米統治下の沖縄で圧政に抗議する姿勢を貫いた政治家・瀬長亀次郎の名前は年配の人なら大抵知っていますが、映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が、沖縄で上映された時には、8月の公開初日 映画館の入口に100m以上もの行列ができたということです。それはいまもなお瀬長亀次郎が比類のない沖縄の英雄であることの証です。
昨年8月、TBSで亀次郎に関するドキュメンタリー番組を放送した時にも、深夜の49分間ものであったにもかかわらずものすごい反響があったということで、それがディレクターの佐古忠彦氏を映画化に取り組ませるきっかけになりました。
佐古氏は映画化に当たっては瀬長亀次郎が獄中で綴ったノート200冊に及ぶ日記に目を通しました。
日刊ゲンダイが佐古氏にインタビューしました。
「最低でも県外」を目指した鳩山由紀夫元首相は沖縄では評価されているとし、ぜひ本土の人にも見てほしい、そして本土の人も沖縄の基地問題を身近な問題として捉えてほしいと訴えています。
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注目の人 直撃インタビュー
沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も見てほしい」
日刊ゲンダイ 2017年9月11日
先月公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる。米統治下の沖縄で圧政に抗議する姿勢を貫いた政治家・瀬長亀次郎にスポットを当てたドキュメンタリーだ。8月12日に沖縄で先行上映されると、公開初日は100メートル以上続く行列ができ、定員300席が満席になった。監督は「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、沖縄の基地問題の取材を20年以上続けてきた佐古忠彦氏だ。
――どうして“カメジロー”を取り上げようと思ったのですか?
瀬長亀次郎は今も紛れもなく沖縄のヒーローなんです。戦後、沖縄人民党の結成に参加した彼は、琉球政府創立式典でひとりだけ宣誓と脱帽を拒み、米軍に目をつけられ、1954年10月に投獄されます。刑期を終えると、56年12月に那覇市長に当選しますが、再び米軍によって強引に失職させられてしまう。しかし、彼は不屈の精神を忘れなかった。米軍統治下の圧政に対し、闘い続けました。
――不屈の人ですね。
戦後初の沖縄選出の衆院議員として当時の佐藤栄作首相に堂々と国会論戦を挑みました。演説がバツグンにうまく、ユーモアと方言を交えた米軍糾弾に沖縄県民は拍手喝采しました。演説会があると、家族総出で「今日は亀次郎があるよ」と、イベントみたいな感じで喜んで出かけたというから相当なものですね。稲嶺恵一元沖縄県知事も「高校生のころの憧れの人」とファンであることを公言しています。
――昨年8月、TBSで亀次郎に関するドキュメンタリー番組を放送した時に、ものすごい反響があったことが映画化のきっかけだと聞きました。
深夜の49分間の番組だったのですが、数えきれないほどのメールと手紙で励ましや感想をいただきました。
――今度は映画が沖縄でも反響を呼んでいます。
3年前の沖縄県知事選(2014年11月)で保革の構図が崩れてからの沖縄を取り巻く「空気」が、亀次郎が活躍した60年前と似ているのかもしれません。
――具体的にどんなところでしょう。
前知事の仲井真弘多さんが辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことによる市民の怒りが、翁長知事の誕生につながったわけです。この時、私は沖縄で取材をしていました。亀次郎が言っていたことのひとつに「小異を捨てずに大同につく」というものがあります。それぞれ異なる考えは持ちつつも、ここぞというときにはひとつになりましょうという意味です。もちろん、「瀬長亀次郎=翁長知事」ではありませんが、“オール沖縄”や現代の県民大会の原点が亀次郎の時代にあり、そのころの空気は、今にそのまま受け継がれているんじゃないでしょうか。
――亀次郎みたいな政治家が今いれば、国会ももっと面白くなるでしょうね。
亀次郎は権力に堂々とモノを言い、立ち向かいました。佐藤首相との国会論戦でもひるむことなく対峙し、さまざまな答弁を引き出しました。時の総理を同じ土俵に引っ張り出し、時にタジタジにさせる様子を見て、沖縄の人には胸にストンと落ちるものがあったのだと思います。最近の国会を見ていると、亀次郎のように軸がブレず、人心をワシ掴みにして、「よくぞ国民の気持ちを代弁してくれた」と拍手喝采されるような政治家が見当たりません。亀次郎みたいなブレない政治家はこの国でも求められているのかもしれません。
――亀次郎を通して沖縄の戦後史を描けば、なぜ、沖縄の人が基地問題に声を上げ続けているのか、本土の人にも分かってもらえるかもしれないと考えたそうですね。
報道番組に20年以上携わってきて、基地問題の理解について、沖縄と本土で大きな隔たりがあることをもどかしく感じてきました。沖縄でなぜ辺野古移設に反対の声が上がるのかがよく分からないまま、反対運動を批判する人も見受けられます。辺野古をめぐる国との裁判で、翁長知事を裁判所へ送り出すとき、熱い“翁長コール”が起きるのを不思議に見ている人もたくさんいるのではないでしょうか。こうした基地問題の全体像を広く多くの人に伝えるには、映画という手法がいいのではと思い、会社(TBSテレビ)に企画書を提出しました。
――映画化にあたってどんな取材をしましたか。
映画初監督といっても、基本的に自分と沖縄在住の音声マンとカメラマンの3人での追加取材と撮影が中心。週末を使って沖縄と東京の行き来を繰り返しました。
――新事実はありましたか?
公文書館にある米軍の秘密資料を読み直したり、亀次郎の次女で民衆資料館「不屈館」館長の内村千尋さんにインタビューしたり、亀次郎が獄中でつけたノート200冊に及ぶ日記の読み直しが中心でした。改めて実感したのは、沖縄を取り巻く状況は何ひとつ変わっていないということです。
――亀次郎の日記には「祖国復帰」という単語がたくさん出てきます。
占領下の27年間、亀次郎がどんな思いで復帰を望んでいたかをヒシヒシと感じました。最近、沖縄独立論を時に耳にします。あれだけ祖国復帰を求め続けた沖縄県民が、ようやく帰った先はどうだったのか。1995年に米兵による少女暴行事件が起き、沖縄県民の間にくすぶっていた感情が爆発しました。その後、今に至るまで、民主党政権が誕生するなどの変化はあったものの、基本的な構造は何も変わらず、沖縄の人は不条理を感じ続けています。
――それが沖縄での映画のヒット要因ですか。
先行公開された沖縄では「亀次郎さんを取り上げてくれてありがとう」「亀次郎さんに会いに来た感じがした」とお礼をいただきました。亀次郎は今も沖縄で愛され続けているし、映画のテーマは昔話のようでいて、今日性があると思います。
■「最低でも県外」の鳩山元首相を評価
――普天間基地の県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫元首相に対する評価も本土と沖縄ではまるっきり違うそうですね。
「最低でも県外」と言ったことでメチャクチャな言われ方をして首相を辞任した鳩山さんですが、沖縄では評価する声が今もあります。県外移設を果たせなかったことを残念がる人がいる一方、「あそこでああ言ってくれなかったら、今ごろもう辺野古に基地ができていただろう」と言う人もいます。基地問題を本土の問題として引き上げ、一石を投じてくれたということなんだと思います。
――映画は東京・渋谷で上映され、大阪、横浜、仙台、福岡など全国で順次公開されます。
米国の本土での占領体制が終わると、朝鮮戦争の後方部隊として岐阜と山梨に置かれていた海兵隊の基地は、占領下に置かれていた沖縄に移りました。それは本土で激しい反対運動が起きたためです。結果的に沖縄に負担を強いる措置だったことを忘れないでほしいですね。ぜひ本土の人にも見てほしい。
――基地問題は沖縄の問題だけではないと。
当然だと思います。羽田空港を離着陸する民間航空機が、横田基地の米軍の空域を避けて迂回するために、どれだけ高額な燃料代がかかったり、飛行ルートの制限を受けていることか。亡くなった筑紫哲也さんはよく「日本は独立国なのに、なぜ、他国の軍隊がいまだに駐留しているのか」と言っていました。だったら米軍を日本から撤退させればいいのかという安全保障の問題になるわけですが、それがゴチャ混ぜになって主権を回復していったのが1950年代の日本。そこに踏み込み過ぎると隘路に入って極めて難しい議論になってしまうのですが、本土の人も沖縄の基地問題を身近な問題として捉えてほしいですね。 (聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)
▽さこ・ただひこ 1964年生まれ。96~2006年、「筑紫哲也NEWS23」サブキャスター。「Nスタ」「報道LIVEあさチャン!サタデー」などに出演。映画はユーロスペース(渋谷)で上映中。9月16日から第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)で順次公開。