2022年3月2日水曜日

NATOの目的は何か - ロシア連邦の封じ込め、圧迫と崩壊と解体(世に倦む日々

 NATOの歴史は古く、第二次世界大戦終了4年目の1949年に米・加それに欧州の10か国が加わってスタートした軍事同盟で、その目的はソ連共産主義を敵としソ連を封じ込めることです(現在は30ヵ国が加盟)
 それに対抗して作られたのがワルシャワ条約機構で、西ドイツがNATOに加わったのを契機に1955年、ソ連東ヨーロッパ諸国8か国が結成した軍事同盟で、1991年7月に同年12月のソ連崩壊に先立って解散しました。
 世に倦む日々氏は、「NATOは、本来ソ連が崩壊してワルシャワ条約機構が清算された時点で、その存在意義を失って地上から消えてよいはずのものだった。 だが、そこから新たな敵としてロシア連邦を設定し、新たな目的を持って存続する推移になる。現在のNATOは、ロシア連邦を封じ込めソ連と同じ運命に追い込むことを目的とした軍事同盟だ」、「プーチンが登場した2000年以降、世界のエネルギー需要が増大して資源国のロシアが潤い大国として復活すると、CIAは旧ソ連および旧共産圏の諸国でカラー革命続発させ、ロシアを包囲し瓦解させようとする策動と謀略が顕著になった」と述べています。
 そしてその流れの中で、プーチンはNATOの東方拡大の真の狙いがロシア連邦の崩壊と解体であることを確信したとしています

 ウクライナは黒海でのNATOの演習に参加するなどしてNATO加盟の意向を鮮明にしていました。一方プーチンにすればウクライナがNATOに加わることはロシアにとって死活問題であって、絶対に阻止したかったのでした。
 NATOの仮想敵国はロシアであり、ロシア近くに位置する国への対露用ミサイルの配備は勿論、米国は「核シアリング」と称して、対露用核兵器をドイツ、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの5カ国に供与しています(NPT発足以前)。こうした状況を考えれば、プーチンが核兵器の使用も辞さずと威嚇したことを、一方的に非難するだけでは片手落ちになるでしょう。
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NATOの目的は何か - ロシア連邦の封じ込め、圧迫と崩壊と解体
                          世に倦む日々 2022-02-28
ネットを見ていると、ロシアがNATOに入ればいいのにという意見を目にする。あまりに無知すぎて話にならない。こうした無知蒙昧が西側のプロパガンダを頭から信じて疑わない態度となり、ロシアに対する一方的な偏見と全否定に繋がっている。現在のNATOは何のためにあるのか。その存在意義は何で、その集団安保体制の敵は誰なのか。誰から誰を防衛する軍事同盟なのか。こんな基本的なことも理解してない者が多くいる。ロシアがNATOに加盟することはあり得ない。それはNATOの存在意義の否定であり、論理矛盾である。

可能性として、現在のプーチン体制が倒れ、ロシアが親米化し、欧米と仲のいい反中反共国家に転換して、ユーラシアワイドにNATOに拡大する場合が考えられるが、仮にそうなるときは、逆に東欧の小国群が反発し、ロシアのNATO入りはやめてくれと言うだろう。東欧小国群にとって、ロシアと敵対する軍事境界線が引かれて、アメリカの防衛ラインの中に入ってないと不安なのであり、ロシアと同じ軍事同盟の中で共存するなど考えられないからだ。彼らにとって、NATOが反ロ軍事同盟でなくなる未来はあり得ない。 

NATOはそもそもソ連共産主義を敵とし、ソ連を封じ込めするために構成された集団安保の軍事同盟である。冷戦の産物である。そのため、本来、ソ連が崩壊してワルシャワ条約機構が清算された時点で、その存在意義を失って地上から消えてよいはずのものだった。敵がいなくなったのだから、軍事同盟は解散していいはずだ。だが、そこからNATOは新たな敵を設定し、新たな目的を持って存続する推移になる。新たな敵とはロシア連邦である。現在のNATOは、ロシア連邦を封じ込めし、ロシア連邦をソ連と同じ運命に追い込むことを目的とした軍事同盟だ。

ソ連崩壊後、ロシアが混乱期にあった90年代は、NATOのその新たな性格や意義づけは輪郭がくっきりではなかった。が、ゴルバチョフとの口約束を裏切って東欧諸国を次々と加盟させる中で、新しい目的と方針を露骨化させるようになる。その進行はまた、世界のエネルギー需要が増大して資源国のロシアが潤い、ロシアが大国として復活する過程とパラレルだった。そしてさらに、そこからの過程は、旧ソ連および旧共産圏の諸国でカラー革命が続発し、プーチンのロシアを包囲し瓦解させようとするCIAの策動と謀略が顕著になる新冷戦化の始まりでもあった。

記憶だけでうろ覚えで恐縮だが、フランスのテレビ局が制作したカラー革命のドキュメンタリー番組では、2000年のセルビアでのブルドーザー革命、2003年のグルジアでのバラ革命の後、お膝元のモスクワでもカラー革命のロシア版の動きが起こり、若者たちがプーチン体制を打倒する「革命」運動に参集する姿が取材報告されていた。ソロス財団から資金が流れ、NED(CIA)が「市民団体」にマニュアルを付与していた。おそらく、このとき、プーチンは全てを察知し、NATOの東方拡大の真の狙いが何かを確信したのだろう。それは、ロシア連邦の崩壊と解体である。

それ以後、00年代後半からのプーチンの外交と政治について、寺島実郎などは「プーチンの大ロシア主義」と誹謗中傷するのだが、客観的に見れば、プーチンの国家防衛の焦眉の行動の連続と言っていい。放っておけば、カラー革命を連発されて体制崩壊へと追い込まれる。ベラルーシとウクライナもNATO入りさせられる。プーチンの危機感について内在的な見地から理解する議論が皆無だが、歴史を確認することでプーチンやロシア人の心理の内奥に接近することができるだろう。その歴史とは、ナチスの対ソ戦の構想と計画である。

Wikiに『わが闘争』の中身が要約されている。ヒトラーは劣等人種と看做したロシア人をシベリアに移送し、奴隷化した上で最終的に根絶する計画を立てていた。「東部総合計画」と呼ばれる。大木毅の岩波新書『独ソ戦』にその記述があるので抜粋しよう。

東部総合計画は、戦争終結後の最初の四半世紀において、ポーランド、バルト三国、ソ連西部地域の住民3100万人をシベリアに追放し、死に至らしめると定めていた。一方、残された『ドイツ化』できない住民1400万人は(略)ゲルマン植民者のために、奴隷労働に従事することになる。(P.93)

食料農業省次官のヘルベルト・バッケ(略)が立案したのは、占領したソ連から食料を収奪し、住民を飢え死にさせてでも、ドイツ国民(略)に充分な食料を与えることとする、『飢餓計画』と通称される構想だった。彼が推定するところによれば、現地住民から3000万の餓死者が出るとされていた。(P.94)

手元の資料に、A.ローゼンベルクが1941年に作成した「ソヴェト連邦分割計画」の地図がある。1985年に青木から出た『アジア 1945年』(中村平治・桐山昇編)の P.110 に掲載されている。ナチスは、バルト、ベルロシア、ウクライナ、カフカース、トルケスタンをドイツ統制下の属国として独立させ、白海からモスクワにかけてを領土とする小さなモスクワ国というロシア人の国を建てようとしていた。このローゼンベルクの地図をネットでよく紹介できないのが残念だが、ナチスはソ連をこのようにバラバラに切り刻む計画で戦争に臨んでいた

もし、今回プーチンが侵攻に出ず、外交で屈服して無成果なまま15万人の地上軍を撤収させていたら、おそらく、プーチンの失脚とベラルーシでのカラー革命に繋がったと予想される。このことは、対ウクライナ戦が長期化して死傷兵が多く出たり、ロシア経済が経済制裁で疲弊し損傷した場合も同じだ。ウクライナもNATO入り、ベラルーシもNATO入り、ジョージアもNATO入りし、カザフスタンでもカラー革命が起きるだろう。だが、それで終わりではない。プーチン後の政権が親欧米でなく、プーチンの政治思想を引き継ぐ傾向であったなら、NATOの締めつけと仕置きはさらに続く

具体的には、チェチェン共和国の独立があり、他にも複数地域のロシア連邦からの離脱候補があり、NATO(=CIA)がそれを支援する動きに出るだろう。広大な領土を有するロシア連邦は民族国家であり、ソ連邦と同じく国がバラバラになるリスクがある。少しでも中央集権が緩み、求心力が弱くなると、連邦から離脱して独立という動きに出る地域と少数民族を抱えている。一方、巨大な軍事力を有するロシアを欧州は潜在的脅威に感じていて、いつまたロシア帝国やソ連邦の勢力を取り戻して西に張り出すか分からないと警戒している。ロシア連邦の解体は、欧州のキッチントーク的な欲望であると言って差し支えない。 

何度か指摘してきたが、故岡本行夫は、8年前のクリミア紛争の際のサンデーモーニングの解説で、ゴルバチョフへの口約束をアメリカが反故にしてきた外交史について触れ、バルト3国にまでNATOにミサイル基地を配備されて、それでロシアに我慢しろと言うのはあまりに理不尽だと強調した。親米保守派の論客による意外なプーチン擁護の弁に、やや驚いたが印象的に覚えている。今回、藪中三十二も、佐藤優も、東郷和彦も、外務省系は基本的にこの線であり、プーチン・ロシアに同情的なスタンスで議論しており、小谷哲男や黒井文太郎や廣瀬陽子のようなCIA系とは一線を画している。

いずれにせよ、ロシア連邦を敵として封じ込めを続けてきたNATO東方拡大策に対して、ロシア側がそれをどう受け止めるかの想像力を持つ必要があり、その際重要なのは、ナチスの「東部総合計画」と「ソ連分割計画」の歴史の知識だろう。冷戦期のソ連共産主義は、ひとまずエルベ川まで押し出し張り出した線で満足しつつも、そのイデオロギーからして、世界をすべてコミュニズムの共同体にすることが理想であり、したがって隙あらばエルベを西に突破する潜性的衝動も持っていたわけで、西側から封じ込めの対抗措置を食らうのは必然だったと言える。だが、冷戦後のロシア連邦にはそのような目標も野心も微塵もなかった

2000年に大統領となったプーチンが努めたのは、西側と協調しつつの大国ロシアの再建である。プーチンのロシア連邦には、EU・NATOに危害を加えようとか、それと対抗して打倒しようなどという意図やイデオロギー的性向は全く見えない。NATOがロシアを敵視し封じ込めの対象にする必要は無かった。冷戦後のロシアは、おとなしくぎこちなく市場経済と民主制政治で国家運営していた。そのロシアを、なぜNATOは敵認定し、東方拡大で無用に挑発し、彼らが恐怖する西からの脅威(ナポレオン・ヒトラーの悪夢)の圧迫をかけ続けたのだろう。プーチンを国家安全保障のパラノイアにしたのだろう。無意味で不要だったと思わざるを得ない