69回目の「原爆の日」(9日)、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、海外からの過去最多となる48カ国の代表を含め約5900人が参列し、原爆が投下された午前11時2分、全員で黙とうをささげました。
その後田上富久・長崎市長は平和宣言で、集団的自衛権行使容認の閣議決定に触れて「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と政府に呼び掛けました。
また、核兵器保有国と日本を含む「核の傘」の下にある国に対し、核兵器禁止を求める国々と協議の場を設けるよう呼び掛け、日本政府には「核兵器の非人道性を一番理解している国として、先頭に立ってください」と訴えました。
式典では、この1年間で死亡が確認された被爆者3355人の氏名が書かれた原爆死没者名簿3冊が新たに加わり、奉安された死没者の総数は16万5409人になりました。
毎日新聞の記事と平和宣言の全文を紹介します。
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長崎原爆の日:田上市長「戦争しないという誓い 揺らぐ」
毎日新聞 2014年08月09日
長崎は9日、69回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、安倍晋三政権が7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯(し)に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と政府に呼び掛けた。一方、安倍首相は「『核兵器のない世界』を実現するための取り組みを、さらに前に進める」と述べたが、2007年の第1次政権時に触れた「憲法の規定を順守」とする発言はなかった。
台風11号の接近に伴い、3200人収容できる大型テントを前日に撤去するなどして迎えた。式典は午前10時35分に始まり、安倍首相ら約5900人が出席した。米国など核保有国を含め、過去最多となる海外48カ国の代表も参列し、原爆が投下された午前11時2分、全員で黙とうをささげた。
平和宣言には、6日の広島市の平和宣言では言及されなかった「集団的自衛権」の文言が盛り込まれた。田上市長は「集団的自衛権の議論を機に、『平和国家』としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされている」とし、日本国憲法9条がうたう平和主義に触れ「『戦争をしない』という誓いは被爆国・日本の原点であり、被爆地・長崎の原点でもある」と述べた。
そのうえで「被爆者たちが自らの体験を伝え続けた平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が、急ぐ議論のなかで生まれている」と、十分な議論を経ないままの憲法解釈変更への危機感をにじませ、国民の声に耳を傾けるよう政府に求めた。
また、核兵器保有国と日本を含む「核の傘」の下にある国に対し、核兵器禁止を求める国々と協議の場を設けるよう呼び掛けた。日本政府には「核兵器の非人道性を一番理解している国として、先頭に立ってください」と訴えた。
安倍首相は「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがある」とあいさつした。集団的自衛権への言及はなく、原発問題にも触れなかった。
式典では、この1年間で死亡が確認された被爆者3355人の氏名が書かれた原爆死没者名簿3冊が新たに奉安された。奉安された死没者の総数は16万5409人になった。【小畑英介】
平成26年長崎平和宣言 (全文)
69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。
もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。
今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。
こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが始まっています。
しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。
核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。
いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。
来年は被爆からちょうど70年になります。
被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充実を望みます。
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。
2014年(平成26年)8月9日
長崎市長 田上 富久