ワシントン・ポスト紙が15日に、「安倍首相は、もしオバマ大統領が先制不使用宣言をすると北朝鮮などへの核抑止力が損なわれ、紛争の危険が増大するという考えを米国太平洋艦隊のハリス司令官に伝えた」と報じたことに対して、安倍首相はそんな発言はしていないと必死に否定しました。
ハリス氏にそう伝えたかどうかはともかく、安倍氏を含む日本側の関係者が米国に対して、核の先制不使用宣言をするなどはとんでもないことだと必死に反対したことは事実です。
一体「核の先制不使用宣言」をすれば、本当に核抑止力は失われるものなのでしょうか。多くの人が安倍氏らの感覚に違和感を持った筈です。
その問題について元外交官の美根慶樹氏が、簡潔で明快な回答をTHE PAGE紙に寄せていますので紹介します(美根氏のプロフィールについては記事の末尾を参照ください)。
同氏の論文はこれまで2回紹介しましたが、いつの場合でも簡潔で明快な表現がされているので十分に納得することができます。
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オバマ大統領が検討する「核の先制不使用」 抑止力は下がるのか?
美根 慶樹 THE PAGE 2016年8月28日
米国が検討しているという核兵器の「先制不使用」宣言。「抑止力」の問題などが取り沙汰されていますが、どう見るか。元外交官で国連軍縮大使を務めた美根慶樹氏に寄稿してもらいました。
広島訪問を踏まえて検討か
最近、米国のオバマ大統領が核兵器の先制不使用宣言を行うことを検討しているということが判明し、日本政府は米国政府に対し、そのような宣言を行うことについての懸念を伝えたという趣旨の報道がありました。
「核の先制不使用」とは、核兵器を相手国より先に使用しないとする政策です。相手国と言うのは、通常、紛争の相手国という意味です。
オバマ大統領はさる5月末、米国の大統領として初めて被爆地、広島を訪問しました。その際の演説では、罪のない人々が犠牲になったことに触れつつ、「広島と長崎は道徳的に目覚めることの始まり」と述べ、「核のない世界」を追求していく考えを示しました。
核の先制不使用宣言は広島訪問を踏まえて検討されるようになったと思います。オバマ大統領は来る国連総会でその考えを表明することを考えていたようです。
安倍首相は米紙報道を否定
先制不使用宣言の構想に関し、米国のワシントン・ポスト紙は8月15日、「安倍晋三首相は、もしオバマ大統領が先制不使用宣言をすると北朝鮮などへの核抑止力が損なわれ、紛争の危険が増大するという考えを米国太平洋艦隊のハリス司令官に伝えた」という趣旨を報道しました。
しかし、その後安倍首相は、ハリス司令官との間で「核先制不使用についてのやり取りはまったくなかった。どうしてこんな報道になるのかわからない」と記者団に述べ、ワシントン・ポスト紙の記事を真っ向から否定しました。
なお、安倍首相が7月26日、ハリス司令官に会ったことは公表されており、その会談内容の発表には先制不使用宣言に関する言及は含まれていませんでした。真相はどうだったのか、検証していけばさらに詳しい事情が見えてくるかもしれませんが、残念ながらこの種の会談においては必ずしも全貌が見えないままになることがあります
核を「使わない宣言」ではない
核兵器の先制不使用宣言は過去に若干の例があります。中国は1964年に初めて核実験を行った時からこの宣言を行い、その後、一貫してこの方針を維持しています。ロシアも一時期先制不使用宣言をしていましたが、現在はそのような政策ではありません。いずれも防御的姿勢を強調するための宣伝でした。
米国は、核についていつ、どのような状態で使用するかなど明確にしなことを基本方針としており、先制不使用の考えはとっていません。
しかし、先制不使用宣言にどれほどの意義があるか、多くの専門家、研究家の間では疑問視されています。たとえば、宣言をするのとしないのではどのくらい違うでしょうか。先制不使用は相手が核攻撃を開始しない限りこちらからは核攻撃しないということで、言葉の上では明確かもしれませんが、宣言でいう「開始」といっても簡単でありません。「開始」は「発射」と考えてよいでしょうが、核搭載ミサイルの発射か、発射命令か、発射準備かで発射時点は違ってきます。超高速度のミサイルにとってこの差は大きな違いです。また、実際に核戦争になったとしてもどの国も決して「先に核攻撃した」とは認めないでしょう。
米国が先制不使用宣言をすれば抑止力が低下するというのは物事を過度に単純化しており、思い込みに過ぎません。宣言をしてもしなくても重要なことは米国が核を使うかもしれないということであり、このことが変わらない限り、抑止力に変化はありません。先制不使用宣言をすると抑止力が低下するのであれば、中国の核抑止力は他の核保有国に比べて低くなりますが、そんなことはないでしょう。
日本は核兵器に世界で最も敏感な国です。核の先制不使用宣言をするべきでないということにこだわると、日本は核兵器の使用に最も積極的だと誤解されて伝えられる恐れがあり、核軍縮に積極的に取り組んでいる日本の立場は損なわれるでしょう。本来それは不正確な報道だったかもしれませんが、そのような危険は現実に起こっています。その観点からも先制不使用宣言を抑止力の低下に安易に結び付けるのは問題です。
■美根慶樹(みね・よしき) 平和外交研究所代表。1968年外務省入省。中国関係、北朝鮮関係、国連、軍縮などの分野が多く、在ユーゴスラビア連邦大使、地球環境問題担当大使、アフガニスン支援担当大使、軍縮代表部大使、日朝国交正常化交渉日本政府代表などを務めた。2009年退官。2014年までキヤノングローバル戦略研究所研究主幹