2015年1月6日火曜日

新潟水俣病公式確認から50年

 今年は、新潟水俣病公式確認から50年目の年に当たります。
  
 水俣病は、アセトアルデヒドの製造過程で生成する有機水銀が排水中に含まれて環境中に流出し、それを摂取した魚介類を人間が食べることで発症します。アセトアルデヒドは合成樹脂やその可塑剤等の原材料となるもので、重化学工業全盛時代には欠かすことの出来ない基材でした。
 
 熊本水俣病は、まずチッソ水俣工場の工場排水によって引き起され昭和31年(1956年)に水俣病と確認されました。新潟水俣病は阿賀野川流域の昭和電工の工場排水によって熊本水俣病確認の9年後昭和40年=1965年5月31日に発生が公式に確認されました
 
 公害病が発生すれば、当然、早急に原因を追及して被害の拡大を防止しなければならないのですが、九州大学が水俣病の原因が有機水銀であることをいち早く突き止めたにもかかわらず、当時、政府、業界、学会が一丸となってそれを否定・隠蔽して9年間も放置しておくなかで、熊本水俣病患者は10万人を超える規模にまで達し、遠く離れた新潟の地でも全く同じ公害病を発生させました。
 
 新潟水俣病訴訟によって水俣病の原因が明らかにされた後は、水俣病患者と認定される人々が増え続けました。しかしその数が増えていくと、政府は今度は認定基準を厳しくして、極力患者であるとの認定をしないようにしました。
 1977年に改悪された認定基準(77年基準)がそれで、手足の感覚障害のほかに、運動失調、視野狭窄などの症状があることを原則としており、感覚障害のみではほとんど認定されなくなりました。
 認定基準に関する訴訟において、最高裁はその基準が厳しすぎて不当であるという判断を下しています。直近では2013年4月にも、「複数の症状がなくても個別に検討して認定する余地がある”」との判断を示しました。
 
 それに対して環境省は2014年3月、認定基準に関する新たな通知を出しましたが、その内容は有機水銀の暴露を受けたとする客観的資料(数十年前の魚介類の喫食状況を示すもの、毛髪や尿中の水銀濃度、同一家族内の認定患者の存在など)が示されれば認めるという内容で、50年以上も前の資料を出せというおよそ現実性のないものでした。
 結局「77年基準」はそのまま無傷で現在も生きています。
 被害者たちは「環境省の新通知は、現行の認定基準(77年基準)よりも認定しにくくするもので、高裁判決を全く無視したもの」と憤っています。
 
 新潟県では泉田知事が立ち上げた諮問委員会の答申に基いて、県独自の取り組みとして「新潟水俣病地域福祉推進条例」を制定し、県として出来る範囲で新潟水俣病患者に新潟水俣病福祉手当支給し、療養や健康管理等に係る経済的負担の軽減を図っています。
 条例では新潟水俣病患者を、「阿賀野川の汚染された魚を食べたことにより一定以上の症状が出た方を新潟水俣病患者と定義」するとして手当てを支給する対象者を広げ、「ニセ患者」などの誤解や偏見を生む考え方をなくしていこうとする努力が払われています。
 
 NHKの記事:「新潟水俣病公式確認から50年」を紹介します。
 
 註.当時、水俣病の原因を隠蔽し続けた政府・業界・学会の態度は、現在の福島原発事故における放射能被害に関する情報を隠蔽し、あるいは放射能を安全だと偽装し続ける態度と共通しています。
     (関連記事)
        2013年2月27日 政府・環境省がまたしても水俣病で偽証工作
        2013年1月2日 田中正造没後100年 足尾鉱毒事件と原発事故
        2012年10月21日 放射能汚染と水俣病・・・その酷似性 
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新潟水俣病公式確認から50年  
NHK NEWS WEB 2015年1月5日
(新潟)県内で水俣病の発生が公式に確認されてからことし5月で50年を迎えます。
 一方、救済を求める裁判は現在も続き、被害者団体が集めた署名は12万人余りに上るなど、水俣病を巡り半世紀にわたって続く問題は今も解決に向けて道半ばの状態となっています。
 
新潟水俣病は阿賀野川流域の昭和電工の工場排水に含まれていた有機水銀が原因で起きた公害で、水俣病が熊本県で確認されてから9年後の昭和40年5月31日に県内での発生が公式に確認されました
この公式確認からことしで50年を迎えますが、水俣病を巡っては、多くの被害者が救済を求めて国や昭和電工に対して損害賠償を求めたり、新潟市に対して認定を求めたりする裁判が続いています。
また、被害者団体などでは差別や偏見を恐れ、これまで症状を訴え出ていない隠れた被害者が多く残されていると指摘し、先月、新潟市で行われた検診では新たに9人に水俣病とみられる症状が確認されました。
 
こうしたことなどから、被害者団体などではすべての被害者の救済を求めて12万人余りに上る署名を環境省に提出するなど、水俣病を巡り半世紀にわたって続く問題は今も解決に向けて道半ばの状態となっています。