2018年2月4日日曜日

9条改憲と安全保障について - (世に倦む日々)

 ブログ「世に倦む日々」が「9条改憲と安全保障について」論じる記事の中で、二つの重要な指摘をしています。

 一つは、「安倍首相が主張する9条の改憲問題は、9条を変えるか変えないか、9条を変えていいのかどうかという根本問題が基本であるはずなのに、マスコミは、2項削除か2項維持かという選択に仕立てている」というものです
 2項削除しても2項維持しても自衛隊が明記されれば自動的に2項は有名無実になるので、マスコミの立てる選択肢はもともと無意味です。既に安倍首相の術中に落ちているというわけです。
 また「自衛隊員は命を賭けて国民を守っているから・・・云々も愚かな詭弁であって、それなら消防隊員や警察官も全く同じ立場なので、特別職の国家公務員の集団である自衛隊を憲法に明記する必要があると言うのなら、消防隊員や警察官のためにも特別に条文を書き込む必要がある」とも指摘しています

 もともと憲法に明記されている国の機関は、衆院・参院・内閣・裁判所・会計検査院だけで、警察庁も海上保安庁も消防庁も書かれていない(小林節氏)のに、自衛隊だけを憲法に明記するというのは極め付きのいびつな主張です。
 マスコミはこの点も大いに衝くと共に国民に対しても啓発すべきです。

 もう一つは、安倍首相やマスコミが繰り返し用いる「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」という枕詞で、「厳しさを増している」と騒いでいるのは日本だけで、韓国や中国の人々はそう思ってない」のではないか、という指摘です。
尖閣の領土問題に火を点けたのは日本の方民主党政権時代の前原誠司外相で、中国に喧嘩を売り、中国との間で安全保障上の緊張を激化させたのは日本の責任ではないか」と述べ、安倍首相が強調してやまない北朝鮮問題も「北朝鮮は、そもそも国力的に日本の脅威となる存在ではない。北朝鮮の核開発は、基本的に米国と交渉するための外交カードにすぎず、それを軍事的脅威だとして騒ぐのは過大評価」であると述べています。

 最近安倍首相は、「北朝鮮は日本への攻撃を公言している」と言い出しました。
 自分が広範な国民の反対を押し切って踏み切った「集団的自衛権の行使」を含む日米軍事同盟を結んでいるのだから、アメリカが北朝鮮を攻撃した場合「北朝鮮が日本を攻撃する」のはごく当然のことです。
 自分が相手を殴っておいて、相手が殴り返そうとしたことを非難するとは・・・正しく安倍首相は愚かなマッチポンプの人間です。

 31日付のブログ「世に倦む日々」を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9条改憲と安全保障について - 二つの言説に対する反論
世に倦む日々 2018年1月31日
昨夜(30日)、NHKのニュースで9条改憲についての安倍晋三の国会答弁を報道していた。2項を残して3項で自衛隊を明記する持論を語り、委員会席に座っている2項削除論の石破茂に向かって鞘当てする映像を流していた。さらに、高村正彦がどこか国会外で喋っている絵を映し、2項削除では公明党の賛同が得られないから、公明党に合意させるために3項追加を自民党の正式案にするのだと補足までさせた。安倍晋三の意向に即した、あからさまな世論工作の報道だ。今国会の中心テーマが9条改憲の問題であることは言うまでもない。が、本来、この政治争点は、9条を変えるか変えないか、9条を変えていいのかどうかという根本問題が基本であるはずなのに、マスコミは、2項削除か2項維持かという選択に仕立てている。9条を変えて自衛隊を明記することについては、もう既に決まったことのように報じ、国民的な了解が得られているかの如く問題を説明している。安倍案か石破案か、どちらなのかという政治構図にし、幅広い国民の合意を得られるのは安倍案だと宣伝している。3月の自民党大会に向けて、石破案と安倍案の二つの改憲案が競い合うので、レースの行方を注目しようという報道になっている。9条改憲を前提にした、9条改憲を既成事実化する偏向報道だ。

この国会報道は、前のブログ記事で指摘したところの、9条改憲についての世論調査の新三択方式の出現とそのまま連動していることが分かる。毎日新聞の1月22日の世論調査では、①2項を残す安倍案が31%、②2項を削除する石破案が12%、③自衛隊明記の必要はないが21%の比率になっていた。NHKの憲法論議の国会報道は、まさしくこの調査結果をベースにしたもので、いわばこの数字を「公平性」の担保にした上でのプロパガンダだ。NHKのこうした報道が続くと、2月以降の世論調査では、さらに①が増え、③が減るという状況になる。9条護憲の意見は国民の中で少数異端だという見方がまかり通り、9条改憲がもはや決定的だという認識が通念化されてしまう。安倍晋三と右翼の思惑どおりに改憲政局がドライブされる。一週間前(24日)に三択方式の謀略について暴露したあと、もう少し反響や波紋が広がり、護憲派が注目してこの世論工作に対して反発と抵抗の声が上がるかと期待したが、誰も話題にしないので脱力させられた。安倍晋三がマスコミを使って9条改憲の攻略を着々と進めているのは一目瞭然で、しかもきわめて効果的な(護憲側にとっては打撃となる)作戦なのに、左翼リベラルがその攻勢に言論の戦場で反撃を試みない。左翼リベラルは何を考えているのだろう。鈍感と怠惰に呆れる。

2月以降、9条について本格的に議論を深めたいが、さしあたり、現在の9条をめぐる言説の中で、二つほど気になっている俗論があるので簡単に反論しておきたい。第一は、安倍晋三が何度も繰り返しているところの、憲法に自衛隊を明記しなければ、自衛隊はいつまでも憲法違反の存在であり、いざというとき命をかけて任務遂行してくれと言えないではないかという9条批判の弁である。この脅迫の論理については、すでにマスコミでも反論が提示されていたと思うが、全く不当な詭弁でしかない。安倍晋三は政府の首相ではないか。政府はいつ自衛隊を憲法違反の存在にしたのだ。憲法9条の明文規定にかかわらず、政府は自衛隊を合憲と認め、自衛隊法で位置づけて組織を運用してきた。解釈で合憲としてきた。その政府の憲法解釈を基礎づけてきたのは、戦後の憲法学の権威であった宮沢俊義の学説と理論である。「日本は、自衛権はもつが、その発動としても、戦争を行うことは許されず、自衛権は、戦力や、武力の行使を伴わない方法によってのみ、発動を許される」(『日本国憲法』 - 小林直樹の岩波新書『憲法第9条』P.51)。この正統理論が政府見解を根拠づけ、長い時間をかけて定着してきたことは言うまでもない。自衛隊の専守防衛はここから来ている。安倍晋三の論法は、政府の憲法解釈の逸脱であり、政府の外で右翼が言う暴論の主張だ。

すでに誰かから指摘があったと思うが、自衛隊は自衛隊法に基づく政府機関の一つであり、自衛隊員は特別職の国家公務員である。公務員として身分と権利を認められ、他の公務員と同様に退職金も年金も支払われている。日本国の現在の法理では、自衛隊は自衛隊法に規定された「自衛」という任務を遂行する組織集団で、自衛隊員はその「自衛」活動をする政府職員であり、すなわち軍隊でもなければ兵士でもない。命を賭けて国民を守っているからという主張は、愚かな詭弁であって、それなら消防隊員や警察官も全く同じ立場ではないか。4年前の御嶽山噴火の災害救助のとき、オレンジの消防隊と、ライトブルーの警察救助隊と、迷彩服の自衛隊と、三者が共同で斜面に展開して救助活動をやっていた図は記憶に新しい。東日本大震災のときも同じだった。そこでは多くの消防隊員が犠牲になった。隊員の命をかけて国民を守る任務と活動という点において、消防と警察と自衛隊には何の差もない。安倍晋三は、命を賭けて国民を守っているのは自衛隊だけで、消防や警察は違うとでも言うのだろうか。命をかける難度と名誉に差があるとでも言うのだろうか。それは、消防と警察に対する許しがたい侮辱と差別だろう。命をかけて国民を守る任務だから憲法に明記する必要があると言うのなら、消防隊員や警察官のためにも特別に条文を書き込む必要がある

第二の論点は、安倍晋三と自民党と政府とNHKと他のマスコミが繰り返し言うところの、「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」という言説だ。このフレーズとトークは、9条改憲を正当化するマスコミの議論で必ず枕詞で使われる。NHKの番組で毎日言われる。プライムニュースに出演する論者が必ず言う。「厳しさを増す安全保障環境」。この決まり文句が出て、防衛力増強が合理化され、異常に高額で過剰な防衛装備の購入が誘導される。専守防衛を逸脱した敵基地攻撃兵器の保有が当然視される。この常套句によって、9条を改悪する主張を正当化する議論環境が整備される。果たして、この言説の正体は何なのか。まず、韓国はどうなのだろう。この認識は日本では常識だけれど、同じ米国の同盟国である韓国は果たして同じフレーズが氾濫していて、韓国の国民は同じ認識を共有しているのだろうか。「わが国を取り巻く」と言うのだから、地理的に東アジアを指していることは言うまでもない。もし、日本の安全保障環境が厳しさを増しているという話が本当であれば、韓国の国民も同じ認識を持ち、安保環境が厳しさを増しているから国防費を増やそうとか、韓国軍を増員増強しようとか、そういう世論と報道になっていなければいけないはずだ。それが多数世論となり、政党と政府の政策の方向性にならないといけない。

私の目からは、「厳しさを増している」と騒いでいるのは日本だけで、韓国や中国の人々はそう思ってないように感じられる。日本のマスコミや政治家が「厳しさを増す」と言うとき、その事実材料の筆頭に挙げるのは、中国の東シナ海での動きだろう。日本の常識では、尖閣問題は中国の軍事的膨張によって発生した侵略で、日本の平和と安全を脅かす脅威だという結論で固まっている。あのとき、石原慎太郎が突如として尖閣都購入の暴挙に出、右翼のイデオロギーと親和的な野田佳彦が国有化に踏み出し、尖閣のステイタス・クオを日本が一方的に破壊した経緯について、日本人はすっかり忘却してしまっている。尖閣の領土問題に火を点けたのは日本の方で、中国に喧嘩を売り、中国との間で安全保障上の緊張を激化させたのは日本の責任ではないか。尖閣を原状(棚上げ)に戻せと要求したのは中国の方だった。日本がその要求を拒否したから公船の領海侵入が始まったのである。尖閣について問題解決の提案を出し、日本の実効支配の原状に回帰する趣旨での合意ができれば、日中間は安定して、「厳しさを増す安全保障環境」の根拠はなくなる。自分で火を点けて火事だと騒いでいる。犬に石を投げつけながら、犬が吠えて飛びかかってくるのを災難だと言い、武器で応戦して撃退しようとしている。「厳しさを増す安全保障環境」の本質的意味はそういうものだ。

「厳しさを増す安全保障環境」の起点と原因は日本にあった。マッチポンプもいいところだ。この言説の拡散と納得は、国家による上からのマインドコントロールと、国家を疑わない羊のような国民の順応の現象ではないのか。北朝鮮は、そもそも国力的に日本の脅威となる存在ではない。北朝鮮の核開発は、基本的に米国と交渉するための外交カードにすぎず、それを軍事的脅威だとして騒ぐのは過大評価がすぎるだろう。以上、9条改憲と安全保障をめぐる二つの言説について、違和感を覚えたところを率直に述べてみた。できれば、もう少し掘り下げて説得的な内容に整え、この政治戦で9条護憲に寄する有効な議論にしたいと思う。皆さまのご意見をうかがいたい。