2022年1月21日金曜日

沖縄はアメリカの奴隷か – 日本の人権の概念が変わっている

 世に倦む日々氏が「沖縄はアメリカの奴隷か – 日本の人権の概念が変わっている」と題する記事を出しました。衝撃を受けました。

 ここに紹介する以上、然るべき前振りの言葉を添えなくてはならないのですが、それが全く浮かびません。
 兎に角目を通していただきたいと思います。
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沖縄はアメリカの奴隷か – 日本の人権の概念が変わっている
                        世に倦む日々 2022年1月19日
日本の人権問題について考えたい。人権の語の語の意味をネットで繙くと、次のように法務省が教えてくれる。

「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持っている権利」であって、だれにとっても大切なもの、日常の思いやりの心によって守られなければならないものです。

小学校低学年向けの教育のようで抽象的な説明だ。Wiki の方が分かりやすい。最近、よく人権について耳にする機会が多い。だが、その意味は以前と較べてずいぶん中身が変わっているように思う。今回の私の不満と意見は、米軍基地から染み出したコロナ感染によって甚大な被害に遭い塗炭の苦しみを受けている沖縄の問題が、日本の人権問題として議論されず、認識されていないという問題である。人権侵害が見過ごされている。

最近の左翼リベラルは、二言目には人権を言い、差別の問題を提起する。口を酸っぱくして、いつもいつも人権と差別を言い上げ、世間一般に訓導と説教を繰り返し、日本社会の不全と遅れを批判している。だが、その中身は、常に判で押したように、ジェンダー、マイノリティ、LGBT、、の多様性の問題系統に限られ、いわゆるアイデンティティ・ポリティックスの範疇と言説に関わるものだ。例外はない。国際人権法の大学教授の谷口真由美を念頭に置くとイメージが容易だろう。何故そればかりがフォーカスされ、最優先で強調されるのだろうと不思議に思う。

日本国憲法の第三章には基本的人権のカタログが列記されているが、その条文には、ジェンダー、マイノリティ、LGBTの語は一語もなく、アイデンティティ・ポリティックスの思想や主張もない。その契機はない。人権は普遍的な考え方のはずで、時代が変わっても概念が変わるはずはないのだけれど、いま左翼リベラルが口煩く唱える「人権」の中身は、日本国憲法が起草され発布されたときの人権とは明らかに異質なものだ。違和感を覚えるのを抑えられない。

とかぶつぶつ文句を言い出すと、忽ち「昭和のオヤジ」のレッテルを貼られて糾弾と排除の対象になり、しばき隊左翼に「レイシスト」の烙印を押されてリンチ暴力の刑を受ける羽目になる。私も、何も知らないわけではなく、憲法学もすっかり変わり、アカデミーの憲法学者の人権の講義内容が様変わりし、憲法学の環境と常識が変わったことは承知している。だが、私には、その流れの変化が普遍的な真理の方向には見えず、一時的な流行思想の風靡と蔓延に見え、英米のリベラリズムの席巻と制圧だと抵抗を感じていて、それへの日本人の屈服と盲従を残念に感じているだけだ。

沖縄には主権者たる日本国民が住んでいる。だが、沖縄の日本国民は、米軍と米兵によって人間扱いされてない。米軍は沖縄の人々に人権を認めず、牛か馬か犬か猫のように扱っている。平気でオミクロン株を撒き散らし、それを当たり前のことのように済ませ、一切悪びれていない。謝罪も反省せず、被害の賠償もしない。サングラスをかけてマスクを外して街を闊歩している。危険と恐怖を嗜虐的に押しつけている。奴隷と主人の関係であり、日本が属国で、沖縄が自分たちの放恣が通用する占領地だからそうするのだ。隷従を強制しているのだ。

これは重大な人権問題だと思う。看過できない日本の人権問題だ。その点は誰もが認めてくれるだろう。では、日本の人権団体は声を上げているだろうか。沖縄の日本国民の人権を蹂躙している米軍と米兵に対して抗議し、彼らを非道な「差別主義者」として批難し、事態の改善に向けた運動に取り組んでいるだろうか。ネットで「日本の人権団体」の検索をかけると、幾つかの団体の名前が表示される。(1)ヒューマンライツ・ナウ、(2)ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本、(3)アムネスティ・インターナショナル日本、(4)日本弁護士連合会、などが主要で著名な組織として挙がる。

されば、これらの団体のHPを検証しよう。(1)ヒューマンライツ・ナウを見ると、何やらSDGsの宣伝が流れている。AV出演女性の人権救済の訴えがあり、伊藤和子の活動の姿を彷彿とさせる。ニュースの欄を見ても、声明・報告書を確認しても、沖縄のオミクロン株の問題については何も触れていない。関心外のようである。この団体はどういう経緯と目的で設立されたのだろう。何となくヒューマン・ライツ・ウォッチの日本版、あるいは子団体の雰囲気がする。阿古智子と土井香苗と三浦まりが理事に名を連ねている。

次に(2)ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本を見てみよう。NYに本部を置く国際人権団体で、NED(全米民主主義基金)と関係があるという噂がある。トップは北京五輪を牽制するもので、公式スポンサーに圧力をかけるメッセージを発信している。彭帥問題も取り上げていて、まるでCIAの広報そのものという趣であり、NHKと同じ問題の並べ方だ。ニュースの欄を見ても、沖縄の人権問題はなく、米軍米兵の人権蹂躙は全く見向きされてない。HRWの視線からは、世界で人権問題を起こしているのは、中国とミャンマーと北朝鮮とアフガンとエチオピアのようである。イスラエルの入植問題も微塵もない。

(3)アムネスティ・インタ-ナショナル日本を見てみよう。トップを開くと、「中国で拘禁された5人に自由を!」というメッセージが出る。暫く経つと、「日本は石炭発電を廃止して!」というメッセージに変わる。ニュースの欄を見ると、カザフスタン、ミャンマー、アフガニスタンが並ぶ。何処も同じ秋の夕暮れ。(1)も(2)も(3)も悉く同じ趣向と配列。恰も同一組織の如くで、何が違うのか分からない。沖縄についてのメッセージはない。沖縄の日本国民が米兵の犠牲となっている人種差別への注意関心はない

最後に(4)日本弁護士連合会を見てみよう。以前のHPとはデザインが一新され、構成と印象が変わっている。嘗てはいかにも日弁連のサイトらしかったが、現在のものは官庁の仕様だ。発信にメッセージ性がなく、官僚機構のルーティン情報が退屈に載っている。日弁連の団体設立の趣意は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」ことで、会則の第1条に宣言されているのだけれど、この気配がHPから感じられない。当然と言うべきか、沖縄の人権問題など全く眼中にない。NEDとは無縁な日弁連ならせめてと期待を託したが、ドメスティック系の人権団体も全滅だった。

日本の人権団体で権威的存在なのに、なぜ沖縄の人権問題に目が行かないのだろう。沖縄弁護士会のページには、1月14付で会長の抗議声明がある。少し対応が遅すぎるように思うが、沖縄弁護士会が声明を出しているのなら、日本弁護士連合会も声を合わせていいように思う。東京の日弁連にとってはローカルな些末な問題なのだろうか。米軍米兵による日本国民への横暴と被害は人権問題ではないのだろうか。日本国民への差別と人権侵害ではないのだろうか。地位協定一般も問題だし、政府も動くべきことだが、それ以前に、人権団体が焦眉の感覚で動いて世論に訴える問題ではないのだろうか

日本人の人権の概念と表象が変わっている。左翼リベラルの学者や弁護士が専売特許のように言うジェンダーやマイノリティやLGBTが人権の意味になり、アメリカ人が日本人にコロナを撒き散らし、沖縄社会に感染禍の被害を与えることは、人権問題でも人種差別でもなくなっている。そこはマスクされ、スルーされ、免罪免責されている。左翼リベラルのアメリカへの忖度によって、アメリカ人による日本人への人権侵害が非可視化され、不問に付されている。左翼リベラルの学者と弁護士がアメリカのイヌになっていて、日本国民を救済しようとしない。人権の思想と法制度が、アメリカ(とEU)の世界支配の武器となっている。

沖縄はアメリカの奴隷か。これ以上重大な差別があるのか。