日本政府のは、慰安婦問題については1965年の国交回復時に結ばれた日韓請求権協定によって解決済み、との立場ですが、それでは事態は何も解決しません。
かつて「アジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)」※が設立され活動が行われましたが、「日本政府は法的責任を回避している」などという反発があって韓国では基金からの「償い金」を受け取った元慰安婦はごくわずかにとどまりました。
今月に入って、野田前政権と韓国の李明博(イミョンバク)前政権との間で、昨年、慰安婦問題の解決に向けた話し合いが進められて、政治決着の寸前(=最終的に残っていた「野田首相が被害者に書く手紙の文面」もほぼ決まりかけていた)までこぎ着けていたことが明らかにされました。
それも、昨年の両国担当者間の交渉が進んだのは、李前大統領が竹島に上陸して両国の関係が極度に悪化した後のことでした。そのことは両国間に他の課題があっても、慰安婦問題を独自に解決するという政治の意志さえあれば、それは可能であることの証明でもありました。
そういう意志を安倍内閣に求めることは土台無理な話なのでしょうか。
以下に朝日新聞の社説と韓国 中央日報の記事を紹介します。
※1995年村山内閣成立後に発足した「アジア女性基金」は、民間から集めた5億7千万円の「償い金」が総理の手紙と共にフィリピン・韓国・台湾の元慰安婦たち285名に渡されて2007年に解散しました。インドネシアとオランダに対しては、それとは別に政府資金から約5億円の医療・福祉支援事業を実施しました。
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(社説) 慰安婦問題―政治の意志があれば
朝日新聞 2013年10月13日
一衣帯水の隣国なのに、日本と韓国の間では不信の連鎖が続く。これを断ち切る突破口にならないだろうか。
日本の野田前政権と韓国の李明博(イミョンバク)前政権が昨年、旧日本軍の慰安婦問題の解決に向け話し合いを進め、政治決着の寸前までこぎ着けていたことが明らかになった。
双方の政権交代によって交渉は頓挫した。だが、首脳の側近同士が交渉した一連の経緯を振り返ってみると、解決に向けた強い意志が指導者にあるならば、歩み寄りは可能だということがわかる。
日韓の前政権高官らの証言によると、日本側は次のような案を韓国側に示したという。
駐韓日本大使が元慰安婦に会って謝罪。それを受けて日韓首脳会談を開き、日本側が償い金などの人道的措置をとることを表明する。人道的措置の原資には、政府予算をあてる。
慰安婦問題について日本政府は、1965年の国交回復時に結ばれた日韓請求権協定によって解決済みとの立場だ。
前政権の案は、こうした政府の立場を維持しつつ、元慰安婦を救済するぎりぎりの妥協策だ。かつて民間から集めた5億円あまりの寄付をもとに実施された「アジア女性基金」の事業と似た枠組みだ。
アジア女性基金では、日韓の支援団体などが「日本政府は法的責任を回避している」などと反発。韓国で償い金をうけとった元慰安婦はごくわずかにとどまった。今回はこうした轍(てつ)を踏むまいと、双方は細心の注意を払っていた。
菅官房長官は前政権の交渉について、「私どもの政権に引き継がれていることはまったくない」と語った。一方で安倍政権内にも、この問題の決着を模索すべきだとの声はある。
安倍首相と朴槿恵(パククネ)大統領はいま、国際会議で顔を合わせても、まともな会談ができないほど冷えた関係にある。ただ、昨年、交渉が進んだのは、むしろ李前大統領が竹島に上陸して、両国の関係が極度に悪化した後からのことだ。
慰安婦問題を政治決着させるとなれば、日韓双方で異論も出てくるだろう。だが、元慰安婦の存命中にこの問題に区切りをつけ、日韓関係を修復することが急務なのは間違いない。
前政権と違い、安倍、朴の両政権は、両国間のわだかまりを克服できるだけの安定した政治基盤を持っている。
この時を逃さずに交渉を引き継ぎ、最終解決を導く話し合いを早急に始めるべきだ。
日本首相、謝罪文の調整だけ残し…慰安婦交渉、昨年妥結直前に白紙
韓国 中央日報日本語版 2013年10月09日
「弁護士たちが使いそうな表現ではいけない。もっと胸に迫るような表現でなければならない」。
昨年10月末、東京のあるホテルで向き合っていた日本政府の斎藤勁官房副長官に、李東官(イ・ドングァン、大統領府、当時は外交通商部言論文化協力大使)元青瓦台(チョンワデ、大統領府)広報首席がこう要求した。慰安婦問題の解決方法を見出そうと額を突き合わせていた席だ。中断と再開を繰り返してきた両国間の交渉は、この時が最後だった。2人は日本の野田佳彦首相が従軍慰安婦被害者に送る手紙の文面をめぐって格闘中だった。
「野田氏の手紙」は、双方が合意した問題解決方案のうちの1つであった。斎藤氏が持ってきた文面は「(日本)軍が関与した慰安婦問題によって女性たちが経験した苦痛と傷に、日本政府は責任を免れない」であった。だが李元首席は「責任を免れない」という曖昧な表現よりも「責任を痛感する」という直接的な表現を要求した。いくつかの案をやりとりした後、斎藤氏は「韓国政府の意見を野田首相に伝える」と述べた。終わりが見えないと思っていた慰安婦問題解決の終着駅が見えた。だが野田氏が「最終決断」をぐずぐずしている間に、日本国内の政治はますます荒波に包まれ、電撃的な衆議院解散宣言で慰安婦問題解決の機会は妥結直前で再び失敗に終わった。
日本の朝日新聞は8日付で、斎藤元副長官とのインタビューに基づき「昨年秋に両国政府が慰安婦問題の妥結を目前にしていたが、日本の議会解散などで失敗に終わった」と報道した。斎藤氏は李元首席との会合を振り返って「最終的に残っていたのは野田首相が被害者に書く手紙の文面だけだった」として遺憾を表わした。当時カウンターパートにいた李元首席も中央日報に「当時の交渉は9合目を越えていた」と語った。
2人の伝言によれば両国、特に日本が動き始めたのは2011年12月に京都で開かれた両国首脳会談が慰安婦問題でこじれた後だった。当時、李明博(イ・ミョンバク)元大統領が会談後に「弁護士と話すようだった」と打ち明けたほど野田首相の態度は硬直していた。だが「韓国の李明博政権、日本の民主党政権でなければ慰安婦問題解決が難しい」という共感が双方にあったという。
昨年3月、佐々江賢一郎外務次官が日本側の提案を持って訪韓した。駐韓日本大使が慰安婦被害者に謝罪し、続いて野田首相が李大統領と首脳会談を通じて日本が取る人道的措置を説明し、以後日本政府が人道的措置の費用を支払うという提案だった。4月には斎藤氏が韓国を訪れ「慰安婦問題を解決したい」という野田首相の親書を李大統領に渡した。だが韓国政府は日本側の提案に否定的だった。「国家責任」を明らかに認めないところに「賠償金」という表現を使うことを敬遠したためだ。この案では慰安婦関連団体を説得できないと判断した韓国政府は「慰安婦被害者を直接説得せよ」と日本側に話し、日本側からは「両手両足をとられた」という不満が噴き出した。
小康状態だった交渉が再び活発化したのは両国関係が最悪になった昨年8月、当時の李大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問後であった。領土対立のために慰安婦問題解決の機会まで完全に喪失するのではと憂慮した知識人が動いた。和田春樹東京大名誉教授と韓国人学者が橋渡しをした。日本政府からは「交渉相手は、李大統領が慰安婦問題解決の意志を持っているか確認できる人でなければならない」と要求し、それで側近の李元首席が出ることになったという。日本側のこれまでの提案に▼野田首相が慰安婦被害者に送るおわびの手紙を朗読してこれを駐韓日本大使が被害者に手渡す▼日本政府が特別予算を通じて被害者に「償い金」を支給する方案を検討するなど一部の進展があった。
野田氏の衆議院解散によってすべてが白紙に戻ってしまった後、斎藤氏は李元首席に電話をかけて「突然このようなことになって申し訳ない」と謝ったという。