2019年2月27日水曜日

辺野古 今度は国が立ち止まる番 政府は米国と仕切り直せ+

 神戸新聞は「今度は国が立ち止まる番だ」とする社説で、民意明確に示されたなかでこれ以上工事を強行するのは県民の意思を踏みにじることで、民主主義で許されないとしました。
 辺野古移設には憲法上も大きな問題があります。憲法95条特定の地方公共団体に適用される法律の制定には住民の過半数の同意が必要としています。政府は、辺野古移設は法律でなく、「日米地位協定」に基づく施設提供という見解ですが、「地方公共団体の運営に関する事項は法で定めるとした憲法92条を踏まえれば、基地建設にはその地域だけの特別法が不可欠(木村草太教授)であり、95条の住民投票で同意を得る必要があります。
 
 また県内移設では沖縄全体の負担解消につながらず、辺野古が完成しても普天間が直ちに返還されない可能性が、日米合意文書に記されているとも指摘しています(滑走路では2センチのギャップも許されないといわれるなかで、完成後も不同沈下が避けられない辺野古には、軍が移動しない可能性の方が大きいかも知れません)。 
 海面下70mを限度とする不完全な地盤改良でも、建設費は25兆円に膨らみ工期は5年から実に13年に延びます。事実上、計画は大きな壁に突き当たっていて、もはや「唯一の解決策」でもないし、「これ以上引き延ばせない」とは真逆に大幅遅れの事態になっています
政府は今度こそ立ち止まらねばならない」と述べています
 
 高知新聞の社説「沖縄基地ノー 政府は米国と仕切り直せ」を併せて紹介します。
 
 +「住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある」(小林節・名誉教授)を追加しました
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社説 沖縄県民投票 今度は国が立ち止まる番だ
  神戸新聞 2019年2月26日
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖移設を巡る県民投票は、「反対」が43万票を超え、有効投票総数の約72%を占めた。辺野古反対を掲げ、県知事選で過去最高となった玉城デニー知事の得票数をも上回っている。
 結果に法的拘束力はない。安倍晋三首相は知事と会談する意向を示す一方、工事強行の姿勢は変えていない。
 だが民意は明確に示された。これ以上の強行は県民の意思を踏みにじることになる。民主主義で許される行為なのか。
 政府は直ちに工事を中止するべきだ
 辺野古移設で普天間の危険性は除去される。これ以上先送りできない-。政府はそう主張してきた。
 しかし今回の投票では、普天間の地元・宜野湾市でも移設への反対が66・8%と多数を占めた。政府の論拠に現場でも疑問符がついたといえる。
 そもそも県内移設では沖縄全体の負担解消につながらない。辺野古が完成しても普天間が直ちに返還されない可能性が、日米合意文書に記されている
 宜野湾の反対は、そうした問題点を県民が認識している証しだろう。
 
 面積では日本の0・6%にすぎない沖縄に、在日米軍専用施設の74%が集中する。その現状を安全保障の観点からやむなしとする声は、本土に根強い。
 普久原均・琉球新報編集局長は本紙への寄稿で、全く異なる米軍の見方を明らかにした。2006年に日米で在日米軍再編に合意する前、沖縄の海兵隊を九州や北海道に移すことを米軍が提案したというのだ。
 しかし政府は本土の反発を恐れ、検討しようとしなかったという。沖縄の声は軽視し、本土の反発は回避する。普久原氏はこれを「ダブルスタンダード」(二重基準)と表現する。そうした状況は、今も大きく変わっていない
 
 12年に森本敏防衛相(当時)が、普天間の移設先は「軍事的には沖縄でなくてもいいが、政治的には最適だ」と述べたのも同じ理屈だろう。
 安全保障の負担を特定の地域に押しつけることに、多くの国民が疑問を持とうとしなかったことが、沖縄の苦悩を生みだした一因といえる。
 
憲法の条文踏まえ
 住民投票が強制力を持つ場合を示す憲法の条文がある。特定の地方公共団体に適用される法律の制定には住民の過半数の同意が必要とする95条の規定だ。
 住民の意思に基づく地方自治の「本旨」を守るための定めとされている。
 政府は、辺野古移設は法律でなく、「日米地位協定」に基づく施設提供との見解を示している。だが移設後は国内法が適用されず、自治体の行政権も及ばない。
 地方公共団体の運営に関する事項は法で定めるとした憲法92条を踏まえれば、基地建設にはその地域だけの特別法が不可欠であり、95条の住民投票で同意を得る必要がある-。憲法学者の木村草太首都大学東京教授はそう指摘する。
 
 95条の住民投票を経て制定された法律は、戦後の復興期に15本ある。兵庫県内では1950(昭和25)年に神戸国際港都建設法、翌51年に芦屋国際文化住宅都市建設法が公布された。
 ただいずれも都市計画に地域の特色を反映させて国も支援する趣旨だ。神戸と芦屋の住民投票では当時の新聞に「賛成の票が圧倒的」「輝く新生のスタート」などの文字が躍り、政府と対立する問題ではなかった。
 住民投票が実施されたのは、憲法施行から日が浅く、尊重する気風があったからだろう。
 それから60年余。反対への民意が明確になっても、政府は県の反対を無視し住民の意思も聞かずに工事を進める。
 安全保障は国の専権事項であり、地元の意向を考慮する必要はない。そうした考えは、憲法が掲げる地方分権や民主主義の理念に反する恐れがある。
 
地位協定も見直せ
 辺野古計画では新たな問題点も浮上した。予定海域の軟弱地盤が判明し、政府は想定外だった約7万7千本のくい打ち込みを計画している。
 県の試算では、地盤改良に伴う建設費は計画の「3500億円以上」から2・5兆円に膨み、工期は5年から13年に伸びる。だが野党の質問にも政府は明確に答えようとしない。
 事実上、計画は大きな壁に突き当たっている。もはや「唯一の解決策」と言える状況ではない。政府は今度こそ立ち止まらねばならない
 沖縄に「寄り添う」というのなら、政府は基地を沖縄に集中させる必要性があるのか米国と真剣に議論すべきだ。同じ第2次世界大戦の敗戦国でもドイツやイタリアは駐留米軍に国内法を適用している。地位協定の見直しも急務といえる。
 なぜ、沖縄だけに過剰な負担を強いるのか。県民投票が示した課題を、本土に住む私たちも考える必要がある
 
 
社説 沖縄「基地ノー」 政府は米国と仕切り直せ
 高知新聞 2019年2月26日
 「基地ノー」を貫き、国の強権には屈しない。沖縄県民は揺るぎない意思を改めて示した。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設する計画の是非を問うた沖縄の県民投票は「反対」が7割を超えた。投票条例が有効とする投票資格者の4分の1も大きく上回った。
 沖縄の基地問題は、民主主義や国と地方の関係の在りようを問うてきた。安倍首相は「県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止める」と言うのなら、県民に誠実に向き合い直し、その言葉にふさわしい対応を取らなければならない。
 
 辺野古移設に限った初の県民投票は、市民グループが有権者の署名を集め、県に直接請求して実現した。安倍政権に近いとされる5市が不参加を表明したため、当初の賛否の選択肢に「どちらでもない」を加えて3択にしたことで、県全域の投票にこぎ着けた経緯がある。
 政権与党の自民党は反対派を勢いづかせまいと、静観を決め込み、投票率の低下を狙った。それでも、投票率は50%を超え、「どちらでもない」は1割に満たなかった。県民の側ではなく、政権に沿おうとした思惑を県民は退けた。
 
 凄惨(せいさん)を極めた地上戦が繰り広げられ、傷ついた島に在日米軍専用施設の7割が集中する。米軍機の事故は後を絶たず、県民の尊厳を踏みにじる米軍関係者の凶悪犯罪も相次ぐ。県民は繰り返し「基地は要らない」と訴えてきた
 過去2回の県知事選でも基地反対の意思を明確に示した。その上になお、県民投票にまで踏み切らなければならなかった。今回の県民投票で半数近くの有権者が棄権したのもまた事実だ。国家権力が地方の民意をないがしろにし、住民を分断させてきた。その責任は重い
 
 首相は県民投票結果を受けてもなお「移設をこれ以上、先送りはできない」と強硬な方針を変えていない。民主主義の国で、民意を排除するような強権的な振る舞いを容認するわけにはいかない。
 政権側は玉城知事との会談に再び応じる構えを見せはする。だが、これまでも面談を骨抜きにしながら、埋め立てを強行してきた。住民に無力感を植え付けるかのように、既成事実化を図ってきたのだ。見せかけの対話は許されない。
 埋め立て予定海域の軟弱地盤の改良のため、約7万7千本もの杭(くい)を海底深く打ち込まなければならない工事計画が発覚した。辺野古は適地なのか、という根本的な疑問が浮かぶ。県民投票の結果と合わせ、政府は米国と基地を巡る議論を仕切り直すべき時だ
 米国の日系4世の青年が辺野古埋め立ての一時停止を求める署名を米政府に提出し、タレントのローラさんら日本の著名人たちも賛同の意を公表した。沖縄の基地の苦悩を共有し、解決の道を共に探り出していこうという呼び掛けだ。その問いは本土にこそ向けられている

ここがおかしい 小林節が斬る!  
住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある
小林節 日刊ゲンダイ 2019年2月27日
 在日米軍普天間飛行場の辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票の結果は、「反対」が実に72%を超えた。
 それでも、安倍政権はそれを無視して移設工事を続行する構えを崩していない。その背景に「県民投票には法的拘束力がない」という認識と「安全保障は国の専権事項だ」という認識があることは確かである。
 しかし、県民投票には、わが国の最高法である憲法上の拘束力があることを忘れてはいないだろうか。
 憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」(つまり、自治体住民には拒否権がある)と定めている。つまり、それが国策として必要だと国会が判断しても、その負担を一方的に負わされる特定の自治体の住民には拒否権があるという、極めて自然で当然な原則である
 
 もちろん、辺野古への米軍基地の移設は形式上は「法律」ではない。それは、条約上の義務を履行しようとする内閣による「行政処分」である。しかし、それは形式論で、要するに、「国の都合で過剰な負担をひとつの地方自治体に押し付けてはならない」という規範が憲法95条の法意であり、それは、人間として自然で当然な普遍的常理に基づいている。
 アメリカ独立宣言を引用するまでもなく、国家も地方自治体も、そこに生活する個々の人間の幸福追求を支援するためのサービス機関にすぎない。そして、国家として一律に保障すべき行政事務と地域の特性に合わせたきめ細かな行政事務をそれぞれに提供するために、両者は役割を分担しているのである。
 そこで、改めて今回の問題を分析してみると次のようになろう。まず、わが国の安全保障を確実にするために日米安保条約が不可欠だという前提は争わないでおこう。しかし、だからといって、そのための負担を下から4番目に小さな県に7割以上も押し付けていていいはずはない。そこに住民が反発して当然である。だから、政府としては、憲法の趣旨に従って、「少なくとも県外への移設」を追求すべき憲法上の義務があるのだ。