東京新聞は19日、「積極的平和 実現へ日本の貢献は?」と題して、極めて興味深い特報記事を載せました。
東京新聞は、坪井札幌学院大名誉教授の話として以下のように述べています。
安倍首相が最近言い出した「積極的平和(主義)」(Positive peace)の本来の意味は、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング氏が定義した
「『消極的平和』を戦争のない状態、『積極的平和』を戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態」
であり、それは国際的に定着している。
しかし首相がそうした意味で使っていないことは明らかで、現実に9月に米国で行ったスピーチでは、「Proactive Contributor to Peace」(率先して平和に貢献する存在) と表現している。Proactiveは軍事用語では『先制攻撃』のニュアンスで使われので、米国人は『日本は集団的自衛権の行使容認に踏み切ります』と受け止めるだろう。
まさに首相の言う「積極的平和(主義)」は「攻撃的平和(主義)」に他ならないというわけです。以下に東京新聞の記事を紹介します。
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積極的平和 実現へ日本の貢献は?
東京新聞「こちら特報部」2013年10月19日
日本は「積極的平和主義」を掲げるべきだと安倍晋三首相は言う。「積極的平和」は、半世紀以上前に米国で作られた言葉だ。平和学の専門家によると、「戦争だけでなく、貧困や搾取、差別など構造的な暴力がなくなった状態」を意味する。そんな世界の実現に貢献するのなら、日本人も胸を張れるのだが-。 (小倉貞俊、榊原崇仁)
「安倍さんは『積極的平和』を、もともとの言葉の定義と異なる意味で使っているように思う」。平和学が専門の坪井主税(ちから)・札幌学院大名誉教授はこう話す。
坪井氏によると、「積極的平和」は第二次世界大戦中の一九四二年、米国の社会学者クインシー・ライト氏が執筆した「戦争学」の中で、「消極的平和」と併せて使ったのが始まりとされる。その後、米国に留学したノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング氏が「消極的平和」を戦争のない状態、「積極的平和」を戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態、と定義して定着した。
安倍首相は十五日の所信表明演説で、「『積極的平和主義』こそが、わが国が背負うべき二十一世紀の看板」と強調した。続けて、自衛官の海外での活動などに触れ、日本版「国家安全保障会議(NSC)」の創設を意欲的に語った。有識者会議「安全保障と防衛力に関する懇談会」の会合でも、安保戦略の柱に「積極的平和主義」を据えることを確認している。
米国の保守系シンクタンク・ハドソン研究所で先月行ったスピーチでも、安倍首相は「積極的平和主義」に言及した。ただ、スピーチで使ったのは「Proactive Contributor to Peace」。和訳すれば「率先して平和に貢献する存在」となるが、首相官邸のホームページ上では「積極的平和主義」と訳されている。
ガルトゥング氏の言う本来の「積極的平和」は英語では、「Positive peace」。だから、少なくとも英語圏の世界では、安倍首相の発言は「積極的平和」とは受け取られないわけだ。
それどころか、坪井氏は「Proactiveは軍事用語では『先制攻撃』のニュアンスで使われる。米国人は『日本は集団的自衛権の行使容認に踏み切ります』と受け止めるだろう。逆に、和訳によって、日本では『軍事力を行使しない』と誤解する人がいるかもしれない。言葉のマジックだ」と指摘する。
水島朝穂・早稲田大教授(憲法学)によると、ガルトゥング氏の「積極的平和」という考え方は、七〇年代に日本に入ってきた。だが、水島氏ら憲法学者が、「積極的平和」を前面に出して訴えるようになったのは九〇年代に入ってからだ。
九〇年にイラクがクウェートに侵攻し、九一年に湾岸戦争が始まった。憲法九条の規定で自衛隊は多国籍軍に加わらない代わりに、日本は戦費などで百三十億ドルを支出した。一兆円以上の負担だったが、クウェート政府が米紙に掲載した諸外国に対する感謝の広告に日本の名はなかった。以降、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加の議論が活発になる。
自衛隊の海外派遣に向けた動きに対し、水島氏らは「武力の行使ではなく、貧困や差別などを取り除く国際貢献こそが重要だ。憲法前文には、そう記されている」などと主張した。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有する」というくだりだ。水島氏は「まさに『積極的平和』を規定している」と話す。
だが、結局、PKO協力法が九二年に成立した。同年、陸上自衛隊の部隊が海外初となるカンボジアに派遣され、その後はイラクなどに派遣されるようになった。
実は保守系の一部の学者も九〇年代から「積極的平和主義」を使っている。九一年の衆院特別委員会の公聴会では、自衛隊の海外派遣が「積極的平和主義」につながると発言した有識者もいた。
本来の意味合いとは異なるため保守系の学者が使うことは少ないようだが、あえて使う学者や団体もある。安倍首相が参与を務める民間のシンクタンク「日本国際フォーラム」もその一つだ。
〇九年発表の政策提言の表題は「積極的平和主義と日米同盟のあり方」だ。「積極的平和」が日米同盟に必要なものに位置付けられ、「日米同盟維持のため、集団的自衛権が行使可能な権利であることを認めなければならない」といった主張をしている。
本来の趣旨とは全く違ってしまっている。では、ガルトゥング氏の言う真の「積極的平和」実現のために、日本はどんな貢献ができるのだろうか。
今月、「平和構築入門」を出版した東京外国語大の篠田英朗教授(国際関係論)は「開発援助や医療など、あらゆる分野で活躍の余地がある。重要なのは、情熱ある若者が関われるように、政府が支援する仕組みを作ることだ」と話す。「日本の政治家は嫌でも、政治のダイナミズムに関心のある若者もいるだろう。紛争地の調停活動に参加し、力を発揮してもらえばよい。就職難の若手弁護士に国際法を教え、国連など国際組織での活躍を後押しする方法もある」と政治や法律の分野でも貢献が可能だ。
また、人道援助の分野で活動する日本の非政府組織(NGO)は少なくないが、メンバーが団体内や業界内で固定化する傾向にあるという。「政府がNGOのリーダーらを国連に推薦したり、外務省で雇用したりすれば、人材育成にもつながる」と提案する。
アジア平和貢献センター理事長で元早稲田大総長の西原春夫氏は「日本がかつて戦争を起こした反省に立てば、真の平和のために米国や中国などの軍事大国を戒め、各地の紛争を仲裁する世界の調整役になるべきだ」と語る。ガルトゥング氏の祖国ノルウェーがパレスチナ紛争で調整役を務め、九三年のオスロ合意を実現させた実例を挙げ、「日本も同じ役割を担える。貧困国支援などの実績などを日本は世界で評価されており、調整役として受け入れられるはずだ」と語る。
紛争地域の復興に、若者を派遣することも提案する。「文化財の補修などに携わり、戦争の傷痕を直しつつ、戦争がもたらす惨状、平和の意義を現地で学べる。新たな平和の担い手を育てることにもなる」
加藤哲郎・一橋大名誉教授(政治学)が説く積極的平和は「核なき世界の実現」だ。「全ての国が核兵器を捨てない限り、真の平和は訪れない。核兵器につながる原発ゼロを含め、核に頼らない日本の将来像を考え、世界に働き掛けるべきだ」と強調した。
<デスクメモ> 湾岸戦争でバグダッドが空爆される様子をテレビで見たことをよく覚えている。映画のようで、どこか感覚がまひしていくように感じた。一九九〇年代には、旧ユーゴスラビア紛争も起きた。八四年のサラエボ冬季五輪が大成功だったのに。戦争がなくならない。まず、目指すべきは「消極的平和」か。 (文)