2022年1月9日日曜日

09- コロナ禍 “孤独死のリアル” そして 『無縁社会』日本の深刻化(菅野久美子氏)

 ノンフィクション作家・菅野久美子氏の孤独死に関する記事(前・後編)が文春オンラインに載りました。これはまさに無言のまま 現在 至る所で進行している「悲惨」です。

 タイトル:
   ~ 無情なメモに見たコロナ時代の“孤独死のリアル”」(編)
  「 ~ “孤独死物件”の現場に見る無縁社会日本の深刻化」(後編)

 菅野久美子(ノンフィクション作家/ ジャーナリスト 40歳
  【著書】
    『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国
    予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)など。最新刊は『超孤独死社会 特
    殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)。
  【講演テーマ】
   「~無縁社会~ "独居高齢者"の孤立死を考える」「超孤独死社会 孤独死の現
    場で今、起きていること」「孤独死の現状と対策」など。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「コロナ禍なので家庭訪問は控えさせていただきます」 無情なメモに見たコロナ時代の“孤独死のリアル”
                   菅野 久美子 文春オンライン 2022/01/08
 年間孤独死3万人。孤立状態1000万人。日本はすさまじい勢いで孤立大国へと向かっている。それが、日本の孤独・孤立問題をテーマに長年取材と執筆を行なっている私の偽らざる本音だ。特に新型コロナウイルスの流行が始まってからは、これまで以上に人と人との繋がりが分断されてきている。そんな日本社会が抱えるリアルな「死」の現場を追った。(全2回の1回め)
                  ◆◆◆
真夏の炎天下での孤独死
 遺体の発見までの期間がこれまで以上に延びている――。長年付き合いのある特殊清掃業者がそう嘆くようになったのは、コロナ禍に入ってからだ。
 真夏の炎天下、特殊清掃業者とともに孤独死が起きた都内のアパートを訪ねた。このアパートでは、年に1回は孤独死が起きるという。いわゆる風呂なしアパートで入居者の多くに身寄りがいない。そのため毎回、人が亡くなると清掃費用は大家持ちとなっている。
「この費用、いつもどうにかならないかと思うんですよ」
 大家の男性はそう言ってため息をついた。
 部屋で亡くなったのは、70代の男性だった。
「これは1か月どころじゃない。数か月は放置されたままになってるな…」
 部屋に入るなり、特殊清掃業者はすぐにそう判断した。ワンルームの畳敷きの部屋は、異様な臭いが立ちこめていて、マスクの隙間からも容赦なく侵入してくる。特殊清掃業者は長年の経験から、畳に染みた体液や虫の状態からおおよその死亡時期を推定することができる。遺体は室内で少なくとも数か月放置されていた可能性があるということだった。畳の上には真っ黒になった布団があり、男性はそこで亡くなっていたらしい。体液をたっぷりと吸い込んでいた。

孤独死に多い「セルフネグレクト」
 特殊清掃業者の作業は素早かった。
 蠅の死骸や蠅の蛹などの虫たちをあっという間にかき集め、畳を上げる。大粒の汗が流れる額をぬぐいながら、懸命に清掃を続ける姿に、プロとしての矜持を感じる。こういった特殊清掃業者の数も、孤独死の増加と共にうなぎ上りで増えている。
 あまりに遺体が長期間放置されすぎたこともあり、男性の死因は不明だった。しかし、夏の暑さが影響したのかもしれないと私は直感した。極端な不摂生や、医療の拒否やごみ屋敷化など自らの体を痛めつける行為のことをセルフネグレクトという。孤独死した人の8割がこのセルフネグレクトに陥っている。特に夏場はエアコンなどが使えないと、セルフネグレクトから熱中症による孤独死に直結しやすいのだ。
 業者によると、通常なら少量でも写真やアルバム、趣味の品など、その人の身元を明らかにするものが見つかる。しかし今回の部屋は、いくら探しても人との繋がりを示すものは何もない。

「コロナ禍なので、家庭訪問は控えさせていただきます」
 数時間後、業者は、福祉関係者が残したと思われるある書類を見つけ出した。それは、コロナ禍の切ない刻印だった。
「『コロナ禍なので、当面の間、家庭訪問は控えさせていただきます』って書いているわ」
 業者はその手紙の文面を読むと、寂しそうにそうつぶやいた。
 男性は生活保護を受給していた。親族など頼る人のいない男性にとって、福祉事務所の関係者だけが唯一社会との接点だったようである。
 そのわずかな繋がりの線が、このコロナ禍によってプツリと切れてしまったことを、その手紙の内容は示唆していた。コロナ禍でなければ、少なくとも遺体はここまでの状態にならなかったかもしれない。そう考えると胸が痛んだ。そして、想像していたとおり最後まで遺族が現れることはなかった。

孤独死による特殊清掃費用がかさみ懐を痛める大家
 大家の男性は、住人たちが全ていなくなった後は、建物の取り壊しを考えていると呟いた。建物は経年劣化で老朽化しているし、これだけ頻繁に孤独死が起きている。その一方で、風呂無しアパートということもあり、家賃もあまり高く取るわけにはいかない。
 日本少額短期保険協会の第6回孤独死現状レポートによると、孤独死の原状回復費用の平均損害額は38万9594円。家具などの残置物処理費用の23万5865円と合わせると、60万円を超える。大家としては孤独死が起きることで多大なる特殊清掃費用もかさみ、懐が痛むのが実情なのだ。
 もちろん家で一人で亡くなることが悪いわけではない。
 在宅死は、私も含め一人暮らしであれば誰にでも起こり得る。本質は凄惨な「死」の現場ではなく、そのずっと手前にある。
 コロナ禍になり、人と人とのソーシャルディスタンスが叫ばれる時代になった。しかし、繋がりを持ち続ける人は、SNSなどを駆使して人間関係を深める一方で、必要なコミュニケーションにありつけない弱者はますます社会の外へと追いやられる状況になっている。
 孤独死現場には、そんないびつな日本の縮図ともいえる光景が広がっている。
 最近は、孤独・孤立の取材を重ねていると、何十年もひきこもった末に、高齢の親が亡くなり、孤独死したという事例に遭遇することが増えた。そしてご遺族に話を聞くと、ご本人が社会で何らかの挫折やトラブルに見舞われて、生きづらくなってしまった例が多かった。
 だから孤立ゆえの死は他人事ではなく、私たちの未来の姿でもある。私自身もひきこもりの末に、誰にも頼れず孤独死していたかもしれないからだ。

無縁社会により増えている「緊急搬送」のケース
 しかし、私はそんな現実を日々目の当たりにして、果たして弱者が取り残されるような社会でいいのかという思いを常に抱いている。コロナ禍は、そのような残酷な現実に拍車を掛けた。人の死が長期間認識されない事実が告げている、無関心な社会に対して大きな危機感を感じずにはいられない。
 高齢者や孤立した親子のサポートを行っている一般社団法人LMNの遠藤英樹氏は、そんな無縁社会と長年向き合ってきた。様々な案件を取り扱う中で、最近の変化を肌身で感じているという。
「周囲からも孤立していて精神的にも孤独感を抱えた人たちもすごく多いと感じます。だから我々もコロナ禍で、コミュニケーション重視のサポートにシフトしているんですよ。
 最近、緊急搬送の案件が増えているんです。高齢者や中年の方が、外出が億劫になり、腰や膝が痛いという理由で、病院にいくことがなくなってきている。そして、それを相談できる相手もいない。だから気がつくと一気に体が悪くなって、命に係わる状態で病院に緊急搬送されるんです」

たった一本の糸という繋がりさえも希少
 それでも、例えば遠藤さんの介入で、ギリギリ一歩手前で命が助かった例もある。
 公団住宅に住むある70代の女性は夫亡き後、親戚付き合いもなく、近隣住民との付き合いも希薄で、社会から孤立していた。そんな中、遠藤さんだけが唯一の社会との接点だった。
 女性はある日、部屋でつまずき転倒してしまった。女性と連絡が取れないことを心配した遠藤さんは、すぐに警察に事情を説明し、警察と共に鍵を壊して女性宅に踏み込んだという。
「僕たちが行ったら女性は横向きにリビングで倒れていたんです。意識はギリギリあったけど、声は出せない状態でした。恐らく3日間ぐらいはそのままの状態で倒れていたのでしょう。苦しかったと思います。女性は他者との接点がないため、あと1日2日僕たちが訪ねるのが遅れていたら、残念ながら亡くなっていたかもしれません」
 すんでのところで女性の命は助かった。しかし、その後、女性は長期間放置された影響で、泌尿器に重篤な感染症を患い、現在も入院生活を余儀なくされている。たった一本の糸があったことから、女性は何とか命を取り留めた。しかし、その一本の糸という繋がりさえも希少なものになっているのが我々の社会の現状なのである。
コロナ禍の孤独死 #2)に続く     (菅野 久美子/Webオリジナル(特集班))


コロナ禍の孤独死 #2
「白いカーテンが数千匹もの蠅で真っ黒に…」 “孤独死物件”の現場に見る「無縁社会」日本の深刻化 
                  菅野 久美子 文春オンライン 2022/01/08
 年間孤独死3万人。孤立状態1000万人。日本はすさまじい勢いで孤立大国へと向かっている。それが、日本の孤独・孤立問題をテーマに長年取材と執筆を行なっている私の偽らざる本音だ。特に新型コロナウイルスの流行が始まってからは、これまで以上に人と人との繋がりが分断されてきている。そんな日本社会が抱えるリアルな「死」の現場を追った。(全2回の2回め)
                  ◆◆◆
離婚後に男性が身を持ち崩し孤独死へ…
「日本は大変なことになっていますよ。突然、警察から電話がかかってきて、〇〇さんですか。ご身内の方が死んでいます、というのがデフォルトになっている。親族や友人など身内が見つけるということは少なくなっていると感じます」
 事故物件を多数扱っている不動産業の50代男性のA氏は、そう言って驚きを隠さなかった。
 ある50代の男性はコロナ禍で孤独死して、10か月以上に渡って放置されていた。
 妻と離婚後、男性は3LDKのマンションで一人暮らしをしていたという。
「ご遺族は80代のお父さんだったのですが、『息子さんが亡くなっています』と突然警察から電話があったみたいです。あまりに長期間放置されすぎてご遺体はミイラ化していたそうです。50代といえば、働き盛りで僕と同世代。これだけの期間放置されるなんて、本当に切ない話ですよ。息子さんは離婚後、社会から孤立し、お父さんともずっと疎遠だったそうです。コロナ禍で仕事もうまくいかなかったようで、なおさら孤独感を募らせたのではないでしょうか。僕が扱う物件の中でも、離婚後に男性が身を持ち崩して孤独死する例はかなり多いんですよ」

『早く何とかしろよ!コノヤロー!』罵声を浴びせてきた近隣住人
 A氏は数々の孤独死物件を見てきた。無縁社会の深刻化をひしひしと感じている。最近扱ったのは70代女性が孤独死して、死後3週間が経過した物件だという。
「その物件のフロアのエレベータードアが開いた瞬間、異様な臭いがフロア全体に立ち込めているのがわかったんです。それと同時に近隣住民たちが出てきて、『早く何とかしろよ! コノヤロー!』と私に罵声を浴びせてきました。私は親族に頼まれて、物件の査定にやってきただけなんですよ。だけど住民たちの怒りは凄まじかったですね。怒りをぶつける矛先がないんでしょう。だけど、その怒りももっともだと感じましたね」
 聞くと近隣住民は、あまりの悪臭のため窓も開けられない日々を過ごし、かつ隣人宅には室内にまで臭いが入り込んでいたらしい。こういった孤独死を巡る近隣住民のトラブルは珍しい話ではない。いたるところで起こっており、地域を揺るがす問題になっている。しかし、冷静に考えてみると、それは我々の社会が、未曽有の無縁社会に突入しているということの現れでもあるのではないだろうか。

黒色の厚手のカーテンかと思ったら大群の蠅が
 特殊清掃業者と共にA氏が物件に突入すると、正面に黒色の厚手のカーテンが揺れるのが見えた。
 しかし目を凝らすとそれは、だまになった蠅の大群だった。数百、いや数千もの蠅がカーテンにへばりついていたのだ。
「とにかくあのカーテンの蠅には驚きましたね。特殊清掃業者がスプレーをかけると、蠅たちが死んで真っ白なカーテンが露わになりました。カーテンの色って本当は白だったんですよ。部屋の中からはマンションの権利証や、現金が数百万円ほど見つかったんです。女性はお金だけは貯めていたのでしょう。だけど、近隣住民や親族との付き合いは皆無だったみたいです。切ないですよね。こんな現実を毎日見ていると、日本は沈没しつつあると思いますね。
 物件は分譲マンションだし、亡くなられた方は貧困世帯ではないんです。そこでも孤独死が起こって大問題になっている。ご親族に話を聞くと、亡くなったおばあちゃんは昔から、『人に迷惑をかけたくない』というのが口癖だったそうです」
 A氏は、そう言ってうなだれた。

「迷惑をかけたくない」という言葉
 孤立、孤独研究の第一人者である早稲田大学の石田光規教授は、『孤立不安社会』(勁草書房)の中で、「迷惑をかけたくない」という言葉に注目する。
「この言葉は、選択性を増し、自己決定の領域におかれた人間関係の暴力性を象徴している。関係性に頼ることなく、一人で生活してゆけるシステムの整備は、これまで人と人とを半強制的に結びつけていた社会的拘束を縮小させる。(中略)そのような状況下での関係性への依存は、個々人の努力の放棄や怠慢を意味し、『甘え』や、『他者への迷惑』といったラベルを貼られる。かくして人びとは『迷惑をかけたくない』という“消極的”理由により、人間関係からの“自発的”撤退を強いられるようになる。『選択的関係』が主流化した社会では、自主性の皮を被らせて、関係を維持しうる資源をもたない人びとを巧妙に排除してゆく
 つまり、コンビニやウーバーの普及により、人々は便利になった。
 誰かに頼らなくても一人で生活できるようになり、既存の人間関係に縛られることも少なくなった。人々は昔ながらのしがらみを解かれてより多くの自由を得るようになったといえる。
 その一方で、何かと家族などの血縁関係に助けを求めたり、執着することは「重荷」に捉えられ、自分でできることは自分でやるという風潮が強くなった。要は「血縁」ではなく「選択縁」を重視する社会、関係性を自助努力で構築しなければならない社会になったのである

「孤独は自己責任」と考える国・日本
 しかしそんな社会において、豊かな人間関係を持てるのは、例えば経済的資源に恵まれた人たちである。要は資源を持てる者の元には人が集まり、そうではない者は人間関係から排除されるということだ。そして前掲書によると、孤立のリスクはそんな資源の有無によって、親の代から子供に受け継がれることが分かっている。
 自己責任化で思い出すのは、2018年に英誌エコノミストなどが日米英3カ国を対象に行なった「孤独」に関する意識調査である。そこでは「孤独は自己責任」と考える人が日本で44%に上り、米の23%、英の11%に比べて抜きんでて多いことが判明した。何か事件が起こる度に、よく当人が「社会から孤立していた」と騒がれるが、自己責任で片付けていることをまず問題視する必要があるのではないだろうか。
 日本は昨年、イギリスに次いで、孤独・孤立対策担当大臣を設置した。私も実態調査に関するヒアリングに呼ばれたため、官僚の人たちに凄惨な現場と、そこで必死にもがいている人々の活動を伝えたが、もはや一刻の猶予もないといっていい。

多くの人が排除されない社会を
 特殊清掃現場には、部屋の全部に目張りをしていたり、シャッターを下ろして外界と遮断したような部屋とよく遭遇する。部屋の中で餓死していたと思われる事例も見聞きしている。
 そんな時、私は自分がひきこもりだった頃のことを思い出す。私が学校に行けなくなったのはクラスでのいじめが原因だったが、ひたすら「こうなったのは自己責任で、全部自分が悪い」という言葉に支配され、自らを追い込んでいた。社会から排除されているという孤独感が募り、心も体も蝕まれ、辛くてたまらなかった。そして学校からドロップアウトした自分自身を毎日激しく責め立てていた。
 私はその後支援者の助けがあって、ひきこもり状態から脱した。
 しかしそのままひきこもりが長期化していたら、社会から孤立し、助けを求める気力すらなく、崩れ落ちていたかもしれない。当時の身を引き裂かれんばかりの孤独感は、今思い出しても胸が苦しくなる。私自身そんな経験を持つ当事者ということもあり、社会から零れ落ちた人たちに目を向ける必要があると強く感じずにはいられない。
 まずは孤独・孤立についての自己責任化の流れに抗うこと、社会で傷付き生きづらさを抱えた人々に寄り添うことなど、私たちができることはいくらでもあるはずだ。多くの人が排除されない社会を望んでやまない。