2017年9月8日金曜日

前原新代表は「野党協力」の意義を理解しているのか

   9条改憲と消費税率のアップを主張し、小池百合子氏との連携の可能性は隠さないものの共産党との共闘には反対する前原氏が民主党に新代表に選出されました。前原氏に比べれば政策的にはるかにマシな枝野氏が善戦したのがせめてもの慰めです。
 もともと前原氏は党内の最右翼と言われてた人なのに、そんな人間を党首にして党勢が拡大するとでも思ったのでしょうか。民進党は本当に理解しがたい党です。尤も9条改憲については党首選では全く触れなかったということですが
 前原氏は共産党と決別した方が民主党の支持者が増えると考えているようですが、それは現実から遊離した妄想です。
 野党共闘に背を向けて小池氏との連携に期待するようでは、最終的に民主党は死ぬことになると高野氏は述べています。
 そういえば旧民主党では、いくら選挙で惨敗を繰り返しても幹部たちは決して責任を取らずに何年経っても全く同じ顔ぶれでいるのも有権者から愛想をつかされた一因でした。もしも来るトリプル補選で惨敗するようなことがあれば、前原氏は直ちに責任を取って辞任し党も分党するなりして解党的出直しをするべきでしょう。

 小林節氏の「打倒自公政権で証明済み 共産党抜き野党共闘はあり得ない」も併せて紹介します。
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 永田町の裏を読む
前原新代表は「野党協力」の意義を理解している
高野孟 日刊ゲンダイ 2017年9月7日
 前原誠司が民進党の代表に選出されて、先走りが大好きな永田町情報通たちの関心は、小池百合子東京都知事が国政に乗り出して「日本ファースト」とかの新党で打って出てきた場合に、かつての細川護熙=日本新党で初当選同期という縁のある前原が手を組むのではないか、といったところに注がれている。しかし、私に言わせればこれは戯言である。

 前原にとって最大の試練は、気息奄々の安倍政権に最終的に引導を渡して、政権交代を実現できるような明確な理念・政策を打ち出せるかどうかであり、またそれを軸にして共産党を含む野党と協調し、統一候補を押し立てられるかどうかである。

 前原はこの代表選を通じて、改憲論すなわち(安倍とうり二つの)9条3項加憲論を封印集団的自衛権容認論も一切口にすることなく、党内リベラル派からの批判が出るのを回避した。しかし、小池は明々白々の改憲派であり、国会議員時代には右翼的な「日本会議・国会議員懇談会」の副幹事長や副会長を務めてきた
 仮にも前原と小池が結べば、小池が前原の隠された本音を引き出す形になって、手に手を取り合って剣呑な方向に転がり込んでいくだろう。これでは安倍改憲路線への対抗軸になるどころか、大政翼賛会のようなことになって、民進党は死ぬ

 その半面、共産党を含む野党選挙協力については、前原からは「やらないでもない」という程度の曖昧なメッセージしか聞こえてこない。彼は「理念・政策が一致できなければ一緒にやれない」と繰り返し述べているが、そもそも改憲、集団的自衛権、辺野古、脱原発、消費税など重要課題をめぐって民進党自身の理念・政策がはっきりしていないのに、人さまに向かってそんな偉そうなことが言えるのか。

 さらに、そもそも「理念」まで一致するならひとつの党になってしまえばいいわけで、理念が違っても「当面の中心政策」で一致すれば選挙協力もできるし、その先で連立政権を組むこともできる。これを「最小限綱領」による一致といって、統一戦線論のイロハだが、こういうことも前原は理解していないようにみえる。

 それで、もし野党協力をやらなくて、例えば、目前の10月衆院トリプル補選をどうやって最低でも2勝1敗、できれば3戦全勝して一気に安倍政権を追い込むことができるのか。妙案があるなら聞かせてほしい。逆にこれが全敗か2敗なら前原は早々に引責辞任だろう。

 高野孟  ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。


打倒自公政権で証明済み 共産党抜き野党共闘はあり得ない 
ここがおかしい 小林節が斬る!
小林節 日刊ゲンダイ  2017年9月5日
(阿修羅より転載)
 民進党の新(?)代表が決まった。誰に決まっても同じだと思うが、これで、次の総選挙に向けた「野党共闘」の議論と駆け引きがまた始まることになる。

 所与の条件として、小選挙区を中心とした現行の選挙制度の下である限り、本気で自公政権を倒そうとするならば、全野党が小異を捨てて全小選挙区で候補者を一本化するしかない。その上で、各選挙区にとって最も魅力的な候補者を立てるべきであり、それで勝てるはずだ。それは、最近行われた仙台市長、横浜市長、茨城県知事の各選挙でも証明されたではないか。

 にもかかわらず、これまで最大(?)野党である民進党が、共産党と協力することに露骨に消極的であった。多くの幹部から直接聞いた話は、要するに、「共産党が民進党候補を支援してくれるのはありがたい。しかし、政権を奪取しても共産党は参加させたくない」という本音である。自分が共産党員であったなら、こんな失礼な話にはバカバカしくて乗れるはずがない。要するに、「選挙には協力しろ。しかし、勝っても仲間とは認めない」という話である。

 少し理屈っぽい民進党議員は、「共産党は暴力政党である」などと真顔で言う。確かに、帝政ロシアという暴力政府を銃で倒したレーニンの党に倣って設立された世界中の共産党は、歴史的には暴力政党の系譜ではある。しかし、今日、大日本帝国憲法の焼き直しのような新憲法草案を公式に掲げ、自党に好意的でないメディアを威嚇し、友好的言論人の強姦事件を警察を使って揉み消そうとする政権政党のどこが「暴力的」でないのか?

 今問われているのは、国民の幸福を増進すべき政治が、国民の幸福の条件である自由・豊かさ・平和を真に支えているか? である。森友・加計問題で明らかになったように、国を私物化したと疑われた政権が主権者国民の知る自由を阻んでいる。アベノミクスは私たちを豊かにしてはいない。専守防衛を捨てて米国に軍事協力することは平和への道になってはいない。これをどう突破するかである。
 そのような状況の中で、今、共産党は国民の役に立つ戦いをしているではないか。