全日本おばちゃん党が「戦後70年談話プロジェクト」で、「戦後70年談話」を出しました。勿論関西語ベースです。
その新潟上越地方バージョンが新たに出されました。
全て直接話法、引用は皆無(勿論引用の全てが悪いわけではありませんが)で、論旨は明解、何よりも実に魂のこもったものです。
オリジナル版は13日に出されているので、閣議決定などしている暇があったら何故これを鑑にしなかったのかとイカリを覚えます。
もしも上越地方語が分かりにくい人は、下記のオリジナル関西語版を参照下さい。
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全日本おばちゃん党 戦後70年談話プロジェクト
(おくにことば新潟上越地方バージョン)
第二次世界大戦が終わってから、70年がすぎてしまったなゃ。
戦争で失わんちゃったすべての命に、心の底から哀悼の意をしめさんくちゃいえげんなや。
おらちの子もおまんたちの子も、戦争には出さね。
いろんな背景を持ってる、おらバサやかあちゃは、このひとつの想いのもとに集ったんだわゃ。
こねだの戦争では、おらたもいっぱい間違いを犯してしまった。
日本は正しいと信じて、「国防婦人会」としてお国の策に協力しちゃったし、「隣組」として近所同士で監視し合って、兵隊さんに千人針も縫って、慰問袋もせっせと作ったんだわゃ。
なんかおかしいなゃと思ったときも、おっかなくって黙ってしまった。
ほんとうは戦争なんか行がんでほしかったけも、父ちゃんや息子、男の人らを万歳三唱で送り出してしまった。自分らが殺されるかもしれんなとは思ってたけも、よその国に行ってよその人を殺してくることにまでは、思いが至らんかったなぁ。
日本軍は男しょだけじゃねくて、女しょも戦地に駆り出したんだわゃ。なかには、ご本人の気持ちに反して、兵隊さんの性欲なんかを満たすために利用されていた女の人もいたんだってや。戦時であれ、平時であれ、性暴力は決して許さんねなぁ。おらたちは、「従軍慰安婦」と呼ばれたその女の人たちが、戦争が終わった後も苦しみ続けてることに、心から謝りたいという気持ちでいっぱいなんだわゃ。
ほんでな、おらたちは、沖縄戦のえげつなさ、占領下の苦しみ、ほんで今に至る軍事基地の状況さえも、どっか他人事のように捉えてきてしまった。沖縄の人らの叫びに、今でも鈍感なんかもしれんって自分を省りみんくちゃえげんな。
日本はヒロシマ、ナガサキへ原爆を落とされた体験をした国だすけ、核兵器は未来永劫つかわれることがないよう、「過ちは繰り返しません」と世界に向けて発信してきたんだで。でもなその一方で、核の平和利用だせって、原子力発電の開発を進めてきちゃったんだわゃ。その始末として、2011年の東日本大震災は、福島第一原子力発電所のでっけ事故を伴って、いまだにお家に帰らんね人たちや、目に見えねえ放射線の影響に怯えてる人たちがいっぺごといるのは、ほんとにえらいことって心配してるんだわゃ。
おらたちは、日本が戦争に向かってぐのを止めねかった。
日本の戦争責任は、おらたち自身の問題だなぁ。「ほかの国もやってたんだし、日本だけが謝るのはおかしいわ」なんていっくら叫んだところで、日本がやってしまったことに対する罪はなしにはできねわな。傷ついたよその国の女しょが、「もういいすけ」とせってくれるまで、「悪かったねや。勘弁してくんなぇ」の気持ちを持ち続けんくちゃえげんと思う。
女しょは、こねだの戦争で大きな代償を払って、いろんなことをわがった。女しょは、国が戦争に向かうときの空気とか、戦争が何をもたらすかってことば、もう知ってるんだわゃ。もう二度と戦争はしね。心底実感したその想いを受け継いで、おまんた次の世代にも繋いでいごさ。それこそが、こねだの戦争で尊い命を落としたしょへの弔いになるんだねかや。
ふんださけもう、この国のことを人任せにしねで、女しょが知恵を絞ろさ。自分らで学んでさ、考えることば放棄しねぇ。戦争したがるオッサン政治には、同じ想いの女しょでも男しょでも一緒に立ち向かっていごさ。次の世代を生きる若いしょに「なんであのとき止めてくれへんかったん?」なんて言わしちゃえげん。
今も世界で戦争や紛争に苦しむ人らのためにも、知恵を絞り、女しょらしくお節介な行動ばしていごさ。
二度と戦争には関わらね、戦争を避ける道をあきらねこと、ここに誓う。
おらちの子もおまんたの子も、戦争には出さね。
戦後70年の夏に全日本おばちゃん党一同