2015年1月15日木曜日

沖縄知事、副長官に辺野古反対を伝達

 沖縄県の翁長雄志知事は14日、当選後初めて官邸を訪問し杉田和博官房副長官と会談し、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する意向を直接伝えました
 基地負担軽減担当の菅官房長官との会談はまたしても実現しませんでしたまことにあきれ返った官邸の対応ですが、翁長知事の意向を良く承知しているからこそ会談等を拒否しているのですから、官房副長官に伝えたことをもってよしとすべきではないでしょうか。
 
 それとは別に13日のRITERA紙が、1995年の時点でアメリカが海兵隊撤退の意向を示したときに、当時の自民党政権がそれを拒否したため、沖縄県内移設を前提に交渉が進められることになったことを報じました。
 日本には「安保で喰う人たち」がいて、絶えずアメリカに迎合的に対応し且つ日本政府を規制して米軍の日本駐留を長引かせようしています
 それは鳩山内閣のときに最も顕著にあらわれて、鳩山首相が普天間基地を最低でも県外に移設するとした方針に大反対しました。アメリカが「怒り出すから」を口実にするのが彼らの常套手段で、マスメディアもそれを無批判に報じたために、国民はそれを聞き飽きるほど耳にしました。情けない話です。
 
 東京新聞とLITERAの記事を紹介します。
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沖縄知事、官邸を初訪問 副長官に辺野古反対を伝達
東京新聞 2015年1月14日 
 沖縄県の翁長雄志知事は14日、昨年11月の知事選で当選後初めて官邸を訪問し杉田和博官房副長官と会談、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する意向を直接伝えた。基地負担軽減担当の菅義偉官房長官との会談は実現しなかった。
 
 会談で翁長氏は「国土の0・6%の面積しかない沖縄に戦後69年間、米軍専用施設の74%が集中する現状は理不尽だ」と強調し、普天間の県外、国外移設を求めた。
 
 翁長氏によると、杉田氏は「今後も意見交換しましょう」と応じるにとどめたという。(共同)
 
 
翁長知事イジメで辺野古移転強行!自民党政権が米国の沖縄撤退提案を拒否していた
LITERA 2015年1月13日
  米軍普天間基地の辺野古移設阻止を掲げて沖縄県知事選で圧勝した翁長雄志知事が安倍政権から露骨な嫌がらせを受けている。
 
 昨年12月に知事就任のあいさつで永田町を回った際には菅義偉官房長官ら政権幹部は誰も会おうとせず、閣僚との会談は山口俊一沖縄北方相だけという仕打ちを受けた。年明けの1月6日~8日にも新年度の予算の要請などで上京したが、与党・自民党の会合への出席を拒まれ、関係閣僚との会談も実現しなかった。
 
 露骨なのは、西川公也農水相だ。知事が特産のサトウキビの交付金に関連して面会を求めたが、面会が認められたのは同席する予定だった農協幹部だけ。知事は県東京事務所で待機するしかなかったという。自民党本部で開かれた沖縄関連の予算を議論する会議にも翁長氏は招かれなかった。この会議には、辺野古沿岸部の埋め立てを承認した前知事の仲井眞弘多氏は毎回、招かれていた。
 
 9日付の朝日新聞には、この件に関する自民党沖縄県連幹部の「普天間問題で政策が異なる知事の要請を受ける理由はない」というコメントが紹介されていた。ここまでくると、もう安倍政権と自民党による“イジメ”、もしくは“差別”としか言いようがない。
 
 もっとも、歴代自民党政権による沖縄差別はいまに始まったわけではない。本土のマスコミはほとんど報じていないが、普天間基地問題については沖縄県民に対する重大な裏切り行為すら働いていた。これだけ揉めている普天間問題だが、肝心のアメリカ政府は当初、「海兵隊の沖縄撤退もオッケー」と言っていたというのである。
 
 この衝撃的事実を最初に伝えたのは昨年9月13日付の「沖縄タイムス」だ。同紙の記事によると、米元副大統領でクリントン政権下で駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏の口述記録が米国務省の付属機関で見つかった。それによると、1995年の普天間基地返還交渉で、アメリカ側は同年に起きた少女暴行事件の重大性を認識し、海兵隊の撤退も視野に入れていたが、当時の自民党政権(橋本龍太郎首相、河野洋平外相)がそれ(海兵隊の撤退)を拒否して県内移設を前提に交渉が進められることになったというのだ。
 
 モンデール氏はその際、少女暴行事件について「県民の怒りは当然で、私も共有していた」と述べ、「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」ことを明らかにした。交渉の過程で、日本側が希望した場合は本土移転も検討する意向を示したという。
 
 ところが「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」ため、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議することになり、「日本政府の希望通りの結果となった」とモンデール氏は交渉過程を振り返った、と報じている。
 なんのことはない。このときアメリカ側の提案を受け入れていれば、普天間問題は20年も前にとっくに解決していたのだ。
 
 実際、米国内でも「在沖縄海兵隊不要論」はかなり以前から語られていた。「週刊朝日」(朝日新聞出版)10年8月20日号には米民主党の重鎮でオバマ政権にも大きな影響力を持つバーニー・フランク下院金融委員長(当時)のこんなコメントが出ている。
 
「1万5千人の在沖海兵隊が中国に上陸し、何百万もの中国軍と戦うなんて誰も思っていない。彼らは65年前に終わった戦争の遺物だ。沖縄に海兵隊は要らない。超党派で協力し、この議論を提示していきたい」
 
 沖縄から海兵隊がいなくなったら、安全保障面から日本が脆弱になってしまうのではないかという懸念に対しては、キッパリとこう語った。
 「われわれの日米同盟は重要であり、特に中国からの脅威には十分に対処する必要があります。そのため、シーパワー(海軍)、エアパワー(空軍)による抑止は必要ですが、海兵隊を沖縄に置いておく必要があるだろうか? 海兵隊が中国に上陸するような事態が考えられますか? 私は抑止にランドパワー(陸上兵力)が不可欠だと思いませんね」
 
 以前から散見されていたこうした海兵隊撤退論が、実は1995年の普天間返還交渉の時から存在していたということがモンデール証言で明らかになったわけだ。しかもその撤退の意向を当時の自民党政権が拒否したというのである。
 
 理由は諸説あるが、もっとも有力なのが代替施設建設の基地利権だ。地元建設会社への公共工事発注はもちろん、埋め立てに必要な土砂の調達などに関する利権配分がすでに決まっていたために、何がなんでも「辺野古への移設」を実行しなければならないというのだ。アメリカが「撤退してもいい」と言っているのに、日本側が「やめてくれ」と言ったというのだから、そこにはやはり、深い「闇」があると見るべきだろう。
 
 だからこそ、冒頭に紹介した翁長知事に対する露骨な差別も起きるというわけだ。いまからでも遅くない。安倍政権はこうした旧態依然の利益誘導型の政治から脱却し、真に沖縄のため、日本のための政治を進めるべきだ。その意味でも、まずは沖縄県民の圧倒的な支持を受けた翁長知事の話にじっくり耳を傾けるべきではないか。
(野尻民夫)