2015年1月23日金曜日

I S人質事件で際立つ安倍首相の冷血

 中東を訪問し イスラエルの首相と会談して「イスラム国と闘う国々に日本政府が億ドル援助を申し出れば、「イスラム国」に拘束されている二人の日本人が一層窮地に陥るのは、安倍首相自身がよく承知していた筈です。ただI Sによってあの時点で人質のことが全世界に公表されることまでは予期していなかったようです。
 
 いずれにしても安倍首相は人質を見殺しにすることに躊躇はなく、72時間と区切られた時間の中で具体的な救出のための努力は何もしていません。
 いま日本側で唯一I Sと交渉できる可能性のある人物は、イスラム法学者の田中考氏かそれにつながる人脈だそうですが、国からの接触は一切ないということです。
 湯川遥菜氏が拘束されてからもう5ヶ月、後藤健二氏が拘束されてから3ヶ月になろうとしていますが、その間の対応を含めて、人質に救いの手を差し伸ばそうとしない安倍氏の冷酷・冷血ぶりは際立っています。
 
 彼がいま考えていることは、人質が処刑されたあと如何にすれば世論が自分を非難する方向に向かわないように出来るかということだけの筈です。
 本来であれば「人の救助を」という世論を喚起すべきマスメディアは、この度も沈黙を守っています。そうなると、安倍首相としてはそのことでもあまり心配する必要がなく、後はこの事件をどのように利用すれば、彼の目指す戦争の出来る国につなげることが出来るかについて考えていることでしょう。
 それにしても日本のメディアは一体どうなっているのでしょうか。
 
 湯川氏が「民間軍事会社」というようなとてもあり得ない職業を謳いながら、英語が話せないにもかかわらず紛争国に何回も渡航していることや、後藤氏が肉親でもまた大親友でもない彼を、命の危険を冒してまで救出しようとしたのは理解しがたいことです。
 しかし、もしも公には出来ない「組織(例えば情報収集など)」における行動だと仮定すれば、それらはあり得ることになります。
 その場合その「組織」は国またはその蔭の部分につながっている筈で、そうだとすればそれを見殺しにする安倍首相の冷酷さがなお更理解できません。なぜアメリカの指示にそこまで漫然とそして無感情に従えるのでしょうか。もはやそういう人間なのだと思うしかなさそうです。
 
 LITERAがこの事件に関連して安倍政権とマスメディアの対応を批判するとともに、小泉内閣時代に起きたイラク人質事件で、「自己責任論」が強調されて国を挙げて「人質バッシング」が行われたことを取り上げています。
 陰惨な時代でしたがそれが再現しないという保障はありません。

 TBSテレビのニュースも併せて紹介します。
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イスラム国事件「自己責任論」噴出の裏で安倍政権が日本人拘束を隠蔽していた!?
LITEA 2015年1月22日
 日本中に大きな衝撃を与えた「イスラム国」による日本人二人の殺害予告動画の公開。当初、沸き上がったのは、安倍首相への批判だった。というのも、イスラム国による殺害予告と身代金要求が明らかに、安倍首相の中東歴訪中の「2億ドル支援」演説を受けてのものだったからだ。
 政府は今頃になって慌てて「2億ドル支援は人道目的」などと釈明してるが、安倍首相はエジプト・カイロの演説で「イスラム国の脅威を食い止めるために2億ドルを支援する」とはっきり宣言していた。イスラム国はその後に、「日本の首相へ」とした上で、「『イスラム国』と戦うために2億ドルを支払うという馬鹿げた決定をした」などと宣告して、同額の身代金を要求してしたのだ。安倍首相の不用意な発言がイスラム国側を刺激し、利用されたのは間違いない。
 
 ところが、安倍首相や政府の失態を追及する声はすぐにかき消え、かわってまたぞろ噴き出てきたのは被害者である人質の「自己責任論」だった。
 「戦場ジャーナリストと傭兵は死ぬのも仕事のうちだろ?」
 「危ないとわかって行ってるんだし、自己責任でしょ」
 「危険地帯を承知で行っているのだから、身代金は自分で払わせれば良い」
 ネットを中心としてこんな声があがりはじめ、さらには「2人の人質はイスラム国とグルなのでは?」「日本から資金得るため(2人は)演技してる」といった自作自演説までが流されたのだ。
 そして、この自己責任論は、拘束されたジャーナリストの後藤健二氏が拘束前に「これからイスラム国の支配地域に入ろうと思う。全ての責任は自分にある」との動画を残していたことで、さらに過熱。匿名の批判だけではなく「まあ自己責任だろね」(堀江貴文)、「この時期にあの地域に入るのには、それなりの覚悟が必要で自己責任」(フィフィ)と同調する著名人たちも出現している。
 
 どうも彼らは、近代民主主義国家における国民と国家の関係というものをまったく理解していないようだ。そもそも自国民の生命保護は国家の義務なのである。それは国民の思想や言動とは関係がない。仮にその人物が日本の利益に反する行動をしていたとしても、政府は救出のために法の範囲内で最大限の努力をする義務があり、国民はそれを国家に要求する権利がある。
 
 ましてや、後藤氏は、8月にイスラム国に拘束されながら、日本政府やメディアが無視していた湯川遥菜氏の消息確認のために取材を決行した可能性が高い。そんな人物を「自己責任だ」と突き放すのは、自分たちの「知る権利」さえも踏みにじる行為に他ならないだろう。
 ところが、この件ではマスコミまでが浅薄な「自己責任論」を煽っているフシがある。例えば東京外国語大学総合国際学研究院教授の伊勢崎賢治氏はツイッターでこんな興味深いことをつぶやいている。
 「イスラム国邦人拘束。毎日から電話取材。個人が危ないところに行き、国に迷惑をかけるのはどう思うかと。社の責任で人を送らない大手メディアが何も言える立場にないと言っておいたが、書かないだろうな」
 ようするに、毎日新聞の記者が「国に迷惑をかけるな」とコメントするよう誘導していたというのだ。大手マスコミは自社の社員記者には安全地帯にとどまらせ、戦場などの前線取材はフリージャーナリストに依存している。にもかかわらずそのフリー記者の取材行為を貶めるというのは、いったいどういう神経をしているのか疑いたくなるが、これがこの国の言論の現実らしい。
 
 実際、ご記憶の方もいると思うが、2004年のイラク人質事件でもまったく同じような事態が起きている。フリーカメラマンや人道支援ボランティアの邦人3人を拘束した武装勢力が、当時イラクのサマーワに駐留していた自衛隊の撤退を求めた。しかし、当時の小泉純一郎首相は早々に自衛隊を撤退しないことを明言する。これに対し人質家族たちが会見で救出を訴えると、今度は人質と家族に対して猛烈なバッシングが始まったのだ。
 「人質になったのは自己責任」「自己責任が取れないなら危険地域に行くな」「反省しろ」「迷惑を掛けた国民に謝れ」、さらには今回と同じように「自作自演説」も流された。
 「週刊新潮」「週刊文春」などの週刊誌も激烈な人質バッシングを展開。人質のプライバシーを書き立て、親族に「共産党員がいる」などという虚偽の情報までふりまいた。
 そして、読売新聞や産経新聞などの保守系新聞も人質を責め立てた。
 
 「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(『読売新聞』04年4月13日付朝刊「社説」)
 
 「日本政府はもはや人質犯の要求には応じないという原則であり、国民が政府の勧告を無視して行動する場合は、自己責任を負わなければならないということだ。解放された三人は帰国後、各メディアに多く登場することだろうが、こうした責任の自覚としかるべき感謝の表明なしに政治的主張を続ければ、国民の反応は冷ややかなものとなろう」(『産経新聞』4月16日付朝刊「主張」)
 
 こうして、被害者であるはずの3人は、まるで犯罪者のように日本中から袋だたきにあったのである。
 
 この状況は海外から見ると、非常に奇異に映ったようで、米「ニューヨーク・タイムズ」が「深層には、この島国を何世紀にもわたって支配し続けてきたヒエラルキー構造がある。お上(okami)にたてつくことが、人質たちの罪となったのだ」と報じたのをはじめ、海外メディアは一斉に人質バッシングを批判。パウエル米国務長官(当時)までが「もし誰もリスクを引き受けようとしなかったら、私たちは前に進むことはできなくなる。(略)彼らのような市民や、リスクを承知でイラクに派遣された自衛隊(soldiers)がいることを、日本の人々はとても誇りに思うべきだ」と語り、「私たちは『あなたはリスクを冒した、あなたのせいだ』とは言えない。彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」と言及したほどだった。
 
 まさに日本という国の人権や表現の自由への意識の低さが明らかになった騒動だったが、しかし、実はこのとき、人質バッシングに火をつけたのは、政府・自民党だったという見方がある。たしかに、かなり早い段階から小池百合子環境相(当時)をはじめ、小泉内閣の閣僚、自民党幹部がオフレコで人質や家族批判を口にしていたし、週刊誌が書き立てた「(人質の)親が共産党員」というような情報もほとんどが、内閣情報調査室や公安からリークされたものだった。また、2ちゃんねるの書き込みも明らかに政府関係者でないとわからないものもあり、バッシングは自衛隊のイラク派兵への反対世論が盛り上がるのを恐れた政府・自民党が仕掛けた可能性がかなり高いといっていいだろう。
 
 そう考えると、今回のイスラム国の事件で噴き出ている自己責任論も、政府・自民党の情報操作である可能性は否定できない。今回の事件の対応をめぐっては、冒頭で述べた安倍首相のイスラム国への挑発的発言以外にも、政府は決定的な失態を犯しているからだ。
 それは、拘束事件そのものを放置・隠蔽してきたことだ。湯川氏の拘束が判明したのは昨年8月、さらに後藤氏も昨年11月には消息不明となり、同時期に妻への身代金要求もあった。しかし日本政府は本格的な交渉には動かず、後藤氏の拘束や身代金要求をひた隠しにした。一説には「後藤氏のイスラム国拘束の可能性を公表すると衆院選に不利」との思惑さえあったといわれている。そして、水面下でこうした事態が進行していたにもかかわらず、安倍首相は中東の地で「イスラム国がもたらす脅威を食い止めるために2億ドルを支援する」という挑発的な演説をぶったのである。この責任はきわめて重大だろう。
  
 もちろん今回の問題の根源はイスラム国の卑劣なテロ行為にあり、それに対してきちんと非難をするのは大前提だ。しかし同時に、事件の背景には、国家と自らの政権のためには国民の生命など一顧だにしない、安倍政権の体質がある。マスコミやネットが流す浅薄な自己責任論に踊らされてそのことを忘れてはならないだろう。
 (伊勢崎馨)
 
身代金払わない方針を再確認、英メディア報道 
TBS テレビ 2015年1月22日
 安倍総理は22日午後7時ごろ、イギリスのキャメロン首相と電話会談を行いました。
 その内容について、イギリスの通信社PA通信が「安倍総理とキャメロン首相は、テロリストには身代金を払わないというG8サミットの方針を再確認した」と報じました。日本側では外務省が電話会談の概要を発表しましたが、そうした内容は含まれていません。
 
 安倍政権は今回の事件を「犯行グループとの情報戦」とも位置づけています。総理官邸には菅官房長官らが残り、さまざまなルートと方法を使って人質の解放に向けた努力を続けているものとみられます。