2014年6月24日火曜日

「戦争放棄」のイタリアがなぜ海外派兵をするのか

 イタリアの憲法でも第11条で戦争放棄が謳われていることは殆ど知られていません。
 実際にイタリアは、49北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、82にはレバノン内戦派兵し、91年の湾岸戦争では多国籍軍に航空機と艦船を送りました
 さらに99には、NATOの域外にあ旧ユーゴスラビア空爆において、欧州最大の出撃拠点となりました。イラク、アフガンには大量の兵士を派遣しています。
 同じく戦争放棄を謳いながら、なぜこんな風に日本とは大違いの結果をもたらしたのでしょうか。
 
 イタリアは、第2次世界大戦後、連合軍の占領統治下法学者ら75人の憲法委員会により憲法草案がつくられ、48日に施行されました
 戦争放棄を定めた第11条は次の通りです
 「イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。
 国家間の平和と正義を保障する体制に必要なら、他国同等の条件のもとで主権の制限に同意する。この目的を持つ国際組織を促進し、支援する
 (主権の制限に同意」とは、この場合は国連やNATOなどの決定に従うという意味と思われます)
 
 この11条後段の、「国家間の平和と正義を保障する体制に必要ならば云々」が、その後の政権によって「国際平和の促進」に必要ということで海外涙兵につなげられたのでした
 かくしてイタリアは、改憲派の自民党議員が良く口にする『普通の国』となって、5月現在で海外に合計約6000人、そのうちアフガンに半数の3000人を派兵しています。そしてアフガンだけでもこれまで、従軍記者1人を含む54人が死亡し、651人が負傷しました。
 
 11条の後段の文言を何故加えたのかは明らかではありませんが、つい2年前までは戦火に晒されていた当時としてはごく普通の感覚で付け加えたのかも知れません。
 しかしこの文言の有無は決定的な差異を生じました。
 
 今日安倍政権が集団的自衛権の行使や集団安全保障への参加を唱えている理由は、明確に海外派兵を意図したものです。当初から海外派兵を意図して解釈改憲を行うのですから、閣議決定で「アリの1穴」が明けられたが最後、瞬くうちに大量の自衛隊の海外派兵が行われるのは、まさに火を見るよりも明らかなことです。
 
 23日の朝日新聞の記事は、もしも閣議決定が行われればどうなるのかを示す、極めてタイミングの良いものです。
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イタリア 憲法11条「戦争放棄」 解釈改憲重ねる派兵
朝日新聞 2014年6月23日
 第2次世界大戦の敗戦後、日本と同じく新たな憲法に「戦争放棄」を定めたイタリア。だが、歴代政権は人道的介入や復興支援などを理由に憲法の解釈を広げ、他国への派兵を繰り返してきた。平和主義の理念は変質し、母を遠く離れた戦地で兵士の命が犠牲になっている。
 
 5月初旬、ローマを訪れ小野寺五典防衛相に、イタリアのピノッティ国防相はこう語りかけた。「イタリアにも、憲法11条で国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するという、日本の憲法と同じような規定があります」
 会談で、小野寺氏は安倍政権が取り組む集団的自衛権の行使容認に向けた議論を説明。すると、ピノッティ氏はイタリア憲法も集団的自衛権の行使を認めているとして、「日本の現在の議論を深く理解します」と 応じたという。
 
 戦後の1948年に施行されたイタリア共和国憲法は、第11条で戦争放棄を定めた。ただ、日本国憲法と違い、同条の後段には国連加盟と国際社会への復帰を念頭に置いたくだりがあり、歴代政権はこれを「国際平和の促進」などとして柔軟に解釈することで海外涙兵につなてきた。
 
ユーゴ空爆拠点
 イタリアは49年、北大西洋条約機構(NATO)に加盟。その後も憲法が掲げた平和主義を徐々に拡大解釈してきた。82年、レバノン内戦ではパレスチナ難民の保護を名目に派兵。91年の湾岸戦争では多国籍軍に航空機と艦船を送った。
 「戦争放棄条項が踏みにじられた」として大きな議論となったのが、99年の旧ユーゴスラビア空爆だ。旧ユゴはNATOの域外にあり、国連安全保障理事会の決議もなかった。空爆は国際法上の根拠が薄いとされたが、政府は支持。イタリア国内の基地は欧州最大の出撃拠点と化した。
 
 イタリア国会はNATO軍への参加について「後方支援に限定する」などと決議したものの、米軍の護衛についたイタリア機は旧ユーゴの軍事拠点を爆撃した。当時のダレーマ首相は「近隣国に展開するイタリア軍部隊や、人道援助団体を守る責任があった」などと弁明に追われた。
 
フガンに3000人
 アフガニスタンには02年から、イラクにも03年から派兵した。イタリア軍によると、今年5月末現在で国連平和維持活動(PKO)を含め、25の国と地域に計5738人を派遣中。多はアフガンで、5割強の2995人が駐留する。
 アフガンではこれまで、従軍記者1人を含む54人が死亡し、651人が負傷した。犠牲者の1人、イタリア陸軍のマリオ・フラスカ上級伍長(享年32)は11年9月23日、西部ヘラートで死亡した。
  「兄はアフガニスタンで死んだ45人目のイタリア兵だ」。弟ビンチェンツォさん(32)は首都ローマから300キロ近く離れた故郷、プーリア州フォッで語った。「海外で兵士が死んでも、もう誰も話題にしない。つらい思いをする遺族が増えるだけだ」
 イタリア政府は当時、アフガン派兵について「平和的な復興支援」と説明していた。だが、母アンジェラさん(56)は「安全な場所とはとても思えなかった」。
 「自動車で基地の近くを走行中、正体不明の障害物を避け、道路から外れた」。軍から遺族に伝えられた死因は「事故死」だった。フラスカ氏を含む3人が死亡、2人が重傷。軍広報官は「戦闘での死亡ではない」とコメントし、事故現場の写真など死因をめぐる詳しい資料は遺族に開示されないままだという。
 海外派兵が常態化したイタリアで、父アントニオさん(61)は問いかける。「遠い砂漠にまで若い兵士を送ることが、本当に国を守ることと言えるのだろうか」 (フォッ〈伊南部〉=石田博士)