千葉雅也氏は気鋭の哲学者で大学教授、小説家という3つの顔を持つ人ですが、ここで語られていることはとても常識的で、それだけに奥が深いという感じを受けます。
先ずはご一読ください。
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注目の人 直撃インタビュー
千葉雅也氏「コロナ禍で非常事態に慣らされた。さらなる管理社会化への進展を警戒せよ」
日刊ゲンダイ 2023/01/10
■千葉雅也(立命館大大学院先端総合学術研究科教授)
気鋭の哲学者で大学教授、小説家という3つの顔を持つ。窮屈な管理社会を生きる現代人に向けた究極の入門書「現代思想入門」(講談社現代新書)は10万部を超えるベストセラーとなった。時代を鋭く分析するこの人に、コロナ禍の社会、生き方、知的世界についてとことん語っていただいた。
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──新型コロナウイルス流行からの3年間をどう受け止めていらっしゃいますか。
今はウィズコロナとか言いますけど、ゼロにはできないわけで、感染の可能性がある中で生活と経済を回していかなくてはいけない。それは仕方がないとしても、ニューノーマルという言い方、新しい生活習慣、新しい標準であるかのような言い方がされ、カラ元気みたいな雰囲気があります。そうした状況に僕はずっと疑問を持っています。
──どういったところにですか。
もちろん、今の状況で適切な対応はしなくてはならないですけど、コロナ前に比べて特別な状況になったという意識をどこかで持っていないといけない。この間なされた行動制限、急ごしらえなワクチンを使うということ、これらは緊急措置なのであって、それが普通のことではないんだと思い続ける必要があると思います。
──この間の社会の変容についてはいかがですか。
コロナ以前からネットとデータ管理の発達によって、締め付けが厳しくなっていくという変化は起きていたのですが、(コロナ禍になって)管理をより進めたい人には好都合な状況になり、管理社会化が一気に推し進められたと思っています。以前は、自分と他人の境界線の、ある種の曖昧さを許すようなところが多かった。それがどんどん個人主義化が進んでいき、私的所有のこだわりをより強めるような方向に進んでいった。人に迷惑をかけるな、かけられたくないという意味では、倫理的、道徳的には必要な動きかもしれないけど、同時に、それは資本主義的であり、財産を目減りしないようにという発想になっていった。健康も財産だという発想が強まり、長く生きていた方が得だという、人生の時間までもある種の財産として捉えられるような時代になってきたわけです。
■強権発動求める声、戦争を忘れたのか
──行動制限や規制に関して、上からではなく国民の側から強い措置を求める声も出ました。
それが結構驚きでした。しかも、ある種リベラルな政治傾向を持つ人たちから国の強権発動を求めるような声が出てきたりして、なんだ戦争のこと忘れたのか、と言いたかったですね。
──敗戦から80年近く経ちSDGsとか多様性が叫ばれているのに、なぜ再びそんな事態が起きたのでしょうか。
もう戦後っていう時代認識が、世代交代によって薄れてしまったということじゃないですか。僕なんかは祖父母が空襲で逃げた世代なので、戦争になったらいかに逃げるかという発想は聞いているわけですよ。ウクライナの問題でこんなことがありました。ある大学教授がテレビの報道番組で「もし、そこに自分の学生がいたら、隠れても逃げてもいいからとにかく生き延びろと言う」などと発言したところ、ネットですごい批判が出た。一丸となって戦えというわけです。祖国を守るという点で難しい問題ですが、これも、さっきの戦争を忘れたのか、という話なんです。逃げろというのは、当然、出てくるべき意見なんですよ。
──コロナ禍はまだまだ続きそうです。
この間、我々は非常事態に慣らされてしまった。それ以前だったら考えられなかった管理を受け入れてしまう準備が整ってしまっている。このことに自覚をもって、さらなる管理社会化の進展に警戒をしなければいけないと思います。
──ウクライナの問題にしても、その背景をどう読み取っていくことが重要だと思います。それは社会全体に言えることで、背景には哲学、宗教、歴史、科学などいろんなモノが絡み合っています。
何か対立が起きているときに、Aにつくか、Bにつくかという結論を急ぐのではなくて、なぜ、その対立が生じているのか、それを突き詰めて考えることが大切です。そうした考察は一歩引いたものだと言えます。今日では結論を出すことばかりが優先されています。哲学に限らず学問全般の重要なところは、いかに良い結論を出すのかということではないということです。特に哲学というのは、状況を引いた視点で捉えて、結論が単純に決められないような複雑な背景を探ろうとする、そういう精神性を持っているものなんですね。
──そうした姿勢は、個人の生き方にも欠かせないということですか。
その通りです。自分の人生を振り返り、今後を考えるときにもそうだと思うんですよ。つまり、何が正しかったのか、これからどうするのがベストなのか、という短絡的なことではなくて、自分の経験の複雑な絡まり合いのなかで、どういう価値が発酵してきたのか、そういう複雑なところを見ることで、初めて今から自分にできることがだんだん見えてくる。自分の人生に対しても自分自身を引いた視点を取る必要があるわけです。
■一歩引いて見つめ直す「自分剥がし」を
──ミドル世代、シニア世代には重要かもしれません。
そうすると、意外なところに自分のこだわりがあったりします。今の自分にしがみついていると出てこない。一回、自分自身から、いわば「自分剥がし」をするべきです。自分探しよりも自分剥がしこそが必要ですね。
──自分剥がしをしていくなかで、本物の知力を身に付けていくことも必要かと思います。
やはり、そういうときに大事なのは読書ですよ。ネット上には、人をいろんな方向に扇動するような情報があふれています。紙の本がどんどん売れなくなっているといいますけども、そういう時代だからこそ、信頼できる専門家なり著者が書いた本を参考にして、自分のまだ開発されていない部分を掘り下げていくのです。それをぜひ、お勧めしたいですね。紙メディアを見直すべきです。
■「大学教員」「哲学者」「小説家」が相乗効果
──大学の教授、哲学の研究、作家としての創作、これらの活動をどういう感覚で捉えていますか。
どの仕事もつながっていると僕は思っています。僕は研究者ですが、教育活動が好きなんです。自分自身がどういうふうに勉強してきたかというのは、「勉強の哲学」(文芸春秋)という本にまとめられていますけど、ちょっとしたアドバイスというか、考え方を広げてあげられるようなアプローチで、人ができることの幅を広げる。そこにとてもやりがいを感じます。
──教えることの魅力でしょうか。
自分が人に教えていることによって、自分がまた教えられているんですね。自分が柔軟になっていくわけです。学生が言ったことに教わることもいろいろあるし、コミュニケーションの中で自分の考え方もさらに柔軟になり、小説を書くことにもつながっていく。
──3つの仕事が連動し、相乗効果をもたらしているわけですね。
そうです。教育で人を柔らかくする、そうすると跳ね返って自分も柔らかくなる。で、書けることも広がり、小説も書くことになる。書くこともね、いろんなことを書けるようになりたいわけですよ。小説の仕事を通して、言葉を使える範囲がだんだん広がってきましたね。そうするとメインの哲学の仕事も豊かになり、より柔軟に書けるようになってきます。これからは、中高生のころ好きでやっていた美術を再開したいと考えています。昔の自分を復活させようというわけです。 (聞き手=山田稔)
▽千葉雅也(ちば・まさや) 1978年、栃木県生まれ。東大大学院総合文化研究科博士課程修了。博士。専門は哲学・表象文化論。哲学者、作家。「動きすぎてはいけない」(河出文庫=第5回表象文化論学会賞)、第45回川端康成文学賞を受賞した短編「マジックミラー」を収録した「オーバーヒート」(新潮社)など著書多数。