2014年8月11日月曜日

原稿になかった長崎の怒りの言葉

 9日、長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で被爆者代表の城台美弥子さんは、倍首相を前にして、集団的自衛権行使容認閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と厳しく批判しましたが、それは用意した原稿にはなかったもので、「出席した政治家たちを見て、黙っていられずに、口にしたものと分かりました。
 「暴挙」の部分に続いて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけたのも、原稿にはないアドリブでした
 いずれも湧き上がる気持ちを抑えることが出来ずに言葉になったものでした。
 
 一方、6日に広島市の平和記念式典で行った首相のスピーチは、多くの部分が昨年とほぼ同じで「コピペ(文章の切り張り)の文章で被爆者軽視だ」と批判を受けましたが9日の長崎市の平和祈念式典で行った挨拶も、冒頭の表現などおよそ半分が昨年の記述とほぼ同じものでした。
 政府は、広島市での首相スピーチが昨年と殆ど同じだったことについて、「一年一年、中身を吟味しながら、犠牲者や平和に対する思いを盛り込んで作っている」と釈明しましたが、長崎でも表現が昨年と酷似していたことで「平和に対する思い」の深さに疑問符がつきました
 
 東京新聞の二つの記事を紹介します。
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原稿になかった長崎の怒り 集団的自衛権「憲法踏みにじる暴挙」
東京新聞 2014年8月10
 長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で営まれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)は、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と批判した。用意した原稿にはなかった表現で、「出席した政治家たちを見て、黙っていられなかった」と振り返った。安倍晋三首相は式典後、被爆者団体との面談で閣議決定の撤回を求められたが、「国民の命と幸せな暮らしを守り抜く責任がある」とかわした。広島に続いて長崎でも、被災地の思いに応えることはなかった。
 
 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」
 田上富久(たうえとみひさ)市長の平和宣言に続き、「平和への誓い」を読み上げる城台さんの表情は厳しかった。
 「日本国憲法を踏みにじる暴挙」のくだりは、事前に書いた原稿では「武力で国民の平和を作ると言っていませんか」となっていた。差し替えは、読み上げる直前に決意した。待機席で登壇を待っている時、来賓席に座る安倍晋三首相ら政治家たちの姿が目に入ったのがきっかけだった。
 「憲法をないがしろにする政治家たちを見て、怒りがこみあげました」。式典後、やむにやまれぬ思いをぶつけた理由を打ち明けた。
 
 一九四七年五月の憲法施行直後に発行された「あたらしい憲法のはなし」という教科書がある。城台さんは子どもの頃に読んで感動した。「憲法の素晴らしさが理解できた」。憲法を守りたい気持ちは強い。
 六歳の時に爆心地から二・四キロ南東へ離れた自宅で被爆した。山が爆風と熱線を遮り、奇跡的に無傷で、家族も全員助かった。だが、同級生や友人たちは成人後にがんや心臓、脳疾患などで次々と命を落とした。
 平和祈念式典に向け、遺族会メンバーから「平和への誓い」を読んでほしいと頼まれたのは昨年十二月。被爆者の中で比較的若い自分の責務と引き受け、原稿を書き進めた。
 そして迎えた本番。「暴挙」の部分に続いて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけた。これも、原稿にはないアドリブだった。
 式典後の城台さんは、穏やかさを取り戻していた。「政治家の皆さんに、今日のことを少しでも覚えていてほしいという気持ちもあります」と振り返った。 (小松田健一)
 
◆「平和への誓い」抜粋
 今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。
 
 
首相また「コピペ」 長崎平和式典スピーチ
東京新聞 2014年8月9日 
 安倍晋三首相が九日、長崎市での平和祈念式典で行ったスピーチは、冒頭の表現など、およそ半分が昨年の記述と酷似していた。六日に広島市での平和記念式典で行った首相のスピーチも、冒頭部分が昨年とほぼ同じで「コピペ(文章の切り張り)で被爆者軽視だ」と批判を受けたが、姿勢を変えなかったことになる。
 
 スピーチの冒頭部分で首相は、原爆の犠牲者を悼み、後遺症に苦しむ被爆者にお見舞いを述べた上で、長崎を復興させた人たちの努力に触れている。
 この中で、昨年と表現が違うのは原爆投下からの年数だけ。昨年のスピーチで「被爆六十八周年」だったのが「被爆六十九周年」に、「六十八年前の本日」が「六十九年前の本日」にそれぞれ変わった。「苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を美しい街としてよみがえらせました」など、ほかの部分は一字一句違わない。
 原爆症認定基準の見直しなど、政府の取り組みを紹介する部分は昨年と異なる。しかし、核兵器廃絶への誓いを述べる末尾の部分は、冒頭と同様、昨年のスピーチとほとんど一緒だった。
 政府は、広島市での首相スピーチが昨年と似ていたことについて、「一年一年、中身を吟味しながら、犠牲者や平和に対する思いを盛り込んで作っている」(加藤勝信官房副長官)と釈明していた。長崎でも表現が昨年と酷似していたことで「平和に対する思い」の深さに疑問符がついた。
 首相はこの後、被爆者団体と面談。長崎原爆遺族会の正林克記(まさばやしかつき)会長は首相に「ちょっとがっかり。被爆者みんながびっくりした状態です」と失望を伝えた。