2018年2月24日土曜日

9条問題は、まず従来の政府見解を確認するのが前提(木村草太教授)

 2015年6月5日衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者3氏長谷部恭教授、笹田栄司男教授、小林節名誉教授表明)全員が「新安保法案は憲法違反である」と述べたことは、メディアで大きく取り上げられました。
 それを機に朝日新聞が著名な憲法学者に行ったアンケートでは、「新安保法案は違憲」が102人で、「合憲」は2名でした。
 その時同紙は、「自衛隊は合憲か違憲か」についてもアンケートを行っており、紙面には載せませんでしたが、「自衛隊は違憲」50人、「違憲の可能性がある」が27に対して、合憲」は28人、「違憲にあたらない可能性がある」は13人だったということです。
 22日の朝日新聞「論壇時評」ページ「あすを探る 憲法・社会」のコーナに、木村草太・首都大学東京教授の「9条の持論 披露する前に」という目を引くタイトルのついた論文が載りました。

 それは、
安倍首相が自衛隊明記する改憲を提案したことで論議活発化したが、そこで持論を披瀝する人の多くが、政府解釈や憲法体系を全く理解していないのは驚きで、現在の憲法を理解しない人々が、その改正を語れるはずはない
と前置きして、次にこれまでの政府の解釈を解説に入っています。
(ここでいう「政府」は、「現政府」よりも前の「政府」を指しているのは言うまでもありません)

 これまでの政府解釈は、
憲法9条は、国際関係における武力行便を一切蔡じているように見えるが、他方で憲法13条は、国民の生命や自由を国政の上で最大限尊重しなければならない旨を定めているので、政府は、外国の侵も国民の生命等を保護する義務を負っている。これは国家の第義とでもいうべきもので放棄することはできないので、からの武力攻撃に対して防衛のための必要最小限度の実力行使をすること9条の下で認められる例外的な武力行使』だとしてきた
として、
 この政府解釈を「欺瞞」と批判する見解もあるが、その見解は
外国による侵賂で国民の生命・自由が奪われるのを放置することも、憲法13条に反しないとの前提に立つことになり、そちらの方がよほど無理筋だ。
 さらに、仮に自衛隊が本当に違憲だとすれば、今ぐに自衛隊を解体しなければならないはずなのに、自衛隊の即時解体までは主張しないというのこそが欺晦でなくて、何であろうか
と批判しています。

 全体にこの論文が強い口調になっているのは、木村教授が強い確信を持っていることの顕れと思われます。

 以下に論文の抜粋を紹介します。全文は22日付の朝日新聞をご覧になるか、下記にアクセスし無料読者登録をすることで読めます。

 因みに憲法13条(全文下掲)は国民の幸福追求権を謳ったもので、外国から侵攻されればその権利が根底的に失われるから、という論理です。
13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

追記)
 自民党改憲案は9条の2項は残して自衛隊を明記する方向でほぼ固まっていますが、いまだにその具体的文言案がまとまっていない理由は、
 単に「自衛隊」と記載すれば、自衛隊にどの範囲での武力行使が認められているのか不明確で殆ど意味がないし、
 2項にかかわらず自衛隊の存在を認めるとすれば
「『自衛隊』という名前である限り、何をやっても、どんな装備を持っていても、憲法で認められる」ことになり危険すぎるのでそれは採れないものの、
 2項と整合する定義を盛り込もうとすれば、集団的自衛権を行使できる現行の自衛隊を否定しかねないことになるからです。
 
 これに関する小熊英二・慶応大学教授の論文の抜粋も併せて紹介します。
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9条の持論 披露する前に
2018年2月22日  
木村草太・首都大学東京教授
 安倍晋三首相が自衛隊明記改憲を提案したことで、9条論議は活発化した。しかし、そこで持論を披瀝開陳する人の多くが、政府解釈や憲法体系を全く理解していないのは驚きだ。現在の憲法を理解しない人々が、その改正を語れるはずはない。

 まず、政府解釈を確認しよう。確かに、憲法9条の文言は、「国際関係における武力行便を一切蔡じている」ように見える。しかし、他方で、憲法13条は、国民の生命や自由を国政の上で最大限尊重しなければならない旨を定める。政府は、強盗やテロリストのみならず、外国の侵も国民の生命等を保護する義務を負う。この義務は、国家の第の存在意義とでもいうべきもので、政府はこれを放棄できない。そこで政府は、外からの武力攻撃があった湯合に、防衛のための必要最小限度の実力行使は「9条の下で認められる例外的な武力行使」だとしてきた

 こうした政府解釈を「欺瞞」と批判する見解もある。しかし、その見解は、「外国による侵賂で国民の生命・自由が奪われるのを放置することも、憲法13条に反しない」との前提に立つことになる。こちらの方がよほど無理筋だ。さらに、仮に自衛隊が本当に違憲だとすれば、今ぐに自衛隊を解体しなければならないはずだが、自衛隊の即時解体までは主張しない。それこそが欺晦でなくて、何であろうか。

 (中 略)

「9条で禁じられない」という理由だけで軍事活動を認めれば、権限行使の責任の所在や手続きを憲法で統制ができないことになる。だからこそ政府は、行政の範囲を超えた軍事活動を営むことは憲法上不可能と考えてきたのだ。「9条は集団的自衛権の行使なども禁じていない」と主張する人は、統治機構論の体系的な理解に欠け、視野が狭すぎる。

 正しい前提知識に基づかない議論は有害無益だ。報道関係者も含めて、まずは、正しい知識を確認する必要がある。

 いま憲法をめぐって国民が議論すべきは、従来の政府が言う「専守防衛のための自衛隊」とすべきか、2015年の安保法制で拡大された「存立危機事態での限定的な集団的自衛権」を容認するかであろう。ただし、元内閣法制局長官阪田雅裕氏が指摘した通り、「存立危機事態」の定義はあまりに不明瞭で、それを条文にしても意味が定まらない。そんな条文は、権力乱用を招くだろう。


移民と自衛隊  現実追認せず合意形成を
小熊英二 朝日新聞 2018年2月22日
(慶応大学教授)           
   (前 略)
 とくに改憲は、そうした議論なしに行われるべきではない。改憲とは、国の立脚点を作り替えることだ。議論と合意形成をないがしろにして、ただ現実を追認するような改憲は望ましくない。 
 現在、9条2項を維持したまま、自衛隊の存在を追加する改憲が議論されている。だが思うに、「自衛隊の存在はこれを認める」と追記するだけでは自衛隊にどの齢囲での武力行使が認められているのか不明だし、自衛隊は2項が禁じた「戦力」ではないかという素朴な疑念は残続ける。それでは現実を追認し議論にをするだけで新しい立脚点と合意を作ることにならない。また「前項(9条2項)の規定に関わらず、自衛隊の存在はこれを認める」と書くなら、阪田雅裕がいうように「『自衛隊』という名前である限り、何をやっても、どんな装備を持っていても、憲法で認められる」ことになり危険すぎる。改憲をいうなら、安保法制で懸念が残った事項も含め議論し、幅広い合意を作るべきだ。
 現実の変化に対応することは大切だ。大切だからこそ、次の時代の立脚点を作るための、建設的な議論が欠かせない。