2014年8月13日水曜日

憲法学者 小林節さんの原点

 シリーズ「時代の正体」を(断続的に)連載している神奈川新聞は、第13回で、憲法改正派の論客でありながら、安倍首相がかつて目指した96条(改憲手続き)の改憲や、その後に行った解釈改憲の手法などを徹底的に批判している小林節慶大名誉教授を取り上げました。
 ハーバード大を出た活きのいい改憲派として、自民党議員勉強会の講師を務めるようになったものの、彼の「護憲的改憲論」は賛同が広がらず、自民党と距離を置くようになり心も折れたころ、伊藤真弁護士が著書で自分を批判していることを知りました。
 小林氏は言います。
 「伊藤氏は違った。9条は変えなくても、こういう解釈が成り立つと対等に議論し、一方で私の考えに理解も示した。護憲派にもこんな人がいたんだと、またやってみようかと思わせてくれた」
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 神奈川新聞の「正義のミカタの原点 憲法学者の小林節さん」を紹介します。
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(シリーズ)時代の正体(13) 語る男たち(1)  
正義のミカタの原点 憲法学者の小林節さん
神奈川新聞 2014年8月12日
 戦後69年を迎え、日本の平和のカタチが大きく変容しようとしている。安倍政権が踏み切った集団的自衛権の行使容認にその一里塚を見て、反対の論陣の先頭に立つ人たちがいる。なぜ声を大にし、何に抗(あらが)おうというのか。その原点からたどった。
 5月28日、参院議員会館。安倍晋三首相が目指す憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の行使容認に反対する論客が席を並べていた。
 歯に衣(きぬ)着せぬいつもの物言いを響かせた。
 「憲法によって主権者に縛られるべき権力者が憲法を読み替え、海外派兵に付き合えという。これはもう憲法泥棒、あるいは憲法ハイジャックだ」
 左手を机の下にしたままのしぐさも、いつも通りだった。眉間にしわ寄せ、怒れる憲法学者は左手を人前にさらすことをまずしない。
 「人の目がそこへ向くのが分かるから。そのために、俺の言葉が届かないのが嫌なんだ」
 左手の指が生まれつき、なかった。
 
言葉への畏怖 
 白い手袋で包んだ義手を見られるのがいまも嫌いだ。「この手のおかげでいろんな思いをしてきたから」
 いじめられっ子だった。容姿をからかわれ、仲間外れにされた。「子どもは残酷だからね。手加減なしに腕力でやっつけられちゃう」。いつしか、輪に入ること自体を諦めるようになった。「野球をやっても、俺がいるチームは負ける。迷惑になるんだ」
 小学校に上がるころ、母に詰め寄った。「頼んでもないのに、どうして僕なんて産んだんだ」。泣きながらわびる母を見て、自らの言葉を呪った。
 「自分という存在自体が母を傷つけているんだと気付いた。それから自分は変わったと思う」
 強くならなければ-。小学校に弁護士の父を持つ同級生がいた。法律を盾に悪者をやっつける。腕力がなくても、正義のヒーローになれるじゃないか。
 いじめっ子には議論で立ち向かった。弁の立つ人をまね、研究した。「先生を味方につけるという、『政治』も覚えていったよ」。それも限界があった。打ち負かしたはずの相手が、負け惜しみに言い捨てるのだった。
 「指がないくせに、むかつくんだよ」
 少年は何度も傷ついた。
 「いくら口で勝っても、最後に裏切られるんだ」
 言葉は人を救いもするが殺しもする。その畏れこそが、憲法学者としての原点だ。
 
憲法学と正論 
 中学では検察官に惹(ひ)かれ、高校では裁判官もいいなと思った。慶応大に進み、法律家や憲法学者と呼ばれる先生たちを知った。
 「これだと思った。弁護士は依頼人のため、検事は犯罪を裁くためにと、仕事の範囲が限られる。憲法学者は公平中立でいい。争いから離れ、正論を堂々と言える」
 29歳で渡米し、ハーバード大学で憲法を学んだ。
 「独立戦争を経て国をつくった彼らにとって、憲法はあくまで国家を縛るための『道具』だった。代々、天皇を頂点にいただいてきた日本との決定的な違いだった」
 帰国後、慶応大の教壇に立ち始めた。自衛隊を軍隊として認めるべきだと改憲論を唱えると、自民党議員の勉強会に招かれるようになった。その一つが「自主憲法制定国民会議」。安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相が初代会長を務めていた。
 
 「慶応にハーバードを出た活(い)きのいい改憲派がいると目をつけられた。でも俺の考えの本質なんて誰も理解しない。向こうは『若いのを教育してやろう』という感じ。勉強会の中身はずっと『明治憲法に戻れ』。結局は憲法が真面目に議論されることなどなかった。自民党が続けてきた勉強は、これが実態だ。よくよく学ばせてもらったよ」
 提唱したのは改憲論でも、「護憲的改憲論」だった。自衛隊のアフガニスタン侵攻での後方支援、イラク戦争への派遣と日本が実質的に戦争に加担しているのは明らかだ。それは9条に隙があるからにほかならない。ならば自衛隊のできること、できないことを憲法に明記し、歯止めをかけるべきだ。戦争をするためではなく、戦争をしないための改憲。それが本質だった。
 憲法により「人」を思うようになったのは、35歳で長女が生まれてからだった。腕の中でまな娘をあやしながら、ある浅はかさに気付いた。
 「それまで1億人を守るための3千人の犠牲は誤差の範囲という言い方をしてきた。間違っていた。3千人すべてに家族があり、それを誤差なんて言ってはいけなかった。それからは粋がった議論はしなくなった」
 自民党と距離を置くようになっていった。
 
絶望と出会い 
 護憲的改憲論はしかし、賛同が広がらなかった。48歳で心が折れた。「自分のすべてが空理空論に思え、バカらしくなった」。実利を取ろうと弁護士登録をした。
 そんな時、ある護憲派の若手が著書で自分を批判していることを知った。伊藤真弁護士だった。
 改憲派は現行憲法を米国の押しつけと拒絶し、護憲派は憲法に触ること自体をタブー視する。同じ土俵に乗らず、上滑りを続ける憲法論議に嫌気が差していた。
 「彼は違った。9条は変えなくても、こういう解釈が成り立つと対等に議論し、一方で私の考えに理解も示した。護憲派にもこんな人がいたんだと、またやってみようかと思わせてくれた」
 第1次安倍内閣の退陣とともにしぼんだかに思えた憲法改正論議が再登板によって息を吹き返し、やがて2人は席を同じくする。5月28日の集会は、集団的自衛権の行使容認の理屈付けをすべく安倍首相が設けた有識者懇談会に対抗して立ち上げた「国民安保法制懇」の結成会見だった。
 呼び掛け人である伊藤弁護士の横でマイクを握る右手に力を込めた。
 「あの懇談会がいかにお粗末か、国民が知るお手伝いをさせていただきたい。秋の国会で法改正が必要になる。政治家は次の選挙を意識する。そう簡単に安倍首相の思う世界にはならない」
 安倍首相は繰り返す。「国民の命と平和な暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する必要がある」。それがなぜ集団的自衛権の行使でなければならないのか、を説明することなく。
 いま、護憲、改憲派を問わず、さまざまな立場から誘いがかかる。
 「俺は、仲間外れが自分の星だと思って生きてきた。だから周りを敵にしても、自説を曲げなかった。でもいつの間にか、人に囲まれるようになった。やっぱり理解されるのはうれしい。だからさ、多少でも自分の考えが求められるのなら、そりゃやるしかないじゃない」
 根っこはここにある。言葉を軽んじる者たちに屈したくは、ない。
 
 
  こばやし・せつ 1949年東京都生まれ。憲法学者。弁護士。慶応大法学部教授を務め、4月から同大名誉教授。横浜市港北区在住。