愛媛新聞は26日、集団的自衛権の実質合意は国民への裏切だ、とする社説を掲げました。
-愛媛新聞 社説要旨-
日本は、自身が直接攻撃を受けていなくても武力行使できる国へ、今まさに変わろうとしている。
憲法9条を、国民に諮ることなく与党協議による拙速な議論によって解釈を変更するのは暴挙だ。
武力行使の3要件を政権の判断次第で武力行使ができるように変えた。国連が安保理決議に基づき行う武力制裁に、自衛隊が参加する可能性も残した。
連立政権の座に執着し抜け道だらけの解釈を追及できない公明党にも失望を禁じ得ない。
このまま集団的自衛権行使容認の閣議決定がされれば、将来世代に禍根を残す。
政府・自民党は情勢が変わったからだと言いますが、それは8年前に第一次安倍内閣が登場したときも強調されたことで、別に変わってはいません。変わっているのは安倍首相の頭の中でのことで、好戦性というメガネを通しての話です。
他の地方紙も、26日、解釈改憲に関する自公合意を批判する下記の社説を掲げました。これが国民の良識です。
他の地方紙も、26日、解釈改憲に関する自公合意を批判する下記の社説を掲げました。これが国民の良識です。
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(社説)集団的自衛権実質合意 拙速な議論 国民への裏切
愛媛新聞 2014年06月26日
日本は、攻撃される他国を守るために、自身が直接攻撃を受けていなくても武力行使できる国へ、今まさに変わろうとしている。
自民、公明両党による安全保障法制の協議会は、集団的自衛権行使を可能とする閣議決定案の大枠で実質合意に至った。政府は、首相の外遊日程を考慮し、来月1日か4日の閣議決定を目指して前のめりに走り続けている。
平和国家を根底から揺るがす政策の大転換だ。第2次世界大戦の重い教訓を受けて戦争放棄を誓い、国民を守ってきた憲法9条。平和の礎を、時の政権による解釈の変更で骨抜きにすることは、断じて許されない。国民に諮ることなく、与党協議による拙速な議論によって決定する暴挙にあらためて強く異議を唱えたい。
与党協議において、自民党は当初示していた武力行使の3要件を、公明党に配慮し修正した。集団的自衛権の連携先は「他国」から「わが国と密接な関係にある他国」へ、「国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」の「恐れ」は「明白な危険」に改めた。
しかし、文言を変えたところで、政権の判断次第で武力行使の拡大を招く懸念は全く変わらない。
さらに問題なのは、国連が侵略国に対して安保理決議に基づき行う武力制裁に、自衛隊参加の道を開く可能性を残していることだ。
憲法9条は、国際紛争を解決する手段としての武力行使を禁じているが、自民党は、自衛隊の海外展開につなぐ解釈を描いている。しかし、公明党から、一度は武力行使参加を否定した首相発言との整合性を問われると、協議長期化を避けるために議論を先送りし曖昧にした。
国連の集団安保への参加は自衛権の範囲から大きく逸脱する。連立政権の座に執着し抜け道だらけの解釈を追及できない公明党にも失望を禁じ得ない。今こそ「平和の党」の使命を果たすときだ。
「憲法が掲げる平和主義は守り抜く」と首相は強調するが、何の保証もない。日米安保の枠組みの中、正義の名の下で戦闘に加われば、日本独自の判断で撤退することは不可能だろう。同じ敵として見られ、テロの攻撃が自国に及ぶこともあり得る。憲法9条の縛りを解くことで、そうした大きなリスクを覚悟しなければならない。
いざ自衛隊に戦地への出動を命じる事態になれば、特定秘密保護法によって、安全保障政策を理由に情報が国民の目の前から消されることも否定できない。
このまま集団的自衛権行使容認の閣議決定がされれば、将来世代に禍根を残す。再考を求める。