櫻井ジャーナルが「米国の宣伝を垂れ流す西側メディアはロシアが示す事実を無視する」という趣旨の記事を出しました。
内容は別掲の植草一秀氏の記事と重なるものですが、植草氏の記事が簡潔に全体像に触れているのに対して、こちらはより具体的に事実関係に触れ、終段ではウクライナの生物化学兵器の研究施設に言及しています。
この研究施設については先般ロシアが国連安保理で告発しましたが、西側メディアは米国代表の「ニセ情報」に同調して一蹴し、その後のフォローはありませんでした。
まさに「ロシアが示す事実」は無視されたのでした。
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「アメリカ様の御言葉」を垂れ流す有力メディアがロシアが示す事実を無視する
櫻井ジャーナル 2022.03.21
ウクライナを舞台とした戦いの主体はアメリカとロシア、より正確に言うならば、ネオコンとロシアである。ウクライナのネオ・ナチも背後にはウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスの金融資本が存在していた。米英の私的権力こそが戦争の黒幕なのである。そこから目を背けてはならない。
ウクライナに対するロシア軍の攻撃が始まる前、2月19日にウクライナの政治家、オレグ・ツァロフはウォロディミル・ゼレンスキー政権が近い将来、ドンバス(ドネツクとルガンスク)で軍事作戦を始めると警鐘を鳴らした。
彼によると、ロシアとの国境近くを制圧してウクライナの現体制に従わない住民を「浄化」、同時にSBU(治安機関)は各地のナチと共同で「親ロシア分子」を殺し始めるというクロアチア的な計画。すでに準備は整い、西側の承認も得ているとしている。
作戦はキエフ、オデッサ、ハリコフ、ドニエプロペトロフスクなどウクライナ南東部で行う予定で、ターゲットには野党の政治家だけでなくブロガー、ジャーナリスト、オピニオン・リーダーも含まれ、住所と名前の書かれたリストはすでに作成されたと書かれていた。
戦闘が始まった後、ロシア軍はウクライナ軍が残した文書を回収している。それによると、ニコライ・バラン上級大将が1月22日に指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたという。この作戦はゼレンスキーが1月18日に出した指示に従って立てられたと言われている。
ツァロフの警鐘が無視できないのは、彼が2014年2月のクーデターを事前に警告していた事実があるからだ。2013年11月20日、ウクライナ議会で与党の議員だったツァロフはジェオフリー・パイアット米大使の下で「アラブの春」のような内戦が準備されていると警鐘を鳴らしている。暴力集団だけでなく、メディアやインターネットで国民を操ろうとしているというのだ。その直後に首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始まった。
ビクトル・ヤヌコビッチ政権に対する抗議活動だったが、当初は平和的なもの。そうしたこともあり、12月になると集会への参加者は50万人に膨れ上がったと言われている。参加者が膨らんだところでアメリカ/NATOが準備したネオ・ナチの戦闘集団が前面に出てきた。
その抗議活動を話し合いで解決しようとしたEUに怒ったのがアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補。現場でクーデターを指揮していた人物だ。
ヌランドがパイアット大使と電話で「次期政権」の閣僚人事について話している音声がインターネットに流れたのは2014年2月上旬。その中でヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にした。
これを「下品な表現」で片付けるべきではない。選挙で選ばれた政権を暴力で倒すべきだと彼女は主張しているのだ。平和的な話し合いではヤヌコビッチを排除できず、体制を乗っ取ることができない。排除することを前提として、ヌランドは次期政権の人事を指示しているのだ。
ネオ・ナチの集団は2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にし、石や火炎瓶を投げ始める。中にはピストルやライフルで銃撃する者も現れた。その際、ネオ・ナチは2500丁以上の銃が広場へ持ち込まれたと言われ、狙撃も始まる。その間、西側の有力メディアはネオ・ナチのクーデターを支援していた。いや、今でも支援している。
クーデターの最中、ヤヌコビッチを支持するクリミアの住民がバスでキエフに入っているが、ネオ・ナチによって状況が悪化している様子を目撃し、クリミアへ戻る。その際、クリミアの住民を乗せたバスが襲撃され、バスが止まると乗客は引きずり出され、棍棒やシャベルで殴られたりガソリンをかけられて火をつけると脅されている。
こうした話は当然、クリミアの人びとへ伝えられ、クーデターに反対する声が高まる。3月16日には住民投票が実施され、95%以上がロシアへの加盟に賛成した。そのときの投票率は80%を超えている。住民はアメリカを後ろ盾とするクーデター政権を拒否したわけだが、アメリカは自分たち都合の悪い事実は認めない。
クリミア制圧の失敗はバラク・オバマ政権にとって痛恨の極み。そこのセバストポリはロシア海軍の黒海艦隊が拠点だ。ここをロシアから奪うことで軍事的に締め上げようとしていたが、それがかなわなかった。
西側の有力メディアはロシア軍が侵攻したと宣伝していたが、そうした事実はなかった。ロシアとウクライナは1997年に分割協定を結び、ロシア軍は(クリミヤの)基地の使用と2万5000名までの兵士駐留が認められていて、この条約に基づいて1万6000名のロシア軍が実際に駐留、西側の政府やメディアはこの部隊をロシア軍が侵略した証拠だと宣伝していた。
クーデターから3カ月の5月2日、黒海に面する港湾都市のオデッサで反クーデター派の市民が惨殺されている。広場にいた市民に暴徒が襲いかかり、労働組合会館の中へ誘導されたのだが、そこで虐殺され、建物は放火された。50名弱が殺されたと伝えられているが、これは地上階で発見された死体の数で、地下ではさらに多くの人が殺されたと言われている。120名から130名とも言われているが、その大半は運び去られたという。この虐殺事件で中心的な役割を果たしたのが右派セクターだ。
その1週間後、ドンバスのマリウポリ市にクーデター軍は戦車を突入させて市内を破壊、非武装の住民を殺害している。5月9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、住民は外で祝っていた。それを狙っていたのだ。
その様子を携帯電話で撮影した映像が世界に発信されたが、それを見ると、住民が丸腰で戦車に向かい、殺されていく様子が映されている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が示されている。それをウクライナ政府は受け入れなかった。そこから悲劇が拡大する。
ウクライナは寄せ集めの国であり、東部や南部はロシア革命後にロシアからウクライナへ組み込まれた。そこで住民の多くはロシア語を話し、ロシア正教の信者が多い。クーデター体制はそうしたロシア語系住民を殺害、追放しようとしてきた。
こうしたロシア語系住民の殺害だけでなく、ロシアや中国に対する作戦や工作に使うため、ウクライナにはアメリカ軍をスポンサーとする生物化学兵器の研究開発施設が存在している。これはウクライナのアメリカ大使館も認めていた。
3月8日にはビクトリア・ヌランド国務次官が上院外交委員会でウクライナにおける生物化学兵器について質問され、兵器として使用できる危険な病原体を「研究」する施設が存在することを認めている。
アメリカ軍がウクライナに生物化学兵器の研究開発施設を建設していたことは決定的。ロシア軍は軍事作戦を始めてまもなく、そうした施設をミサイルで攻撃、特殊部隊が証拠を回収したと見られている。
ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日、ウクライナの研究施設で回収した文書から同国にはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あるとしている。その一部は知られていた。
ロシア国防省によると、ウクライナの研究施設で鳥、コウモリ、爬虫類の病原体を扱う予定があり、ロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究もしていたという。またロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、ウクライナの研究施設に保管されていたサンプルが証拠隠滅のために破壊されていると繰り返している。
ロシア軍がウクライナへの軍事作戦を始めた直後、WHO(世界保健機関)はウクライナの保健省に対し、危険性の高い病原体を破壊するように強く勧めたとロイターは伝えている。WHOはウクライナにあるアメリカ軍の研究施設で危険度の高い病原体を扱っていることを知っていたことになるだろう。
ウクライナのほか、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、そしてジョージアにもアメリカは生物化学兵器の研究施設を持っているという。そのうちジョージアでは流出事故があり、住民が被害を受けている可能性が高い。