松本人志の性加害(性上納システム)事件に関しての、(ペンネーム)パオロ・マッツァリーノによる掲題の記事が、世間から「ぐうの音も出ない」「完璧すぎる論破」と評価されています。
その記事がダイヤモンドオンラインに転載されました。全文1万語以上というかなり長い記事ですが、平易な言葉で極めて分かりやすく、松本やその取り巻きが行っている「事実無根」等という言い訳が、全く成り立たないことが説明されています。
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松本人志さんの“罪”を考察したブログに反響広がる「ぐうの音も出ない」「完璧すぎる論破」
パオロ・マッツァリーノ ダイヤモンドオンライン 2024.1.30
松本人志さんから性的被害を受けたという女性の証言を週刊文春が報じた問題をめぐって、日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんのブログが注目を集めている。
「松本人志さんの罪についての考察と提案」と題した論考は、X(旧Twitter)で1万6000以上の「いいね」を集め、「ぐうの音も出ない」「完璧すぎる論破」といった反響が広がっている。パオロさんの公式ブログから、当該記事を全文転載する。
まつもtoジャニー
ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。
ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。
いい人は犯罪をするわけがない。社会的地位の高い人が犯罪者であるはずがない。無名の人間が犯罪を告発するのは売名行為に決まってる。週刊誌なんてウソばかり書いてるのだから、どうせ今度もウソだろ。
これらすべてが、根拠のない予断です。こうした予断によってジャニーさんを信じ、犯罪の告発を黙殺したことで、テレビ局はジャニーさんがシロであるという既成事実を作ってしまい、自分らがそれに縛られることになりました。ジャニーさん、あんた間違ってるよ、あんた頭おかしいよ、といえる人がテレビ界に誰もいなくなってしまったこと、それが問題をこじらせてしまったのです。
犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。その上で、双方の主張内容を比較検討し、どちらが正しいのかを考える。これが法治国家における正しい手順です。
たとえ99回虚偽の訴えが続いたとしても、100回目の訴えが虚偽であるとはかぎりません。毎回、訴えは公正に検討され続けなければなりません。
どうせまたウソだろ、なんて予断をもって正当な告発を却下してしまったらどうなりますか。犯罪者が野放しになるんです。
冤罪がなぜ重大な問題なのかというと、真犯人が野放しにされ、犯行を繰り返すおそれがあるからです。犯罪被害の告発が事実なのに黙殺してしまった場合も、真犯人が野放しになり、犯行を繰り返すかもしれないという、冤罪とまったく同じ状況が作られます。
だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。その失敗を教えてくれたのがジャニーズ問題であり、テレビ局はそれを学んだとばかり思っていたのですが……。
最近の松本人志さん性加害疑惑の報じかたを見てると、テレビ局がまた同じ間違いを繰り返そうとしてるように見えるんです。
もちろんすべてのワイドショーを見たわけじゃありませんが、いくつか見たかぎりでは、とりわけお笑い芸人のなかに、まだ事実はわからないと前置きして中立を装いながら、それに続く主張で暗に松本さんをかばうような流れのコメントをいう人が何人もいました。
そもそも松本さんにどんな疑惑がかけられているのか、その詳細にはほとんど触れず、松本さんを心配してはいけないのか、仕事のなかった頃に松本さんの番組に呼ばれた恩がある、などと人情論だけで松本さんを擁護する芸人、タレントのコメントばかりが目立つ『ワイドナショー』が一番偏ってました。
女性側をむやみに疑うべきでないとはっきり主張してた人はごくわずか。大半のタレントは、あたりさわりのない言葉を注意深く選んで、どちらにも取れる発言しかしていないように見えました。
松本さんにかけられている疑惑について詳しく報じずに、擁護する仲間や後輩の人情論ばかりを流すのは、公平とはいえません。番組制作者が、松本さんが犯罪者のわけがないという予断にひきずられて出演者を選んだり、番組を構成してるのではないかとすら疑ってしまいます。
的外れな人情論と損失論
人情論がなぜいけないのか。立川志らくさんは、自分は人情を大事にするから世話になった松本さんを支持するといってますが、もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。
もしも、被害を訴える女性たちの親が逆上して松本さんを殺すなんてことが起きたとしても、それもまた人情の成せる業です。人情は人を助けることもできるし、人を殺すこともできます。加害者にも被害者にも人情はあります。どちらの家族にも人情はあります。
去年読んだ本のなかで、ある心理学者が「共感」の危険性を指摘してました。共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。
人情もスポットライトです。だから人情で物事の正誤を公平に判定することはできませんし、してはいけないのです。女性の訴えに耳を貸さず、世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。
松本さんがいなくなったらテレビ界、お笑い界の損失は計り知れない、なんて声も多いのですが、それは告発の真偽とは無関係だし、単なる論点ずらしです。
犯罪がらみの理由以外でも、過去に人気芸能人が急に引退した例はあります。事故や病気で急逝した人も大勢います。その直後には惜しむ声がたくさん上がりますが、しばらくすればみんな忘れます。大衆なんて薄情なもんですよ。次から次へと新たなスターが登場し、芸能界もテレビも何事もなかったかのように続いてきました。1年も経てば(もっと早いかな?)、松本さん不在のテレビにみんな慣れてしまうでしょう。仮に、このまま引退したとしてもなんの問題もありません。
この世に替えのきかない人なんてひとりもいないんです。もしもそんな人が歴史上ひとりでもいたのなら、その人の死とともに人類の歴史は終わってたはずです。
これは冷酷な事実ではなく、救いです。替えがきくからこそ、ある人の不在をべつの人が補える。人類は助けあって生きていけるんです。
性犯罪に無関心なテレビ局
一般視聴者に基礎知識がないため判断しづらい問題を取りあげるときは、問題に詳しい専門家を呼んで解説してもらう。これが一般的な手法です。コロナ禍では朝から晩まで感染症の専門家たちがテレビに呼ばれて解説してましたよね。地震の後には地震学者が出演して解説してます。
だったら今回の件でもすべてのワイドショーなどが、性犯罪を学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべきです。私もそういう人たちが今回の件をどう見てるのか、とても興味があります。
でも、そういう専門家がテレビに出まくってる様子はないんです。出演した番組があったとしても、その回数も出演時間もごくわずかでしょう。性犯罪被害者の弁護をしたことのない弁護士に一般論を述べられても、参考にはならないんですよ。
私も全然詳しくありません。性犯罪の学問的な研究書を2冊ほど読んだことがあるだけですが、それだけでも、性犯罪について抱いてた自分のイメージに「事実無根」の思いこみが多数あることを思い知らされました。
日本の性犯罪認知件数が欧米に比べて少ないのは、犯罪が起きてないからではなく、そもそも警察が性犯罪被害の訴えを門前払いしてしまうからであり、裁判にまでこぎつけるのは被害全体の2%くらいしかないなどといった、法治国家とは思えない実態があります。こんな現状を知ったら、なぜすぐに警察に被害届けを出さなかったんだ、なんて気安くいえませんよね。そういったことも含め、単なる芸能スキャンダルではなく、社会問題として扱おうとする姿勢がテレビから全然伝わってこないのは非常に残念です。
週刊誌という入れ物を叩く人たち
というわけで、私も『週刊文春』の記事を読んでみました。
週刊誌が完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください。週刊誌という入れ物にケチつけてすべてウソだとなじるのは、芸人は全員バカだからヤツらのいうことは全部ウソ、と決めつけるのと同じです。ちなみに私は図書館で読みましたので、売り上げには貢献してません。
過去に文春にスクープされたことを恨んでいて、ここぞとばかりに文春叩きをしてる人たちもいます。ホントに誤報で被害を受けた人ならともかく、自分の悪行を暴露された人までが便乗して叩いてるのは笑うしかありません。
過去の文春の誤報記事を並べて、いかにも週刊誌は信用できないという空気を作りたがってる芸能ライターもいますが、これはインチキに近いやりかたです。
週刊誌に誤報があるのは事実なので、鵜呑みにするのは禁物です。とはいえ、数件の誤報だけを抽出して週刊誌全体が信用できないと断じるのは、間違った論証です。ある一定期間のすべての記事のうちで誤報がどの程度あったのか、それを数字であきらかにしなければ意味を成しません。ジャニーさんを告発した記事は事実だったわけですし。
私は著書の執筆のために、明治時代から現在までのさまざまな新聞雑誌記事を大量に読んできました。ある事件を各雑誌がどう報じているかを比べる作業を何度もやってれば、どの雑誌に取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます。
『週刊文春』に関していえば、誤報もあるけど、雑誌そのものの存在意義が疑われるほどの量ではないと思います。なので鵜呑みにはせず、記事ごとに信憑性を判定すればそれでいい。
繰り返しになりますが、大事なことなのでいっておきます。犯罪の告発に関しては、これまでウソだったから今度もウソだという予断をもってはいけません。
女性側の主張の信憑性は?
ネット上には、松本さんがやってないことを証明するのは不可能だ、ないことを証明するのは悪魔の証明だ、なんて意見もありました。
どこでそんな愉快な考えを聞きかじってきたのか知りませんけど、今回の場合、犯罪被害を告発した女性側の主張にあきらかな矛盾や虚偽が認められれば、松本さんの潔白が証明されたとみなしてもいいので、悪魔の証明を心配する必要はありません。
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いまのところ松本さんはほぼ何も主張しておらず、女性側の主張のみが公開されてます。なので現時点では、女性の主張を一方的に検証して攻撃できる松本擁護派が圧倒的に有利なんです。
にもかかわらず、松本擁護派のあいだから、女性の主張内容の信憑性を崩す決定的な論は出てません。傾聴に値する決定的な反論があるなら、とっくのむかしにマスコミでも大きく取りあげられてるはずですが、そうなってないのは、松本擁護派が女性側の主張を突き崩せていないからです。
念のためにいっておきますが、あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。
さて、記事内容ですが、一読したかぎりでは、被害を主張する女性たちの主張内容にあきらかな虚偽や矛盾は見当たりません。先ほどもいったように、私だけが矛盾に気づかなかったわけではなく、松本擁護派の人たちからもまともな反論は出てないんです。なので女性側の証言を積極的に疑う理由・材料はないと判断します。
かたや、松本さんらの主張内容は、検討したくてもほぼないも同然です。その少ない主張内容のなかで、事実無根といったのに無根でないことが判明したり、会見はせず裁判で戦うといいながら、とうとう出たね、などと自分に都合のいい「キリトリ」のようなあいまいな言葉だけをSNSで流して相手を貶めたりと、法廷外での不誠実かつ疑わしい言動が目立ちます。
現状では、松本さん側の潔白を信じるに足る決定的な要素が何もないんですよ。一方で、被害を主張する女性のいいぶんはそれなりの量もあるし、否定する要素もありません。
ですから現時点では、女性側の告発を事実と仮定して、その真偽を検討していくしかありません。私は松本さんの記者会見をいまでも望んでますが、それについては最後に述べます。
携帯を取りあげる異常性
記事内容には、重要な点がふたつと、笑ってしまった個所がひとつありました。まずは重要な点から。
ホテルの部屋に入るなり、女性たちが携帯(スマホ)を没収されたという証言です。
ああいうのは普通の飲み会だと主張してる芸人がいますが、普通の飲み会で参加者のスマホを没収するなんてのはありえない行為です。スマホには個人情報が多数記録されてますし、金銭の支払い手段でもある、重要な個人の財産です。それを正当な理由もなく没収、取りあげる、あずかるという行為自体がすでに犯罪です。
芸能人の飲み会ではスマホを没収するのが普通なのですか? そんなことはないですよね。芸能人同士の楽しい飲み会の様子をスマホで写真に撮ってネットで公開してる例はたくさんあるじゃないですか。8年前であっても、むしろ楽しい飲み会だからこそ、みんなで写真や動画を撮って共有するのが常識になってたはずです。
万が一、隠し撮りされた画像や映像、音声が流出したとしても、恥じるところのない飲み会だったら、たいしたダメージを受けるはずがないんです。
つまりスマホを没収したのは、恥じるところがあったからです。証拠となる画像映像などを記録されたくないから。もしくは、警察に通報されるのを防ぐため。さらには、女性にすぐに逃げられないようにするため。犯罪を想起させる悪い理由しか思いつきません。
通常の飲み会で不愉快な行為を求められたら、怒ってすぐに帰ることができます。参加者にはその自由があります。でも密室に呼び入れられてスマホを没収されてる場合、帰る際にそれを返してもらわねばならず、すぐに帰れません。これだけでもかなり計算された悪意を感じます。
スマホを没収したのが事実なら、松本さんの側に、これからやろうとしてることが犯罪に該当するという自覚、悪意があったことになります。女性を密室に呼び入れ、スマホを没収した状態で、それを普通の楽しい飲み会だと主張するのは、一般常識としてムリがあります。
逆にスマホ没収が事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。この点はぜひ裁判でもあきらかにしてほしいところです。
もうひとつの罪・松本さんのパワハラ
『ワイドナショー』では今田耕司さんが、松本さんに女性を用意した小沢一敬さんらを文春が女衒と書いてるのはとんでもないといってました。
まあ、正確には女衒は女を女郎屋などに売り飛ばす商売のことなのですが、性行為目的で女性をあっせんする者を指す慣用表現としても使われてきたので、松本さんに女性をあっせんしていた後輩芸人を女衒と呼んだ文春の言葉づかいは間違いとまではいえません。
注目すべきは、今田さんが、こうした行為が日常的に行われていたこと自体は否定しなかったこと。つまりその点に関しては、文春の記事は事実であると認めたも同然です。
後輩芸人の小沢さん、黒瀬純さん、たむらけんじさんは、自ら進んでそんな役目を買って出たのでしょうか。それで自分もおこぼれにあずかっていたのなら、女衒どころか腐れ外道の称号を差し上げますけど、彼らの他にも、松本さんという絶対君主の意向に逆らえず、仕方なくやってた後輩が多いんじゃないかって気もします。
今田さんが文春を批判するのは筋違いです。自分の絶対的な地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともとんでもない人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。
ジャニーさんを批判できる人がいなかったのと同じ間違いが起きてたんです。芸人の世界はタテ社会だから後輩は何もいえない? だったら先輩はいえるはずでしょう。彼らは何をしてたんですか。
そんな怪しげな密室飲み会を何十回、何百回とやっていて、性行為は一切なかったと主張するのは不自然です。仮にそのすべてが合意の上だったとしても、自分に逆らえない後輩にそのための女性を用意させていたなら、松本さんのやったことは完全にパワハラです。その事実だけでもテレビ局のコンプライアンス的にはアウトです。
一般企業の社長が社員に、性行為要員の女性(もしくは男性)を用意するよう命じてた事実が判明したら、その社長は社会的信用を失い、辞任するしかないでしょう。
パワハラの加害者という事実だけで、テレビ局が松本さんを出演禁止にする十分な理由になります。それをやらずに、何のためのコンプライアンスなんですか。
芸人のみなさんは
「河原者」の時代に戻りたいのですか?
芸人の世界は特殊だから何をしてもいい、といういいわけは、もういまの時代には通用しません。芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が「河原者(河原乞食)」と呼ばれた時代の名残りです。
ビートたけしさんが芸人になったのは1970年代前半のようですが、家族には猛反対され、家に帰ってくるときは近所のひとに見られるなとお母さんにいわれてたそうですね。そのころでもまだご近所の庶民のあいだに、芸人を蔑む差別意識が強く残っていたことの現れです。
江戸時代には、歌舞伎役者まで含めた芸人すべてが一般庶民よりも下の河原者、被差別階級でした。一流の歌舞伎役者は大金持ちなのに、人間とはみなされなかったんです。おまえらが何をしようと勝手だが、お前らは人間以下の存在だ、と。
明治になって公式にはその地位は回復しても、差別意識は庶民の間に根強く残り続けます。歌舞伎役者の八代目・坂東三津五郎は、こどもの頃からお屋敷に住んで坊ちゃんと呼ばれてたのに、大正2年、小学校に入学したら河原乞食と呼ばれたとエッセイに書いてます。翌年に引っ越した家も15部屋もあるお屋敷だったけど、転校先の学校は「河原者」の子だけが通うぼろぼろの学校でした。
芸人のみなさんは、その時代に戻りたいのですか。セクハラもパワハラも見逃してもらえる代わりに、あなたの家族も差別されます。金があっても、自分のこどもを有名私立学校に通わせることなどできません。
私はそうなってほしくはない。すべての人が平等であるべきです。そのためには、芸人とて一般社会と同じルール、同じ常識に従わなければなりません。芸人の世界は特別だなんて思い上がりは、いますぐ捨てていただきたい。
合意の有無でなく、合意の中身こそが重要
記事で笑ってしまったところ。文春側は、記事掲載の前に松本さん本人を直撃し、事の真偽について確認を取ってます。いきなり不意打ちでスクープ記事を載せたのではないので、これはフェアなやりかたです。
で、その際に松本さんは「もう好きに書いてくださいよ」と記者にいってるんです。
松本さん、あなた合意してるじゃないですか(笑)。
松本さんは当初、事実無根だから戦うと宣言しましたが、その主張を繰り返してないところを見ると、いくつか性行為があったことは認めるが、合意の上だから問題ないとする戦法に切り替えたのだと思われます。
でも、合意があれば何をしてもいいのなら、「好きに書いて」と松本さんの合意を得た文春は、何を書いてもいいはずですよね。合意しておいて、あとから名誉毀損で訴えるなんて、ズルいよ~松ちゃん。
というのはもちろん冗談です。私のホンネは逆で、合意・同意を絶対視する考えかたに賛同できません。
合意があれば許されるというのなら、すべての詐欺事件は無罪になってしまいます。ダマされた時点では、被害者はみんな合意してるんですから。詐欺師が「えー、契約したときは、あんた合意してたじゃん」といえば、詐欺師は無罪ですか? そんなわけない。あとからでもダマす意図があったことを証明できれば、罪を問えるんです。
重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。本当に双方がすべて納得した上での合意だったのか。虚偽や脅迫、社会における力関係を利用した威圧などによる合意だったら、それは詐欺と同じです。あとから取り消せるのが当然です。
合意の有無でなく、合意の中身こそが重要
記事で笑ってしまったところ。文春側は、記事掲載の前に松本さん本人を直撃し、事の真偽について確認を取ってます。いきなり不意打ちでスクープ記事を載せたのではないので、これはフェアなやりかたです。
で、その際に松本さんは「もう好きに書いてくださいよ」と記者にいってるんです。
松本さん、あなた合意してるじゃないですか(笑)。
松本さんは当初、事実無根だから戦うと宣言しましたが、その主張を繰り返してないところを見ると、いくつか性行為があったことは認めるが、合意の上だから問題ないとする戦法に切り替えたのだと思われます。
でも、合意があれば何をしてもいいのなら、「好きに書いて」と松本さんの合意を得た文春は、何を書いてもいいはずですよね。合意しておいて、あとから名誉毀損で訴えるなんて、ズルいよ~松ちゃん。
というのはもちろん冗談です。私のホンネは逆で、合意・同意を絶対視する考えかたに賛同できません。
合意があれば許されるというのなら、すべての詐欺事件は無罪になってしまいます。ダマされた時点では、被害者はみんな合意してるんですから。詐欺師が「えー、契約したときは、あんた合意してたじゃん」といえば、詐欺師は無罪ですか? そんなわけない。あとからでもダマす意図があったことを証明できれば、罪を問えるんです。
重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。本当に双方がすべて納得した上での合意だったのか。虚偽や脅迫、社会における力関係を利用した威圧などによる合意だったら、それは詐欺と同じです。あとから取り消せるのが当然です。
松本さんが文春を訴えたのは、好きに書いていいというのは本当にすべて合意したわけじゃないからですよね。性加害を主張する女性も、本当にすべてを合意したのではなかったのではないですか。記事で証言されている、力関係による威圧や、外部との連絡手段を取りあげられるといった要素が事実なら、合意の上だから問題はないと主張するのは、やはり相当ムリがあります。
じゃあ合意の下で行われた一夜かぎりの性行為でも、あとから合意はなかったとして訴えられてしまう可能性もあるのか? と心配する人もいます。もちろんそうなる可能性はあるでしょうね。あなたが合意してたと思っていても、相手はそうじゃなかったかもしれないのだから。もし訴えられたら、弁護士立てて話しあえばいいだけのことじゃないですか。それを恐れるくらいなら、最初から危険な遊びはしないことです。
一夜限りの性行為が好きな人たちは、リスクも込みで冒険を楽しんでるんでしょ。よく知らない相手との一夜限りの性行為には、性病をうつされるリスク、美人局に引っかかるリスク、その行為が配偶者にバレるリスク、性犯罪として訴えられるリスクなど、さまざまなリスクがあります。ヘタしたら仕事や家族をすべて失う、リアル罰ゲームつきの大冒険。リスクとスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?
松本さんはそんなリスクの高い遊びを何十回、何百回と繰り返していたのだから、そりゃあ、いつかはバレて問題になりますよ。人間には口があるのだから、関わる人間が増えれば増えるほど、秘密が漏れる確率も上がります。すべてはリスクにまつわる単純な確率論の問題です。
そんなこともわからず、ずっと秘密にできると、浅はかな考えを持ってたのでしょうか。だとしたらそんな松本さんに同情する余地はないですね。長年のお楽しみのツケを払うときが来ましたよ、としかいえません。
やはり周りの誰かが、松本さん、あんた頭おかしいよ、と10年、20年前にいってあげるべきだったんです。
記者会見の提案
最後に私から松本さんに提案があります。本当に自分の潔白に自信があるのなら、いまからでも遅くないから記者会見をやってください。私は法律の専門家ではないけど、調べたかぎりでは、係争中にコメントや記者会見をすることを禁じる法律はないようです。
私が薦めたいのは、外国特派員協会で会見を開くことです。そう、ジャニーさんの被害者が会見したことで長年黙殺してきた日本のマスコミをようやく動かした、あの場をあえて使うのです。
外国人記者は、日本のマスコミのように忖度しませんよ。およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄の不正金脈を暴く記事が載ったとき、テレビも新聞も記事を無視しました。そんななか、外国特派員協会だけが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。外国人記者からの忖度なしの追及に耐えかねた田中角栄は、会見を打ち切って逃げました。翌日から欧米の新聞で田中の金脈問題が報道され始めたのを見て、弱腰だった日本のマスコミも、ようやく田中を追及し始めたのです。
外国人記者は松本さんをカリスマとも神とも思ってませんから、手加減なしにキビシい質問を浴びせてくるでしょう。ヘリクツや詭弁やギャグでごまかさず、正々堂々とそれを乗り切れたら、私も少しは松本さんを見直すかもしれません。