LITERAが、イスラム国人質事件をめぐるマスメディアの姿勢がおかしいと問題にしています。
今の事態を招いた大きな責任は中東訪問中の安倍首相の言動にあることは明らかで、二人が拘束されているのにもかかわらず、17日、エジプトのカイロで「イスラム国の脅威を食い止めるため、イスラム国と闘う周辺各国に2億ドル支援する」と述べたのは、イスラム国にとって明らかな利敵行為であって、人質の二人にとっては致命的な失言でした。
しかし新聞もテレビもそのことは報道しないで、イスラム国の脅迫を受けてから政府がニュアンスを修正した「周辺国の民生の安定のための支援である」という言い方に徹して、安倍首相を擁護し続けています。
この事件については特に官邸からの報道規制等はなく、「人命がかかっているから慎重に」という常識的な要請のようですが、どうもそれで十分に官邸の意向が伝わって、そのとおりにキチンと実践されるという関係にあるようです。
しかし実際に新聞やテレビが手控えているのは安倍政権批判であり、イスラム国に対しては「許しがたい」「言語道断」などと政府と同様に、別に表現に気を使っている節は見られません。それでは何のための抑制なのか分かりません。
官邸は人質の救出よりも、自分たちに批判が及ぶことを防ぐのに躍起になっていて、マスメディアもそれにひたすら従っているいうわけです。
重大な事態が生れればメディアは沈黙を守る、政府を批判しない、それでいいのでしょうか。そのこと自体が大いに問題であるという認識は、残念ながらメディアの側にはなさそうです。
それが政権からのメディアの独立度が世界で59番目といわれる所以ではないでしょうか。
それが政権からのメディアの独立度が世界で59番目といわれる所以ではないでしょうか。
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イスラム国人質事件で新聞各社が“安倍批判”自粛!?
露骨な擁護記事も登場
LITERA 2015年1月26日
湯川遥菜氏が殺害されたと見られる動画が公開され、さらに難しい局面に入ったと思われるイスラム国事件。政府がきちんと救出にあたるよう国民もプレッシャーをかけ続ける必要があるが、しかし、ここで気になるのは、日本の大手メディアの姿勢だ。
本サイトが再三指摘してきたように、こうした事態を招いた責任の一端は安倍晋三首相にある。すでに湯川氏は昨年8月に、後藤健二氏についても10月末に拘束されたことを政府は確認していた。後藤氏については外務省が昨年の段階で秘密交渉を働きかけたものの、失敗に終わり、そのまま放置してしまったことも本サイトの取材で判明している。これは本日26日発売の「週刊ポスト」(小学館)2月6日号も指摘しているように、明らかな事実だ。
安倍首相はそんななか、中東歴訪で2億ドルの支援をぶちあげ、しかもわざわざ「支援はISILの脅威を食い止めるため」「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と、軍事援助であるかのような発言をしたのである。
政府や外務省がこの「2億ドル」を「人道支援やインフラ整備などの非軍事分野での支援」などと“言い換えた”のは、最初の予告動画公開の後。「2億ドル=人道支援」ということ自体は誤りではないが、だとしたら、安倍首相のカイロでの演説は明らかなスタンドプレーであり、致命的な失言といっていいだろう。
だが、新聞もテレビもそのことをほとんど報道しない。それどころか、政府の言い分を垂れ流し、安倍首相を擁護し続けているのだ。たとえば、人質事件が発覚した翌日、新聞各紙の社説にはまるで判で押したように同じ文言が並んだ。
〈しかし、日本からの医療や食料の提供は、住んでいた街や国を追われる人たちが激増するなかで、不可欠の人道的な援助である。「イスラム国」に向けた攻撃ではなく、脅迫者たちの批判は筋違いだ。安倍首相は記者会見で「許し難いテロ行為に強い憤りを覚える」と述べ、中東地域の平和や安定を取り戻すための非軍事の支援を続けていく意思を強調した。毅然(きぜん)として向き合っていくべきだろう。〉(朝日新聞 21日付朝刊「社説」)
〈身勝手で筋違いな要求だ。安倍首相はエジプトでイスラム国対策の2億ドルの支援を表明したが、それは避難民向けの食料や医療など人道援助が中心だ。あくまで非軍事活動に徹している。菅官房長官が「テロに屈することなく、国際社会とテロとの戦いに貢献する我が国の立場に変わりない」と語ったのは当然だ。〉(読売新聞 21日付朝刊「社説」)
〈安倍首相は確かに訪問先のカイロで演説し、「イスラム国」対策として近隣のイラクやレバノンなどに2億ドルの支援を表明した。だが、その内容は「イラク、シリアの難民・避難民支援」や「地道な人材開発、インフラ整備」など非軍事的な色彩が強く、「イスラム国」との戦闘に力点を置いた支援ではない。〉(毎日新聞 21日付朝刊「社説」)
〈見当違いも甚だしい。「イスラム国」の暴力から逃れるため、シリアやイラクでは多くの人々が住む家を追われた。難民を支える環境を整えることが急務だ。そのための人道支援である。〉
〈安倍首相は「テロに屈してはならない」と述べるとともに、「国際社会と連携し、地域の平和と安定に貢献する方針は揺るがない」と決意を示した。「イスラム国」と対峙する各国と綿密に連携し、2人の早期解放に全力をあげてほしい。〉(日経新聞 21日付朝刊「社説」)」
〈エルサレム市内で会見した安倍首相は(中略)2億ドルの拠出は避難民への人道支援であることを強調し、実施する考えを示した。菅義偉官房長官も「テロに屈することなく、国際社会とともにテロとの戦いに貢献していく」と述べた。この姿勢を支持する。〉(産経新聞 21日付朝刊「主張」)
読売や産経だけなく、朝日や毎日まで──。まるで、報道協定か?と見紛うばかりの画一的内容だが、取材してみると、やはりそこには自主規制があるようだ。全国紙の政治部記者が語る。
「報道協定や表立った圧力はないが、官邸も外務省も口を開けば『人命がかかっているから慎重に』といってきますからね。政権批判をしたら、『事件を政治利用した』『イスラム国を利する報道をした』などと叩かれるのは目に見えている。今の段階では、我々としても人命最優先ですから、政府見解をそのままトレースするしかない」
しかし、「人命がかかっているから慎重に」というが、新聞やテレビが手控えているのは安倍政権批判であり、イスラム国に対しては「許しがたい」「言語道断」などと、論陣をはっているではないか。ようするに、マスコミが刺激しないよう配慮しているのは、イスラム国でなく、国内の空気なのだ。
実際、新聞だけでなく、テレビも過剰としかいいようのない自粛体制をとっている。ニュース番組はもちろん、フジテレビはアニメ『暗殺教室』の放映を中止し、テレビ朝日の『ミュージックステーション』では、ロックバンド「凛として時雨」による楽曲「Who What Who What」の歌詞が、「血だらけの自由」を「幻の自由」に、「諸刃のナイフ」を「諸刃のフェイク」に改ざんされ、またKAT-TUNが演奏予定だった新曲「Dead or Alive」が別の曲に変更されるという対策がとられた。
そして、安倍政権はこういったメディアの空気を利用して、「人命尊重」を大義名分に自分たちの批判をしないように圧力をかけているのだ。
「官邸はとにかく、今、救出よりも自分たちへの批判をどう抑え込むかということに躍起になっています。菅義偉官房長官や今井尚哉首相秘書官らは後藤さん湯川さんの自己責任論を示唆する一方、御用メディアの読売や産経、NHKを使って、露骨な安倍擁護を吹き込んでいる」(前出・政治部記者)
その成果か、読売と産経は、表立った批判も出てきていない段階で、機先を制するように、こんな社説を掲載した。
〈気になるのは、安倍首相の中東歴訪がテロリストを刺激し、今回の事件を招いたかのような、的外れの政権批判が野党の一部などから出ていることだ。首相の中東訪問は、各国との連携を深め、地域の平和と安定に貢献することが目的である。〉(読売新聞 23日付朝刊「社説」)
〈中東歴訪中だった安倍晋三首相は一部予定を変更して帰国した。イスラム過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件の陣頭指揮を国内で執るためだ。事件は首相の歴訪が招いたものとの批判があるとすれば、誤りだ。卑劣なテロによって評価が左右されることはない。〉(産経新聞 22日付朝刊「主張」)
何度でも繰り返すが、安倍政権が守ろうとしているのは自分たちの権力だけであり、国民の生命など一顧だにしていない。だが、メディアがこんな有様では、安倍首相の責任追及どころか、「テロとの闘い」を訴えたブッシュ政権支持一色になって、それに異を唱える者がバッシングされた9.11後の米国のような状況になる可能性はきわめて高いといわざるをえない。 (田部祥太)