統一協会は、1968年に笹川良一、児玉誉士夫、岸信介の3人の元A級戦犯容疑者が発起人になって国際勝共連合を日本でつくった時から日本で本格的に根を持つようになりました。
1976年の総選挙で、自民党はロッキード事件の影響で過半数を割る大敗をする中、共産党は1979年の総選挙で議席を19議席から41議席に躍進し、自民党にとって共産党対策は喫緊の課題となりました。
自民党調査局に「〝優秀な学者グループがいる″〝自民党のシンクタンクとして生かしてほしい″〝学者たちも熱望している″」という話が入ってきたのはそんな時期で、そのグループが統一協会の関連団体の「世界平和教授アカデミー」(以下 アカデミー)でした。
自民党はそれを契機に統一教会との関係を深めていき、1980年には自民党調査局主催の勉強会が28回開かれたうち、アカデミーに属する学者らが講師を務めたのが12回で、テーマは「共産党批判」や「憂うべき教科書の問題」などでした。
自民党が機関紙「自由新報」で共産党攻撃や教科書攻撃キャンペーンを大々的におこなうようになったのは、そのようにして統一教会による〝指南″を受けてからで、以後、反共と反動の政治に一層傾斜していきました。
しんぶん赤旗日曜版の1月29日号に「統一協会 自民党にみっちり指南 ~ 自民党と癒着」という記事が掲載されました。自民党の精神的支柱が「日本会議」であることは知られていますが、統一教会もそれに負けず劣らずに、個々の議員との関係を深めただけでなく反共宣伝、教科書攻撃、有事法制、軍備強化、防衛予算GNP1%の撤廃、家族制度等々で自民党の政策に影響を与えてきたことが分かります。
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統一協会 自民党にみっちり指南 関連団体の世界平和教授アカデミー
共産党攻撃、政策づくり 自民党元本部関係者が組織的癒着証言
しんぶん赤旗日曜版 2023年1月29日号
〝安倍晋三元首相と統一協会は大昔から関係が深い″-。細田博之衆院議長の証言(24日)で改めて、統一協会と自民党の癒着の解明が問われています。癒着について自民党元本部関係者などが初めて、日曜版編集部に衝撃の証言をしました。自民党が1980年代、統一協会の関連団体の学者グループを招いた勉強会を党本部内で開き、共産党攻撃や教科書攻撃の″指南″を受けていた、というのです。同党は学者グループに毎月、数十万円の資金を提供。当時の中曽根政権はこの学者グループから政策提言を受けていました。 取材班
80年代に定期勉強会
統一協会の関連団体「世界平和教授アカデミー」(以下、アカデミー)。そこに属する学者グループは80年ごろ、シンクタンク「80年代ビジョンの会」(以下、ビジョンの会)をつくりました。自民党元幹事長室関係者は「アカデミーやビジョンの会の学者を招いての勉強会は、自民党調査局が運営していた政治資料研究会議(政資研、政治資料研究センターと呼ぱれていた時期も)でおこなわれた」と証言します。
「私たちは当時、いろいろな学者と定期的に懇談していた。その成果を国会議員らに広める目的もあり、政資研で勉強会を開いた。勉強会は定期的に自民党本部7階の会議室で関かれ、常時60人から100人前後が集まった。講師はビジョンの会、統一協会に近い学者が多かったな」
自民党が年間の活動をまとめた「自民党年報」。80年版に「『政資研』は、衆参両院議員、秘書、党各機関の幹部を対象に… 各層の学識経験者を招致し、研究会議を開催し、資料を作成して、所属国会議員…に配布した」と記しています。
自民党元幹事長室関係者によると、自民党本部とアカデミーやビジョンの会との関係がスタートしたのは80年ごろ。「自民党年報」(80年版)によると、同年に政資研の勉強会は28回開かれました。うちアカデミーに属する学者らが講師を務めたのは12回。「共産党批判」「憂うべき教科書の問題」などのテーマでおこなわれました。この〝指南″を受け、自民党は機関紙「自由新報」で共産党攻撃や教科書攻撃キャンペーンを大々的におこないました。
自民党元幹事長室関係者はいいます。「アカデミーやビジョンの会の学者との懇談での提言はメモにした。幹事長がそれを見ながら記者会見することもあった。統一協会系の学者の主張が、党の意思として発信された。幹事長など党三役も年に何回かビジョンの会と懇談した。茂木(敏充)幹事長は″調査をしたが(統一協会と)党としての関係はない″といっているが、大ウソだ。自民党はアカデミーやビジョンの会に月に数十万円の資金提供をしていた」
統一協会との深い関係
79年総選挙 共産党大躍進に対策図る
統一協会系学者と〝定例会”
「世界平和教授ア力デミー」 |
自民党とアカデミーの関係が深まるきっかけとなったのは、1979年の総選挙。ロッキード事件の影響で自民党は76年総選挙で初めて過半数を割る大敗をしました。79年の総選挙ではさらに1議席減らしました。
一方、日本共産党は79年の総選挙で、前回総選挙の19議席から41議席(推薦含む)へと大躍進。自民党にとって日本共産党対策は喫緊の課題でした。
統一協会が日本で本格的に根を持つようになたのは68年。笹川良一、児玉誉士夫、岸信介という3人の元A級戦犯容疑者が発起人になって国際勝共連合を日本でつくりました。これが自民党と統一協会=勝共連合の癒着の出発点。以来、自民党は統一協会=勝共進会を反共の先兵として利用し続けました。それが… 。
自民党本部元関係者は話します。「79年、自民党直属の機関である調査局に〝優秀な学者グループがいる″〝自民党のシンクタンクとして生かしてほしい″〝学者たちも熱望している″という話が入ってきました。すでに当時の幹事長の決裁も下りていました。ビジョンの会といっても〝看板″だけで、実態は統一協会の関連団体のアカデミーでした。東京・千代田区紀尾井町にあったアカデミー事務所を訪ねると、20入ぐらいのスタッフが働いていました。アカデミーの事務局長をやっていたのが、早稲田大学の原理研究会の初代責任者の尾脇(のちに大脇に改名)準一郎氏です」
アカデミーやビジョンの会の学者グループと自民党幹部・国会議員らのディナーミーティング(通称ステーキ会)を都内のホテルで始めたといいます。ステーキ会には「松下正寿立教大学元総長・アカデミー会長(当時)、統一協会と関係が深いことで有名な福田信之・筑波大学学長(当時)、慶応大学の気賀健三名誉教授、慶応大の中村勝範教授(当時)らがよく来ていました」(自民党本部元関係者)
自民党の勉強会、自由新報にたびたび登場
学者が共産党攻撃を〝指南″
80年4月16日の政資研の勉強会。「参院選における共産党批判」のテーマで講演したのは、「共産党をつぶすために生きてきた」が口癖の慶応大学の中村教授(当時)でした。中村氏は同年、自民党の機関紙「自由新報」でほぽ毎月のように共産党攻撃のコラムを書いていました。「自由新報」に同年末に掲載された「日本共産党及び国際共産主義の一年」と題した、弘津恭輔氏(当時、「アカデミー」理事、「スパイ防止法制定国民会議」運営委員長)らとの座談会は、反共の大合唱でした。
中村氏は、85年には勝共連合機関紙「思想新聞」に「日共主催の 『反核国際シンポ』を切る」を連載。自民党元政務調査会関係者は 「中村氏はもともと、旧民社党系の学者だったが、『反共』で一致してアカデミーやビジョンの会に参加していた」と語ります。
アカデミーやビジョンの会がおこなったのは、共産党攻撃の〝指南″だけではありませんでした。
80年代 自民党が教科書攻撃を大々的に
火付け役もネタ元も統一協会
「教科書は偏向している」-政府・自民党は1980年代初め、教科書攻撃キャンペーンを展開しました。自衛隊、原発、家族のあり方などの教科書の記述を変えさせるなど教育基本法が禁じる教育への「不当な支配」そのもの。教科書攻撃キャンペーンのバックにも統一協会がいました。
80年11月6日に開かれた自民党の政資研の勉強会。「憂うべき教科書の問題」のテーマで講演したのは石井一朝氏でした。石井氏は有名な反日教組活動家。55年にパンフレット「うれうべき教科書の問題」を執筆し、右派からの教科書攻撃の火ぶたを切った人物です。
自民党元本部関係者も「石井氏もアカデミーから派遣された講師。彼は千代田区紀尾井町のアカデミーの事務所にいつもいました。一日中、教科書に赤線を引いてチェックしていました」と語ります。
講演で石井氏は、小学校の国語教科書の表紙のいわさきちひろの絵について「共産党の松本善明氏(当時衆院議員)の細君の書いた絵だ」と反共攻撃。「国語と社会科の教科書は共産党員の独壇場」とデマを飛ばし、教科書検定では巻末に並んだ著者の名前だけを見て「内容は見ないでボツ」にすべきだと放言しました。
80年の「自由新報」は、「いま教科書はー教育正常化への提言」を半年間連載。石井氏が匿名で執筆したもので、自民党は同年12月、連載を本にまとめ全国で無料配布しました。
石井氏の講演と前後して、自民党は大々的な教科書攻撃をはじめました。81年1月の自民党大会では「偏向教科書の見直し運動推進」をかかげ、民社党とともに国会で教科書攻撃キャンペーンをおこないました。アカデミーから自民党に送り込まれた石井氏は、教科書攻撃の火付け役を演じたのです。
当時、自民党による教科書攻撃の最大の「ネタ本」だったのが『疑問だらけの中学教科書』。統一協会と深い関係にあった福田信之筑波大学長(当時)が中心となってアカデミーの会員らが書いた本です。
自民党政務調査会元関係者は証言します。「石井氏は福田信之氏の秘書役のようなことをしていた。統一協会とアカデミーの大きな影響のもとで自民党が、教科書攻撃を始め、『侵略』を『進出』に書き換えさせた」
80年代の自民党の教科書攻撃の火付け役もネタ元もそのすべてが統一協会だったのです。
半世紀にもわたる自民党と統一協会=国際勝共連合との癒着。編集部が今回明らかにしたのはその一端にすぎません。自民党は、半世紀の歴史をさかのぼって全面的な調査を、責任を持って行う必要があります。
編集部の取材に自民党本部幹事長室は、「お答えできることはない」と回答しました。
82年 中曽根首相に国鉄民営化など「提言」
関連団体事務局長「いくつかは実行された」
中曽根康弘元首相が政治活動の記録として国立国会図書館に寄託した冊子があります。「自民党と新内閣への提言」(82年12月17日付)。ビジョンの会が第1次中曽根内閣発足(同年H月27日)の直後に提出したものです。代表者に名前が記されていたのが、統一協会と深い関係で有名な福田信之氏です。
「提言」では〝日本人に最も欠けているのは、心理情報戦を特色とする現代の『戦争』の性格を知らないことである。この面での共産側からの攻勢は、今後ますます活発になってくるであろう。西側民主主義社会にとり、国民の世論の支持を如何にとりつけるかは最大の重要課題である″と指摘しています。▽行革はまず国鉄再建(分割・民営化)▽有事法制、空軍の強化▽防衛予算の別枠化。GNP(国民総生産)1%枠は早急に撤廃-などを求めています。
提言で言及した国鉄再建(分割・民営化)は、中曽根政権が86年11月、関連8法を成立させました。同政権は、軍事費のGNP1%枠についても同年12月に撤廃しました。
統一協会の主張が政策に影響を与えてきたことを否定する自民党。しかし統一協会の関連団体・アカデミーの事務局長だった大脇準一郎氏は、中曽根氏が亡くなった際、自身のホーームページにこう書きました。
「研究の成果が自民党政府に高く評価され、70年代から80年代、10年以上にわたり、自民党政府の政策のお手伝いをした。特に、中曽根総理の在任時代は、その提言のいくつかは政策として実行された」
ビジョンの会は85年に「ビジョン21世紀の会」と名称変更し、後継団体が現在も活動を継続しています。
自民党は徹底調査し、公開すべき
自民党議員の経歴を持つ 元参議院議員 平野貞夫さん
安倍晋三元首相の銃撃事件後、自民党幹部らは、〝統一協会との組織的関係はー切ない″と繰り返してきました。
しかしそれは大うそでした。今回、自民党関係者の証言や資料で、自民党と統一協会、世界平和教授アカデミーの深い関係のー端が明らかになったことは極めて重要です。
自民党は個々の議員が統一協会とズブズプの関係があっただけでありません。自民党本部は統一協会と組織的関与を持ち、その癒着関係は今も続いているとみるのが相当です。最近の政治劣化の根本原因はここにあります。
岸田文雄首相は、法的にも問題がある反社会的団体との癒着について何の反省もなく、疑惑にフタをする姿勢です。
統一協会と自民党の50年間の癒着の歴史はどうだったのか。自民党は徹底調査し、公開すべきです。自民党の政策にも統一協会が影響を与えていたことが明らかになった以上、国民への最低限の責任です。