2014年8月30日土曜日

ロシア軍がウクライナへ侵攻したとするNATOの宣伝はおかしい

 28日、ウクライナNATOなどは、ロシア軍部隊がウクライナに侵攻したもののそれを殲滅したと報道しましたが、ウクライナが侵攻してきたロシア軍部隊を殲滅したという報道は、これでもう何度目かのことになります。
 
 29日の「櫻井ジャーナル」は、西側が公表する衛星写真などがいかがわしいものであることともに、ロシアが侵攻をすることなどありえないことを論証し、こうした西側のすぐ飛びつくようなことをしてはいけないと警告しています。
 
 「櫻井ジャーナル」の記事を紹介します。
 
追記) 記事の中で触れているPaul Craig Roberts氏の論文は、8月30日付「マスコミに載らない海外記事」 =  「ウソの上にウソを重ねるアメリカ政府」
   で読むことが出来ます。
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露政府が外交攻勢をかける中、NATOは露軍がウクライナへ侵攻したと宣伝するが、信憑性に疑問 
櫻井ジャーナル 2014年8月29日
 ウクライナにロシア軍の部隊が軍事侵攻したことを示す写真なるものをNATOが公表した。ウクライナ東部、ドネツクにある戦略的に重要なノボアゾフスクが反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)に制圧されたことを受けてキエフのペトロ・ポロシェンコ政権は「ウクライナにロシア軍が導入された」と発表、アメリカ政府は曖昧な表現で同じことを主張していた。
 
 言うまでもなく、NATOが持っている情報はアメリカも持っている。ほかのNATO加盟国の中に知らない国があったとしても、アメリカに情報が伝わっていないということは有りえない。にもかかわらず、アメリカ政府が曖昧な表現しかできなかったのは、NATOが公表したという写真に問題があるということだろう。
 約1カ月前、タイム誌がロシア領からウクライナ領に向けて砲撃している様子だとする衛星写真を載せていたが、似たような展開だ。その時は、ロシア領からウクライナ領に向けて砲撃していることを示す衛星写真だとするものをウクライナ駐在のジェオフリー・パイアット米大使がツイッターで広めていた。
 写真の出所はDNI(国家情報長官室)で、それを国務省が電子メールで流し、それをパイアット米大使がツイッターで広めたとされていたが、ポール・クレイグ・ロバーツPaul Craig Roberts元米財務次官補は即座に不自然だと指摘していた。その写真が本物ならロシア軍が自国領からウクライナへ向かって砲撃していることを示す重要な証拠であり、それを電子メールで公表するということは考えにくいというのだ。それなりの立場の人物が記者会見を開き、ミサイルの発射地点など詳細を説明するのが自然だ。実際、インチキだった。
 そのロバーツ元財務次官補は今回の写真もインチキだろうと推測、その3つの根拠を挙げている。
 
 ひとつは、ウラジミル・プーチン露大統領が外交攻勢をかけている中でロシア軍の小規模な部隊をウクライナ(ドネツク人民共和国)へ入れるというリスクを犯さないだろうということ。8月26日、プーチン大統領はベラルーシのミンスクでポロシェンコ大統領やEUの幹部とウクライナ問題について協議している。
 
 ふたつめは、もしプーチン大統領がロシア軍を派遣して住民を守る決心をしたなら、グルジアの時のように十分な規模の部隊を動かすだろうということ。この時はグルジアが南オセチアを奇襲攻撃、その反撃だった。今回も、1000名ではなく空軍も参加した10万名規模のロシア軍だという話なら信憑性は高かったとロバーツは書いているが、その通りだろう。
 本ブログでも何度か書いたが、当時のグルジア政府はイスラエルときわめて緊密な関係にあり、軍はイスラエルとアメリカから支援を受け、兵士は軍事訓練を受けていた。ロシア側では、グルジアの奇襲攻撃作戦はイスラエルが立案したものだと見ていた。
 
 第3の理由は、キエフ軍の住民に対する攻撃を止めるためなら、ロシア空軍がウクライナ軍を粉砕すれば良いとしてる。両国の軍事力を比較すれば、ロシアにとって容易いことだ。
 前から書いているように、キエフ政権は軍を掌握し切れていない。ネオ・ナチの指揮でウクライナ人を殺すことに疑問を持つ将兵も多いだろう。最近では徴兵をめぐって住民の抗議も始まっている。西側の要求が具体化してくると、ウクライナ西部でもポロシェンコ政権に対する反発は強まる可能性が高い。
 
 今年2月、アメリカ/NATOがネオ・ナチを使って実行したクーデターを「民主化」と言い張るためには嘘に嘘を重ねなければならなくなっている。今回もそうした嘘のひとつだったのだろう。ロシアが攻撃したというような話にすぐ飛びつく「ロシア嫌い」は少なくないようで、クリミアがウクライナから離脱したときもロシアの駐留軍を「侵略軍」だと表現していた。今回も同じことを繰り返している人がいる。