東海大学の学生たちが伊勢原市内の戦争体験者から聞き取り調査を行って、映像ライブラリーにまとめ、戦争の記憶を若い世代へ伝えるという、大学と市の共同事業が進められています。
聞き取りを行うのは同大文学部広報メディア学科の学生たちで、出来上がった映像記録は8月に伊勢原市内で行われる「平和のつどい」で発表されます。
指導教官の水島久光教授は、「戦争の悲惨さだけではなく、彼らがどう暮らし、その後はどうなっていったかを聞き取り、連続した歴史として認識できる社会的資産にしたい」と話しています。
映像ライブラリーは市内の体験者15人ほどを記録する予定で、市のホームページにも掲載されるということです。
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次代へ記憶つなげ 東海大生、戦争体験聞き取り記録映像
神奈川新聞 2015年1月23日
戦後70年の節目に合わせ、東海大学文学部(平塚市北金目)の学生が伊勢原市内の戦争体験者から聞き取り調査を行って記録する、「映像ライブラリー」という取り組みを始めた。同大と包括提携する伊勢原市との共同事業。戦争の記憶を若い世代へ伝えつなぐことを目的とし、記録映像は8月に市内で行われる「平和のつどい」で発表される。
2台のビデオカメラが回る。いすに座った亀井昇さん(90)に、学生が質問していく。
「実際の戦闘中、誰のために戦っていると思っていましたか」
「それは、お国のためだ。子どもの頃からそう仕込まれてきたからね」
亀井さんは横須賀海兵団の一員として出征。1942年のミッドウェー海戦の最中に船上で被弾し、「左足がぐちゃぐちゃになった」。一命はとりとめ、傷病兵として除隊命令が下ったが、自ら軍に残ったという。
「それが当然だと思っていた。そういう教育に感化されてきたから。教育は恐ろしい。それ一つで、良くも悪くもなる」
死線をさまよっても、なお戦場を望む。インタビュアーを務めた4年生の山口貴大さん(22)は今の自分とあまり変わらない年齢で下した決断に、「死の恐れがある中で自ら志願したなんて、驚きとしか言えない」と言葉を失っていた。
聞き取りを行っていくのは同大文学部広報メディア学科の学生。市と協力して市内に残る戦争体験者を探し、「伊勢原」「戦争」「生活」の3点を軸に映像として残していく。
学生を指導する水島久光教授(53)=映像アーカイブ研究=は、戦争や海難事故の映像を発掘・記録してきた。水島教授は「戦後70年がたち体験者がますます減る中で戦争の悲惨さだけではなく、彼らがどう暮らし、その後はどうなっていったかを聞き取り、連続した歴史として認識できるものとし、社会的な資産を残したい」と話す。
亀井さんが乗っていた駆逐艦「朝潮」は、その後の海戦で米軍機の攻撃を受け撃沈されたという。多くの戦友が犠牲となった。「私の体には今も26個の破片が残っている。それでも私は運が良かった。戦争は本当に悲惨でひどい。自分の体験談が若い人たちにとって、何か役に立てば」と話していた。
映像ライブラリーは市内の体験者15人ほどを記録する予定で、市のホームページにも掲載される。