは、国家の名誉なのか、それとも、国民一人ひとりのいのちなのか。君は、何もわかっていないようだ。私は、あの戦争を体験している。どんなことがあっても、二度と戦争はしてはいけない。名誉なんてものは、一度失っても取り戻すことは出来る。でも、いのちは一度失われたら二度と取り戻すことが出来ない>
 前出の森田実氏が言う。
「『最も正しい戦争よりも最も不正なる平和を取らん』。古代ローマの政治家キケロの名言です。日本は広島・長崎での悲惨な被爆体験もある。ましてや岸田首相は広島出身です。バイデン・プーチン会談を提唱して平和を求める先頭に立つことこそが日本の役割のはず。岸田首相や林外相が米国の代理人となってインドや中東を回っていますが、日本の立脚点は一体どこにあるのか」
 こんな日本の国会で、果たしてまともな安全保障の議論ができるとはとても思えない。