9条改憲に執心している安倍首相は、このところ「9条が変わっても自衛隊の権限や任務は何も変わらない」という説明を繰り返しているということですが、まさに人をたぶらかすもので、為政者のとるべき態度ではありません。それなら何故変えようとするのかということになります。
自衛隊を9条に明記すれば、何も変わらないどころか“ローマ法”以来の「後法優先」の原理から、2項の「戦力不保持」は自動的に空文化され、自衛隊は安倍首相が待望する「普通」の軍隊に変わることは識者が指摘しているところです。
ジャーナリストで元中京大教授の飯室勝彦氏は、何も変わらないからと強調することで何とか国民の賛成を得て、いまの平和憲法を骨抜きにする“突破口”を開きたいのが本心だと述べています。
そして「安倍発言は、特定の条文などの具体的条件に基づいたものではなく、これまで国会での答弁や記者に対する発言を変更したことも少なくないので、今後も維持される保証はない」として、何の重みもないと指摘しました。
それに加えて「憲法に関する議論は、歴史、法理論、哲学などさまざまな分野の教養、知識、経験などを基礎にした知的営為であるべきだが、安倍首相には人類が長い歴史の中で得た知的成果に対する教養と敬意が欠けている」と、憲法を変える人間に全く相応しくないとも述べました。
含蓄のある表現の中での手厳しい断定ですが、まことにその通りなのでしょう。
それなのに何故メディアは、首相に籠絡されたかのような態度に終始して、平和憲法の危機に当たってもそれを批判しようとしないのでしょうか。それではとてもメディアに課せられている使命を果たすことはできません。
NPJ通信に載った飯室勝彦氏の寄稿文を紹介します。
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安倍改憲路線のご都合主義
飯室 勝彦 NPJ通信 2018年2月7日
「憲法が変わっても自衛隊の権限や任務が変わるわけではない」「この改憲後も集団的自衛権の行使一般を認めることは困難だ」― 安倍晋三首相は、憲法第9条第1、2項をそのままにして「自衛隊」を明記するという自らの改憲提言をめぐり、このような趣旨の発言を最近繰り返している。そのせいもあって、改憲慎重派のメディアにも一種の楽観ムードが漂っているが、それならなぜ首相は改憲にこだわるのか。
集団的自衛権行使に関する政府解釈の変更で事実上の改憲を強行した安倍政権の”前歴”や、強硬派の声高な憲法論議が根強い与党の党内事情などを見ると油断できない。安倍提言は改憲への“アリの一穴”狙いであることは間違いないだろう。
◎狙いは「まず突破口」
2018年1月30日の衆院予算委員会、「安倍提言通りの改憲をすると第2項が空文化し海外での自衛隊の武力行使が無制限になるのではないか」との懸念に基づく質問に対して首相は次のように答えた。
「(安倍案が実現しても)フルスペックの(制約のない)集団的自衛権の行使は認められないのではないか」「現行憲法のもとでは、世界各国と同様の集団的自衛権の行使一般を認めるなど自衛権を広げる解釈を採用することは困難だ」
憲法に自衛隊を明記しても、第9条第1、2項がある限り集団的自衛権の行使には安保法制で定めた3要件、つまり
①日本の存立が脅かされる明白な危険がある
②武力行使以外に手段がない
③必要最小限度にとどまる
という制限がかかるので何も変わらないというのだ。
「それならなぜ改憲を強行する必要があるのか」と首をひねらざるを得ないが、安倍首相としてはとにかくいまの平和憲法を骨抜きにする”突破口”を開きたいのである。
予算委答弁から遡ること一週間、首相は自民党の両院議員総会で「いよいよ実現するときがきた」と改憲への強い意欲をあらためて示した。同党は3月に党方針を決め、年内に国会発議することを目指し議論を加速させている。
改憲手続きを決めた第96条の変更、緊急事態条項の新設、第9条の全面改定など改憲の突破口を模索してきた首相が現段階で新たな突破口にしようとするのが自衛隊明記である。
しかし世論調査では支持が広がらない。安保法制成立後、ますます強化された自衛隊と米軍の一体化、自衛隊の米軍従属化、さらに防衛費の肥大化などの現実を前に、自衛隊明記への疑問を抱く人が多いからだ。
予算委での答弁には、「何も変わらない」とアピールして世論を引きつけようとする安倍首相の思惑が込められていた。
だが、本当に何も変わらないだろうか。信じる人はあまりいないだろう。
信じられないのは当然だ。安全保障、改憲問題をめぐる安倍政権の姿勢はご都合主義がすぎる。現職自衛隊員が「安保法制をもとにした防衛出動命令に従う義務がない」ことの確認を求めた訴訟でも、政府は安保法で定める「存立危機事態」の発生は想定できないと主張した。
それならなぜ定着していた憲法解釈をわざわざ変更して集団的自衛権の行使を容認し、安保法を強行成立させたのか。その場その場で責任者の言動が変わる政権が信頼されるはずがない。
◎政府見解の変更で”改憲”
「フルスペックの集団的自衛権の行使は認められない」「世界各国と同様の集団的自衛権の行使一般を認めるなど自衛権を広げる解釈を採用することは困難」などの安倍発言は一般論であって特定の条文などの具体的条件に基づいたものではない。まして国会での答弁や記者に対する発言を変更したことも少なくない首相だけに今後も維持される保証はない。
それにどのような表現で自衛隊を明記するのか文案さえ決まっていない段階では、9条2項が死文とされる可能性は否定できないのである。
繰り返す。安倍政権には、歴代内閣が維持してきた「集団的自衛権は行使できない」という憲法解釈を変更し、安保法制を強引に成立させた過去がある。
砂川事件の最高裁判決をねじ曲げて解釈し、集団的自衛権行使への理論的道筋をつけたのは高村正彦氏だった。首相は、改憲のための右腕ともブレーンとも頼る高村氏が衆議院議員をやめた後も、自民党副総裁、党憲法改正推進本部の特別顧問に据え置き、党内の憲法論議に睨みをきかせている。
このこと一つをとっても安倍発言を額面通りには受け取れない。
◎メディアの楽観視は危険
自民党内の憲法論議も予断を許さない。2012年に発表した、時代錯誤色の濃い自民党改憲草案にこだわり、国防軍の呼称採用やより積極的な軍事行動展開の許容を主張する意見が依然として根強い。非常事態への対処条項の導入についても、内閣への権限集中だけでなく私権の制限を盛り込むべきだとの要求が噴出している。
危険なのは、これらの党内論議を多くのメデイアがシニカルに見たり、党内の混乱としかとらえておらず、改憲に批判的なメディアでさえも論議の行方を楽観視しているように見えることである。「首相提言の理解進まず」「党内混乱」などと単純に報じたり、立憲民主党、共産党などの野党主力は安倍提言をまともに相手にせず、与党ながら改憲に慎重な公明党が議論に乗らない国会の表面現象だけをとらえて「論戦低調」と伝えたりしている。
しかし自民党内の論議、とくに安倍首相が期待する方向での議論は着実に進んでいる。そしてその自民党が国会における多数、つまり権力を握っている。今後の改憲論議は自民党内の論議に大きな影響を受けざるを得ない。皮肉っぽく眺めているだけでは市民がメディアに期待する使命を果たせない。
憲法に関する議論は、歴史、法理論、哲学などさまざまな分野の教養、知識、経験などを基礎にした知的営為であるべきだが、安倍首相には人類が長い歴史の中で得た知的成果に対する教養と敬意が欠けている。世襲議員が多数を占めるいまの自民党国会議員たちに高度な知的営為を求めるのも難しい。このままではかつての党改憲草案のような前時代的方向へ党内論議が引っ張られる可能性も少なくない。
そうならないとしても「超タカ・保守派の議論に比べればましだから」などと安倍路線を容認する雰囲気が強まりかねない。
このような情勢下では、ニュースの表面だけを見た、どっちつかずの客観報道やシニカルな評論ではメディアに課せられた使命を果たせない。知的果実や歴史的成果を十分踏まえながら事実を掘り下げ、民主主義、立憲主義に反するものと断固対決する決意と姿勢が求められる。