高知白バイ事件は、停止中のスクールバスに猛烈な勢いで白バイが突っ込んで警官が死亡したのを、警察によって、スクールバスが不用意に発進したために白バイが衝突したことにされてバスの運転手が起訴されたという冤罪事件です。
運転手は最高裁まで争いましたが、1年4ヶ月の実刑が確定して刑に服しました。
事故時バスに乗っていた生徒や教師がバスは停止していたと証言したのに、警察と検察がバスのスリップ跡を路上に作って運転手の責任だとデッチ上げたのを、地裁、高裁、最高裁が追認してこの冤罪が生み出されました。そして高知地裁は運転手が服役し出所後に名誉回復のために出した再審請求を12月16日に却下しました。
天木直人氏が18日のブログで取り上げましたので紹介します。
彼は「この国の裁判そのものが絶望的である」と述べています。
日本の裁判において有罪率が99.9%を超えているのは、裁判所は判検一体という仲間意識を持ち検察の言うことを100%信用しているからです。
そして再審請求をほぼ絶対に認めないというのは、先輩判事や上級判事のミスを暴くことは避けたいというかばい合いの発想に拠るものです。
上級審が常に下級審と検察の顔を立て、再審請求に対しては極くごくの例外を除いて全て却下するということであれば、三審制度も再審制度も形骸化されているとしか言えません。
追記) この事件については、地元の「KSB瀬戸内海放送」が2007年から2015年
まで29回に渡って動画で概要と問題点を伝えています。
彼は「この国の裁判そのものが絶望的である」と述べています。
日本の裁判において有罪率が99.9%を超えているのは、裁判所は判検一体という仲間意識を持ち検察の言うことを100%信用しているからです。
そして再審請求をほぼ絶対に認めないというのは、先輩判事や上級判事のミスを暴くことは避けたいというかばい合いの発想に拠るものです。
上級審が常に下級審と検察の顔を立て、再審請求に対しては極くごくの例外を除いて全て却下するということであれば、三審制度も再審制度も形骸化されているとしか言えません。
そうであれば裁判所は正義の砦どころか、正義とは無縁の犯罪的組織です。冤罪こそは最大の人権侵害=犯罪だからです。
追記) この事件については、地元の「KSB瀬戸内海放送」が2007年から2015年
まで29回に渡って動画で概要と問題点を伝えています。
参考までに動画の(1)~(9)までを以下に示します(降順になっています)。題名をクリックすれば動画が開始されます。(10)~ は上記の記事からアクセスしてください。
2008年07月29日
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2008年02月28日
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2008年01月10日
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2008年01月09日
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2007年10月30日
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2007年10月25日
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2007年10月24日
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2007年10月04日
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2007年10月03日
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高知白バイ冤罪事件の正義は必ず実現されなければいけない
天木直人 2015年01月18日
きょう1月18日のテレ朝日曜報道ステーションが高知白バイ事件の特集番組を流した。これは国民必見だ。
高知白バイ事件とは2006年3月に高知市で起きたスクールバスと白バイの衝突事件であり、白バイに乗っていた巡査長が事故死し、スクールバスの片岡運転手が1年4か月の実刑判決を受けた事件だ。これは当初から、警察、検察、裁判所による権力犯罪の疑惑が指摘されてきた事件である。
今朝のテレ朝の特集番組は、実刑判決を受けて刑に服した片岡運転手が、服役後に冤罪を主張して再審請求を起こしたが高知地裁がその訴え退けた事を取り上げた。
ここまで目撃証言や冤罪濃厚の証拠が出そろっているというのに、それらの疑惑を一切検証することなく門前払いをする裁判所とは一体何だろう、と司会役の長野智子が問いかけた。
ここで事件の疑惑について詳しく書く余裕はないが、私は高知白バイ事件の冤罪を主張して、運転手の弁護を引き受けて来た生田暉雄元裁判官と懇意にし、彼と運転手の支援者たちを通じてこの事件の不正義を追及してきたひとりだ。
私は知らなかったのだが、高知地裁は、刑に服して出所し、名誉回復のため再審請求を行った片岡運転手に対し、昨年12月16日に棄却の判決を下していたのだ。
こんな重要な判決が下されていたというのに大手メディアは一切取り上げなかったのだ。
国家ぐるみの権力犯罪を最終的に隠ぺいするのが最高裁だ。そして最高裁の犯罪だけは絶対に国民には知らせてはいけない。そのためにはメディアも屈服させる。
これが、この国のもっとも深刻な恥部である。
その象徴が高知白バイ事件である。
この高知白バイ事件の再審請求と並ぶもう一つの再審請求が行われている。
それが砂川事件判決の再審請求だ。
田中耕太郎最高裁長官が米国政府に従属して砂川事件に関与した国民に有罪判決を下した。その不都合な真実が米国解禁文書により明らかにされた。
だから裁判所は裁判をやり直す必要があるが、おそらく裁判所は再審請求を棄却するだろう。
高知白バイ事件と同様、裁判所は自らの間違いを認めるわけにはいかないのだ。
もし再審を認め、判決の誤りを認めれば、この国の「法の支配」が音を立てて崩壊する。国家権力そのものが犯罪者であることになり、国家が崩壊するからだ。
おりから「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を書いた瀬木比呂志元最高裁裁判官が続編である「ニッポンの裁判」(講談社現代新書)を上梓した。その献本を瀬木氏から受けて読み終えたところだ。
その内容は「絶望の裁判所」以上に衝撃的だ。すなわちこの国の裁判そのものが絶望的であることがわかる。
しかし、片岡運転手はあきらめる必要はない。我々はあきらめる必要はない。
権力者が一番恐れているのは真実が明らかになることだ。権力者が一番恐れているのは真実を知った世論が立ち上がる時である。
我々が絶望しかかっている時こそ、彼らもまた追いつめられている時なのだ。
正しいことほど強いことはない(了)