2014年7月6日日曜日

内閣法制局の権威失墜は二度と回復できない

 安倍政権憲法の解釈変更を閣議決定するという異例の手法で、歴代の内閣が決して踏み越えなかった9条の形骸化を実行しましたが、その陰には、やはり戦後一貫して集団的自衛権の行使は憲法9条により認められないとしてきた内閣法制局が、政権と軌を一にして行使を容認するという大転換がありました。
 
 なぜこれまで行使容認は「不可」とする政府見解を支えてきた内閣法制局が一転して「可」の立場に変わったのでしょうか。内閣法制局内で60年来堅守してきた方針を政権寄りに大転換したのは、実は体調不良によって退任した小松法制局長官がまだ在任中のことであり(朝日新聞など)、新任の長官は、与党協議で政府見解の読み替えに関わっていといわれています。
 選挙ごとに選出されて多数派が政権に就くという議員の話しではありません。法律や政策と憲法の整合性を専門業務として考える機関のトップスが、突然に変容したという話しなのです。
 
  集団的自衛権の行使が認められないという判断は、これ以上はないほどに完璧な自衛権発動の3要件や、憲法13条を援用して個別的自衛権を有していることを論証するなどの精緻な論議を重ねた末の結論であった筈です。(閣議決定に盛り込まれたいわゆる「新3要件」は、本来の3要件とは似て非なるもの、似ても似つかぬものです)
 それがあたかも一夜にして変わったということであれば、 これまで培われてきた内閣法制局への信頼は根本的に損なわれし、「憲法の番人」とも称された存在意義も無に帰します
 
 安倍内閣はこの先どんどんと支持率が低下すればいずれは消滅しますが、内閣法制局が存在意義の喪失から復活する日は、この先も二度と来ないのではないでしょうか。 
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【安倍政治を問う 内閣法制局】 なぜ一転「可」となるのか  
高知新聞 2014年07月05日  
 安倍政権は憲法の解釈変更を閣議決定するという手法で、これまで認められないとされてきた集団的自衛権行使に道を開いた。 
 理解に苦しむのは、これまで行使容認は「不可」とする政府見解を支えてきた内閣法制局が一転、「可」の立場に変わったことだ。 
 不可との見解は、精緻な論議を重ねた末の結論ではなかったのか。 
 政権が代わると憲法解釈が変わるようでは、法は安定性を失い、内閣法制局への信頼も損なわれる。「憲法の番人」とも称された政府機関は、その存在意義を問われている。 
 明治期に発足した内閣制度とともにある法制局の役割は、政府の法律顧問だ。憲法をはじめとする法律解釈に携わる一方、政府提出の法案が憲法などに合っているかどうかも審査し、首相や閣僚に意見を述べる。 
 憲法解釈の核心は9条の扱いで、法制局は「集団的自衛権行使を含む海外での武力行使は認められない」との結論を導き出していた。 
 この見解は自衛権に枠をはめる面はあるものの、個別的自衛権を認めることで、違憲論争もあった自衛隊の合憲論を支える効果があった。 
 この延長上にあるのは海外での武力行使の否定だ。自衛隊の海外派遣がこれまで無制限ではなかったのは、この見解と無関係ではない。 
 法制局の憲法解釈は、長らく政府見解、国会答弁に反映されてきた。この事実から政権が代わっても法制局長官が代わっても、憲法解釈が変わることはあり得ない、との見方があった。 
 その「常識」を覆そうとしているのが、安倍政権による解釈変更の閣議決定だ。 
 法制局からすれば過去の論議の否定に等しいのに、組織としての異論は聞こえてこない。それどころか新任の長官は、与党協議では政府見解の読み替えに関わっているという。 
 安倍首相は昨年、法制局長官の人事で従来の内部昇格の慣例を破り、新長官に外務省OBを起用した。そんな揺さぶりがあったとしても、積み上げてきたはずの法理論が、たやすく変わるのは理解できない。 
 これでは法制局の信頼は地に落ちるだろう。法制局はまず解釈変更の経過や理由を国民に説明すべきだ。