2015年8月15日土曜日

「戦後70年談話」 安倍首相の誤算と醜態

 14日に発表された安倍総理の70年談話には、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」などのキーワードこそ盛り込まれましたが、それは歴代総理談話の「引用」の形で「言及」したというだけのもので、全く魂のこもっていないものでした。
 
 毎日・朝日新聞などは「目立つ引用・間接表現」、「“お詫び”は歴代の表現を引用」と指摘しています。
 このスタイルは、彼が何よりも重視しているアメリカの意向には逆らえない(事前に米大統領府にチェックしてもらったという噂もあります)ものの、身内の日本会議のメンバーから酷評されることも何とか避けたいという苦心が行き着いた結果と思われます。しかしそんなことに腐心して出される談話にどんな意味があるというのでしょうか。
 
 現に継承されたはずの村山元首相は、安倍談話を「焦点がぼけていて、さっぱり何を言いたかったのか分からない。何をおわびしたのか不明確。出す必要はなかった」と酷評しました。
 村山氏の場合はただ1人で決然と魂のこもった明解な談話を作り上げて、それを自民党の全ての大臣に承認させました。そうであったからこそその談話は周辺国をはじめ国際的に高く評価され、その後久しく国内でも言及されてきました。
 
 安倍首相はそれを何とか「塗り変えよう」として70年談話を出すことにこだわった筈ですが、この意味の良く分からない安倍談話では、恐らく今後もまず誰も言及しないし、ましてや踏襲されることなどあり得ません。彼の目論みは完全に挫折したわけです。
 
 五十嵐仁・元大原社会問題研究所長のブログを紹介します。
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「戦後70年談話」に示された安倍首相の誤算と意
五十嵐仁の転成仁語 2015年8月15日
 安倍首相からすれば、ずいぶん不本意な談話だったのではないでしょうか。この内容なら出さなければよかったと思っているかもしれませんが、かといって出すと言ってしまった以上、出さないわけにはいかなかったでしょう。
 いずれにしても、安倍首相にとっては誤算続きの談話発表になったようです。同時に、村山談話をそのまま維持したくないという意地を通し、内容を薄めて未来志向を盛り込んだために長くなり、焦点の定まらない中途半端な談話になってしまいました。
 
 政府は昨日夕の臨時閣議で、戦後70年に関する安倍晋三首相談話を決定しました。首相はその後、官邸で記者会見してこの談話を発表しています。
 首相は談話で、先の大戦について「日本は進むべき進路を誤り、戦争への道を進んだ」と表明し、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」「植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と「侵略」「植民地支配」に言及しました。しかし、それは首相自身の言葉ではなく戦後日本の誓いとしての言及であり、首相自身が侵略をどう認識しているかについては触れず、韓国への「植民地支配」にも踏み込んでいません
 
 また、「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と指摘し、「こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」と述べました。「痛切な反省と心からのお詫び」という言葉はありますが、その主語は「わが国」であり、「反省」と「お詫び」の対象は「先の大戦」とされ、それが侵略戦争であったかどうかについては曖昧にされています。
 
 このように、村山談話にあった「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」などの「キーワード」は今回の「安倍談話」にも含まれました。新しい談話を出して村山談話を上書きし、その内容を換骨奪胎しようと考えていた当初のもくろみからすれば大きな後退であり、安倍首相の周辺やネトウヨ的な支持者は挫折感を味わっていることでしょう。
 このような形で「安倍カラー」を抑制せざるを得なかったのは、首相にとっては大きな誤算だったにちがいありません。その結果、新たに談話を出した意味がほとんどなくなってしまったのですから……。
 当初、15日に出すとされていた談話の発表についても一日前の14日とし、閣議決定はしないつもりだったようです。それは、首相個人の思いを全面的に開陳して村山談話を覆すような新談話を発表したいと考えていたからです。
 
 しかし、周辺諸国などの警戒感や公明党の反対、安保法制審議への影響や反対運動の高まり、そして何よりも内閣支持率の急落によって、このような首相の思惑は頓挫することになりました。周辺諸国に喧嘩を吹っ掛けるようなひどい談話にさせず、首相の誤算を招いたのは内外の世論の力です。
 安倍政権の暴走に対する反対運動の高揚が生み出した大きな成果でした。新国立競技場建設計画の見直し、沖縄での新基地建設工事の一時中断、そして今回の「70年談話」と、安倍首相は世論に押されて譲歩せざるを得なかったのですから……。
 今回もまた、民意の力がいかに大きなものであるかが示されたと言えるでしょう。これに続いて「戦争法案」についても民意の力で押し返し、廃案に追い込むという第4の成果を上げたいものです。
 
 とはいえ、今回の談話でも安倍首相はそれなりの「意地」を示しました。「侵略」「植民地支配」などの言葉はあっても、それを首相自身の歴史認識として示すことは巧妙に回避し、「反省」と「おわび」についても「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」として自ら「おわび」する形にはせず、将来の日本人に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との表現も組み込んでいます。
 
 中国への配慮を随所に盛り込んでいますが、韓国への言及はほとんどありません。従軍慰安婦という言葉はなく被害女性の人権侵害についても、日本が行った犯罪行為としてではなく戦時下における一般的な問題として言及されているだけです。
 また、村山談話にあった「植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」という部分は引用しませんでした。「植民地支配」も「永遠に決別」と位置付けました」が、韓国への「植民地支配」には踏み込んでいません
 
 戦後50年に当たって談話を発表した村山元首相は、この安倍談話について「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小(わいしょう)化されて不明確になった。植民地支配や侵略などの言葉をできるだけ薄めたものだ」と批判しました。村山談話が継承されたという認識は「ない」とし、「長々と言葉に配慮し、苦労して作った文章だというのが第一印象。しかし最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と述べています。
 また、安倍談話が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした点については「(政府の姿勢を)はっきりさせれば謝る必要はない。安倍首相が最初から(村山談話を)継承すると言えば、それで済んだ。本来なら談話を出す必要はなかった」と反論しました。
 
 これまで謝罪を繰り返さざるを得なかったのは、安倍首相やその周辺の政治家のように、それを否定して加害責任を曖昧にしようとする言動が繰り返され、誤解を招いてきたからです。今回の安倍談話についてもきっぱりとした反省と謝罪とは言えず、中国や韓国がどう反応するかが注目されます。
 
 未来志向と言うのであれば、過去の問題を解決することを避けてはなりません。自らが犯した過ちをはっきりと認め過去の罪を償うことからしか、新たな未来は生まれてこないのですから……。