2022年1月10日月曜日

「敵基地攻撃能力」保有の問題点(松井芳郎氏)

 岸田首相は歴代首相としては初めて、所信表明演説で「敵基地攻撃能力」保有の検討に踏み込みました。

 9に行われたNHK日曜討論では、敵基地攻撃能力の保有について立民党の泉代表は「敵基地攻撃能力とは何か、それで何が防げるのか、政権は説明していないので、了承できない」と強調し、共産党の志位委員長は「日本に戦火を呼び込むことになり、断固反対だ」と明言しました。
 それに対して維新の会の馬場共同代表は、「抑止力として反撃する能力を持っていることは絶対に必要だ」と述べ、国民党の玉木代表も「相手領域内での迎撃、抑止能力は必要だ」と同調しました。
 抑止論とはな軍事力を持てば相手国は攻撃を差し控えるだろうという発想ですが、現実を見ればそうではなく、これまで果てしない軍拡競争が展開されてきただけで、「抑止論の虚妄はほぼ結論が出ている」とされています。また自国領土内でもロクに迎撃できないのに「相手領域内での迎撃」に言及するとは、余りにも現実から遊離したもので、共に何の説得力も持たない主張です。
 しんぶん赤旗が「敵基地攻撃能力保有の問題点」について、国際法の専門家である松井芳郎・名古屋大学名誉教授に聞きました。「敵基地攻撃」が国際法上どのように位置づけられているのかが分かります。
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「敵基地攻撃能力」保有の問題点
  国際法の要件充足は至難の業 平和外交の具体化こそ現実的
                   松井芳郎・名古屋大学名誉教授(国際法)
                        しんぶん赤旗 2022年1月8日
 岸田首相は歴代首相としては初めて、所信表明演説で「敵基地攻撃能力」保有の検討に踏み込みました。「敵基地攻撃」は国際法上どのような問題点をはらんでいるのか。松井芳郎・名古屋大学名誉教授に聞きました。(佐藤高志)

 岸田首相が検討を表明した「敵基地攻撃」能力について、歴代政権は、これまで憲法上、どのように位置づけてきたのでしょうか。
「敵基地攻撃」論は長年の歴史を有しますが、その出発点は1956年の鳩山一郎首相の答弁でした。主に憲法論として論じられ、相手国からの攻撃を避けるために他の手段がなければ、「敵基地攻撃」は法理上可能だが、他の手段があるのに防御上の便宜というだけで相手国領域内の基地をたたくのは自衛の範囲外とされてきました。また、平生から他国に攻撃的な脅威を与えるような兵器を持つことは憲法の趣旨ではないとの見解が示されてきました。この議論の枠組み自体は基本的に変わっていないと思います。

 相手国からの攻撃を避けるために「他の手段がない」ということは、日米安保条約による米国の援助もないというのが前提ということですか。
「他の手段がない」という点については、最近の議論では全く検討されていませんし、その際に日米安保条約について触れた政府側の議論というのは確認できていません。ただ、日米安保条約における日米の役割分担のもとでは、自衛隊は「盾」の役割を、米軍は「矛」の役割を乗たすとされてきました。ですから、日本が「敵基地攻撃」能力を護得するというごとは、自衛隊が「矛」の役割もかってでるとよめます。そうすれば、日米安保条約上の日米の役割にも変容を迫るものとなると思います。
 また、「他の手段」があるのに「敵基地攻撃」を行えば、憲法の認める自衛の範囲には入らず、際法上も自衛権行使のための要件の一つである必要性の要件を満たさない違法な武力攻撃となります。具体的に北朝鮮・中国との関係では、相手国からの攻撃を未然に防ぐための緊張緩和や相互の軍縮の努力を行ってきたか、国連の有効な働きの確保を目指す努力を行ってきたのか、などが問われるだろうと思います。

 では、仮に日本が「敵基地攻撃」を行った場合、国際法で禁じられた先制攻撃には当たらないのでしょうか。 
 国際法的には、自衛権の行使のためには武力攻撃の発生が必要で、その「おそれ」に対する先制的自衛は認められないということは、岸田首相も外相時代に明言してきました。もっとも、武力攻撃の結果の発生までは必要ではなく、攻撃の「着手」で足りるとされてきたのです。
 問題は、その「着手」の時点の事実認定にかかわます。しかし、政府は「着手」として、さまざまなシナリオを例示するものの、結局は「個別具体的な状況に即して」判断するものとされ、具「体的な「着手」の基準は与えられていません。具体的な基準がないなら、「着手」は誤認され、さらには操作される可能性さえあります
「着手」の判断が誤り、すなわち武力攻撃が存在しないのに当方が武力を用いて越境攻撃を行えば、それは自衛権の行使としては正当化されず、かえって当方が武力侵略を行ったこととなります。日本国が国として国家責任を負い、さらにはそれを主導した国の指導者が「侵略犯罪」を犯したものとして個人の刑事責任を問われるかもしれないという重大な結果となるのです。

 「敵基地攻撃」を行えば、相手国も反撃してくる可能性があり、その反撃にも備えなければなりませんが、国際法上、‘どんな問題があるのでしょうか。
「敵基地攻撃」というと、手国が当方を攻撃して基地」ないしは「策源地」を対象とする攻撃という限定的作戦の印象を与えますが、国会の論戦などで当局者が認めてきたように相手国の基地防衛システムを合むミサイル体系全体を対象とする作戦とならざるをえません。 さらに、ミサイルによる再反撃の可能性をなくすためには、単に基地」や「策源地」にとどまらず、ミサイル体系を下支えする技術や情報インフラまでたたいておかないといけません。そうなると、事実上の全面攻撃にいきつくことは否定できません
 国際法上、自衛権の行使は武力攻撃の存在に加えて、必要性と均衡性の要件を満たさなければなりません。均衡性とは、該の攻撃に対して均衡がとれていることをいいますが、いまだ結果を生じていない武力攻撃の「着手」に対する自衛権の行使で、比較すべき「被害の結果」が発生していない以上、均衡性の要件の充足を確認することは至難のわざです。「敵基地攻撃」を行った相手国はもちろんですが、国際社会を納得させることは非常に難しいと思います。
 また、一般住民や民用物に過度の副次的損害を与えて国際人道法の違反となる可能性もあります。
 1999年のNATO(北大西洋条約機構)のコソポ空爆のときには、味方の人的損害を遊けるために、高高度爆撃が用いられましたが、目標を確認することが非常に難しく、副次的被害が随分出ました。自衛隊でももちろん国際人道法の勉強はしていると思いますが、実際に行う作戦との関係で副次的被害をどうやって少なくするか、ということにまで踏み込んだ検討は難しいだろうと思います。

 自民党はい「抑止力向上」を「敵基地攻撃」鯵カの保有の理由としています。
 抑止論とは、自国が強固な軍事力を有すれば相手国は自国への攻撃を差し控えるだろうという発想に立つものです。しかし、歴史的経験によれば、こちらが強大な軍事力をもてば、相手国は自国への攻撃を控えるのではなく、より強固な軍事力の建設に向かい、その結果層の軍拡競争と国際緊張の激化がもたらされたというのが現実です。ましてや、中国についていえ核軍備を合む強大な軍事力をもっているわけで、日本がこれを「抑止」するに足る軍事力を有することはまったく非現実的です。
 抑止論の虚妄は一般的には、ほぼ結論が出ています。1978年の国連第1回軍縮特別総会では、抑止論に対置して、国連の集団安全保障強化と全面軍縮を進めることで平和を維持しようという考え方が示され、米国やソ連を含めて合意されました。ただ、現実の政策はなかなか変わってきませんでした。これをどういうふうに現実化するかということが重大な課題となっていると思います。

 抑止論に代わる対処政策として、どのようなことが考えられますか。
 私は、平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本国憲法に基づく平和外交の政策が、一見したところ理想主義にすぎると見えるにもかかわらず、かえって現実的ではないかと思います。
 日本はこれまで、日米安保体制を軸として、中国や北朝鮮という近隣諸国を仮想敵国として、それに備えるという政策をとってきました。これが逆に、相手国にとっては大変な脅威となって、相手国の軍事力増強の一つの口実になっています
 しかし、日本が憲法に基づいて平和外交を展開すれば、地域の緊張緩和が進み、これら諸国の軍備増強の口実の一つを除去することができる。現状では、中国などを相手に、紛争案件をめぐる対話はほとんど行われていなのが実態です。
 さらに、日本がより広く世界的な規模で平和的生存権の実現を推進する外交政策を展開し、そのような国としての国際的評価が確立すれば、この事実は軍事力をはるかに凌駕する「抑止力」を発揮すると思われます。
 憲法に平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本は、国民の英知を集めて、この平和外交の具体的な在り方を組み上げていくことこそ必要だと思います。
 
 (まつい・よしろう 1941年京都府生まれ。名古屋大学法学部教授、立命館大学
  大学院法務研究科教授などを歴任。著書に『武力行使禁止原則の歴史と現状』など)